忍者ブログ
[PR]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。


2024/04/26 12:10 |
[京都] 京の都の春爛漫
JR東海の「そうだ、京都、行こう。」を見るたびに、指をくわえながらいつか桜が満開の京都へ行こうと考えていたものですが、折りしも年度始めというある意味年度末とは別の忙しさの中で中々予定をつけられずにいたこれまでの数年。今でこそ、新幹線で気軽に京都まで行けるものの、「いつでも行ける」という曖昧な考えが、結局のところ今日までズルズルと引きずってしまうことになってしまったのでした。
そんな調子では、今年も、来年も、そして再来年もこんな状態になってしまう! と考え、意を決して桜が咲き誇る京都へ足を運びました。


清水寺 円山公園 平安神宮 - 其の一

平安神宮 - 其の二 南禅寺 哲学の道



予てから「京都は絶対に1日で回れない」と言われ続け、生来の負けず嫌いが「そこまで言うならやってやろうじゃねぇか」と無駄に血を滾らせて足を運んだ日帰り京都旅行。それが瞬く間に無謀なものだと思ったのは午後3~4時を過ぎてから。
朝の9時前に京都駅に到着したにも関わらず、結局1日で回れたのは、京都の社寺・名所の5分の1にも満たせず。桜を愛でるための旅行なのに、何故敗北感を味わわなければならないのか、客観的に見れば全くもって理解不能ですが、それくらい観覧する場所が多く、そして広く点在していることしていること。「こんなに京都は広かったか!?」と改めて思い知らされたのは言うまでもなく。

結局、今回の日帰り旅行で訪れたのは、下記の通りです。

清水寺~祇園~円山公園~知恩院高台寺霊山観音平安神宮南禅寺~哲学の道

いくら桜の季節といえど、平日だからそんなに混んではいないだろうと思っていました。しかし、最大の盲点が2つ。一つはセカンドライフを楽しむ高齢の方々の観光ツアー。そしてもう一つは、平日の京都観光のマイノリティ、外国人観光。右からは英語・フランス語・ドイツ語・イタリア語、左からは中国語・韓国語・ベトナム語・インドネシア語、って感じ。以前広島や日光でも同じでしたが、多国籍にも程があるだろ! というくらいに日本人以外の方々で賑わっていました。
まぁ、今は日本への観光産業推進のために、「VISIT JAPAN CAMPAIGN」に力を入れているのもよく分かりますが。しかし、世界広しと言えど、ここまで多種多様な人種を限られた1箇所(ここでは総じて『京都』)に難なく受け入れられるのは、後にも先にも日本くらいかもしれません。


さて、桜や紅葉といった正に観光のシーズンの真っ只中である京都における、最も効率的且つ最高の乗り物として、僕は、『レンタサイクル』を是非お勧めします。
何と言っても1日借りて900円~1500円と安く、小回りも聞くし自在に行動できるし、歩道でも(手押しですが)利用できるので、徒歩、電車やバス、レンタカー・タクシーに比べたら、格段に自由で多彩な京都観光を楽しむことが出来ます。駐輪場が少ないというのが難点ですが、逆に車でも、人が込み合う観光シーズンはあっという間に車の駐車スペースも埋まってしまいますし。
既に決まった場所に行くのであれば、電車やバスでもいいかもしれません。ですが、電車は東京のように張り巡らされているわけではないので、自由度はかなり下がってしまいますし、バスは昼くらいから長蛇の列が出来るくらいの混雑振り。観光周りに疲れた身体には堪えてしまいます。

自由度や経済性、小回りの利く面からお勧めの乗り物ではありますが、市街地は意外と車どおりも多く、お店が並ぶため駐車している車も多数あります。事故にあわないようにお気をつけて。


 

『京都府』の写真集についてはこちら

拍手

PR

2009/04/06 22:56 | Comments(0) | TrackBack() | Outdoors
[神奈川] 日本デビューの軌跡
2009年は、横浜が世界に向けて港を開いて丁度150年。150年前の1859年は、横浜と同時に函館も世界に向けて港を開いたことで、事実上日本は世界にデビューを果たした年と言えます。NHKの番組の受け売りでゴメンナサイ
しかし、幕末の波乱の中での開港は万事がうまくいくわけではなく、尊皇攘夷の嵐が吹き荒れ、徳川幕府の権威も地の底まで失墜し、日本国内は大いに乱れた時代でした。公武合体作など、朝廷を巻き込んだ政策を打ち出すも一向に効果は出ず、ついに1967年の大政奉還によって、徳川慶喜を最後に、徳川幕府は幕を閉じます。

