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2025/07/14 07:18 |
生まれ来る子供たちのために

去る2006年9月29日、東京高等裁判所が、代理出産としてこの世に生を受けた双子のお子さんを、高田延彦さん、向井亜紀さん夫妻の子供として出生届を受理するように東京都品川区に判断を下しました。
その後、品川区は最高裁判所へ許可抗告手続きを申し立てましたが、夫妻はめげることなく、自分たちの子供として一緒に暮らせるように、これからも戦い続けるそうです。

その時の、向井亜紀さんの言葉