それから、文明開化の約10年。200年以上引きこもっていたわりには、世界の文化をあっさりと受け入れ、異例とも言える早さで欧米列強の仲間入り。その懐の深さ、柔軟性が、時を越えても、日本ならではの強さの一つと言えそうです。


横浜ランドマークタワー 横浜赤レンガ倉庫 汽車道



暖かい空気が街中を駆け巡り、若干曇りが目立ちつつも散歩日和には絶好のこの日。そんな中、何故休日出勤しなければならないというアンニュイな気持ちに駆られながら、せめて午前中はと考え、春のみなとみらいに散策に出掛けました。
桜木町駅からランドマークタワー~パシフィコ横浜に至るまでの道、小振りながらも桜並木が連なっていますが、人は思ったほど多くはなさそう。まぁ、特に桜木町界隈は、トレンドとファッションを追う人達で連日賑わうところなので、『桜の名所』というわけではないのですが、それでも、東京タワーと同じように、その土地の名所となっている建物と桜は、とてもよくマッチしていると思いました。

赤レンガ倉庫以外の建物は、白を基調にしているため、曇りだと保護色になってしまってちょっと殺風景気味なのが難点ですね。その分、澄んだ青空の下のみなとみらいは、どこから見渡しても景色が映えそうです。



『神奈川県』の写真集についてはこちら

拍手


2009/04/05 19:14 | Comments(0) | TrackBack() | Outdoors
[茨城] Magic of Horizon
いやはや、まさかこんなところに澄み切った青空の似合う公園があろうとは。

木々の生い茂る森の公園や、だだっ広い芝生の公園はこれまでにもいくつか訪れたことがありますが、まるでカントリーファームのようなパノラマが見渡せる公園というのも珍しいのかも。そして、その丘の頂上は、これまた太平洋を見渡せるパノラマ。
雲一つない青空と、穏やかな海と、そしてその境界線をハッキリと映し出す公園の地平線。『地球』を感じさせる公園が、東京から2時間足らずのところにある。偶然とも思えるような発見です。


スイセンの丘 みはらしの丘



ある雑誌で、早咲きの水仙が見頃を迎えているということで、国営ひたち海浜公園に足を伸ばしてみました。全く雲が存在しない、快晴中の快晴。絶好のお散歩日和です。
実は今日訪れるまで、恥ずかしながら『国営ひたち海浜公園』の存在を知りませんでした。それ以前に国営公園で行ったことがあるのって、『国営昭和記念公園』、くらい? 名前はかなり前から知っていましたが、それでも、昭和記念公園ですらもつい最近行ったことがあるくらいですし。

しかしながら、今回訪れた国営ひたち海浜公園は、そんなに広く知られていないだけに(早春の時期といえば、話題は何と言っても偕楽園に持っていかれてしまうので……)、穴場中の穴場のような気がします。見渡す限りの花畑、というわけでは無いにせよ、散りばめられた花の色彩は、決して飽きることはありませんから。
それに、今回は水仙や梅を観賞するのが目的だったんですけれど、園内の『みはらしの丘』とか、その丘を登って見渡せる太平洋の絶景とか、違った楽しみ方も多数あるようで。是非、色々な季節に足を運んでいただきたいものです。


梅 (国営ひたち海浜公園) 水仙 (国営ひたち海浜公園) クロッカス (国営ひたち海浜公園)



さて。
この公園、大きく2つの入り口があります。南口と西口。それぞれにバス停があります。春に咲く花々を愛でるのであれば、西口から入ることをお勧めします。国営ひたち海浜公園行きのバスは、常磐線の勝田駅から出ており、終点は南口です(西口は途中のバス停)。なので、ついうっかりバスの中で寝過ごしても無事たどり着くことが出来るのですが、この時期の南口は超寂しい状態です。何といっても、花々のガーデンから遠い入り口だから。
南口から花々のガーデンへ向かう途中、さながら遊園地のアトラクションがいくつかありますが、やはり国営の公園のレベル。過度の期待は禁物と考えた方が良さそうです。デパートの屋上の遊園地+αくらいと思っていただければ、何となく予想はつくのではないかと。つまり、まぁ、小さいお子さんでしたら多分楽しく遊べると思うのですが、流石に小学生高学年からでは、子供だまし的に映ってしまうのもやぶさかではないかと……

ボロクソに言ってゴメンナサイ。。。 m(_ _)m

でも、それを差し引いてもあまりあるくらいの絶景ポイントがいくつもあるし、園内はだだっ広いので貸し自転車もあるし、ご家族連れにはもってこいの公園かもしれません。



『茨城県』の写真集についてはこちら

拍手


2009/03/15 22:43 | Comments(0) | TrackBack() | Outdoors
[東京] TOKYO Guardian
とある番組で、授業では行わない本当の日本史の番組みたいなのを行っており、その一部で、かつて260年以上栄えていた江戸幕府が鎮座する江戸の成り立ちを取り上げていたコーナーがありました。その内容に非常に興味があり、東京を護り、そして今も護っている足跡を追ってみました。


平将門の首塚 寛永寺 神田明神



これまでに何回も丸の内周辺を、仕事・プライベート両方の面で訪れたことがあるのですが、『平将門の首塚』にはまだ一度も行ったことが無いのです。『平将門』に関する数々の伝奇・伝承は、曖昧且つ簡潔であるにせよいくつか耳にしたことがあります。そのため、実際に訪れる前にWeb上で幾つか文献を読んでみました。
そして実際に『平将門の首塚』に足を運んでみると、既に周辺から、何か異様な雰囲気を感じます。厳か、というより、禁断の地、というのが似合っているかもしれません。そう気安く立ち入ってはいけない、という空気を感じます。『平将門の首塚』の祠は、丸の内のビルに囲まれた形で築かれているので、史跡としての大きさとしてはかなり小振りです。そんなに沢山の人が訪れているわけでもない。ですが、首塚に供えられているお供え物、そして絶えることのない線香の淡い香り。平将門が亡くなってから既に1000年以上が経過しているのに、彼を敬う気持ちは、今でも変わっていないように見受けられます。

かつては己の首を探しに怨霊として江戸・東京にさまよい、幾度と無く江戸・東京を災いの坩堝にした平将門の霊。しかし、江戸幕府の創業者・徳川家康が、江戸に蔓延る災いも敬虔に祀れば、転じて江戸の守り神になると考え、首塚を建立したのだとか。しかし、関東大震災や日本敗戦を経て、首塚は何度か破壊と建て替えを繰り返すことに。その際、畏敬の念を払わなかった者に、多かれ少なかれ災いが振りまかれたとか!
そんな平将門の強力な怨念を鎮め、供養が行われ、1309年に相殿神としたのが、神田明神なのだそうです。更に、神田明神は江戸城から見て北東の位置。いわゆる丑寅の方角で、鬼門に位置する神社です。そのため、江戸城の鬼門除け、江戸総鎮守として尊崇されたのですが、その後の関東大震災で焼失してしまったのだとか……。

しかし、調べている間、とんでもないことに気づいてしまいました。何と僕は、今年の年初に、成田山新勝寺に参拝したのです。
これは、当時の朝廷から見て関東において叛乱を起こした平将門を討伐するため、僧寛朝を神護寺護摩堂の空海作といわれる不動明王像と供に現在の成田山新勝寺へ使わせ平将門の乱鎮圧のため動護摩の儀式を行わせたとか。成田山新勝寺を参拝すると、平将門を苦しめる事となるので、神田明神崇敬者は成田山の参詣をしてはならないとされているって……。

無知な上に節操無しなのがバレてしまいました。

まぁ、何はともあれ、昨今のように様々な価値観が多様化しつつある今、幸せな毎日を送るためには「何を信じるか」が重要なんだと、神社の神主さんも寺の住職さんも仰っていますし(←見苦しい言い訳)。


そんな想いが込められた徳川幕府も、創設してから260年ほどでその幕を閉じてしまい、日本は近代国家へと進展していきます。そんな中でも、死して尚江戸を護るように、15代の将軍(とその正室)のうち、12代が、増上寺と寛永寺、半々に眠っています。まるで、江戸城を北と南の両方の面から護るように。
寛永寺には三つの区分に墓地が敷かれ、各墓地に、代々の徳川将軍が眠っているのですが、一般には非公開。先日、天璋院篤姫の墓地が抽選で公開されたのも、この寛永寺の墓地です。但し、隣接する一般の方々の墓地は普通に入ることが出来ますが、遺族の方々にとっては、故人との再会の場でもあるので、あまり騒がしくするのは控えた方がいいかもしれません……。


それなりに知っているようで、実はあまり知らなかった東京の歴史と、それを脈々と受け継ぎ、そして護ってきた魂。ほんの少しではありますが、それに触れることが出来た貴重な機会だったと思います。



『東京都』の写真集についてはこちら

拍手


2009/03/01 14:07 | Comments(0) | TrackBack() | Outdoors
[岩手] 厳冬平泉
松島ではまだ雪が積もっているとはいえ、そこにははっきりと春の息吹を感じる景色が広がっていました。しかし、ほんの少し、県を跨いだだけなのに、平泉ではまだ雪に閉ざされた雪原の国。
折りしも平日のため人も少なく、人通りはとっても少なく、音も遠くの方までよく聞こえてしまうくらいの静寂さ。しかも平泉駅を降りて思ったこと。

娯楽施設は勿論のこと、御食事処もお土産屋もすんごく少ないのっ!

線路を跨いで東側(北上川側)に行けば、商店街が見えるのですが、それでも商業主義的なものではなく、生活必需品が主、という感じ。全く無いわけではないのですが、個人的にはちょっと寂しいような気がします。
それはやはり、奥州藤原氏を始めとした文化財や史跡が多いから? それとも、住宅街が広がっているように見えるから、商業施設が進入しにくいからなのでしょうか? いずれにしても、賑やか好きな方であれば、冬に平泉を訪れるのはあまりお勧めしません。むしろ夏場でしょうか。特に、奥州街道から中尊寺に向かうまでの道のりは、伊勢神宮の内宮のような神秘さを感じます。雨の日に訪れるのもまた違う側面があっていいかもしれません。

但し、道は超ぬかるみますのでご注意を


毛越寺 大泉が池 中尊寺 本堂 北上川と駒形峰



そうはいうものの、やっぱり僕は冬場の東北が凄く好きなのです。遠くまで見渡す限りの山々を愛でながら、スノー・モンスターとも呼ばれる樹氷を眺めるのもよし、湿度のない朝の光を浴びて、金色に染まるダイヤモンドダストを眺めるのもよし(両方とも未だ体験したことが無いので、一度は見てみたいと野望に燃えています)。
そして、音のない白銀の寺院。冬を象徴する景色に魅せられているので、こういうところは僕にとってはもってこいなのです。勿論、防寒の用意は欠かせません。

平泉は、まず旧観自在王院庭園を通り、毛越寺へ。
旧観自在王院庭園の看板はあるけど、当の庭園は一体どこに……? と思ったら、雪に埋もれていました。ちょいとげんなり気味の気持ちで毛越寺へ。まずここの庭園にしばらく入り浸ってしまいました。それくらい、雪と氷に覆われた庭園は、どこから見ても飽きないくらい美しかったのです。

金鶏山を経由して中尊寺へ。しかし中尊寺はあまり期待しすぎは禁物かもしれません。
そりゃ、重要文化財ですからおいそれと外に出すのは禁物なのでしょうけれど、最近建てられた建物の中に金色堂を収納するのは、やはりちょいと味気無いように思ってしまうのです。そこがちょっと残念でした。

最後は高館義経堂へ。そこから眺める北上川と駒形峰が、冬の厳しさを物語るようにどっしりと構えていて、圧巻でした。
北上川をずーっと先の方まで見てみると、何やら工事現場が長く続いているようで。これは、文化財保護のために堤防や道路(バイパス)の位置をずらす計画なのだとか。しかし、観光客側としては、何か世界遺産の冠を頂くために躍起になっているような気がしてならないのです。勿論、平泉は有形無形共に後世まで残しておかなくてはならない文化財が多く存在しますが、無理矢理世界遺産を取得するために色々といじくり回していると、何だか取り返しのつかないような気がしまして……。
ただ、地元の皆様の強い想いもあるかもしれませんので、杞憂で終わってほしいと思います。



『岩手県』の写真集についてはこちら

拍手


2009/02/24 23:41 | Comments(0) | TrackBack() | Outdoors

<<前のページ | HOME | 次のページ>>
忍者ブログ[PR]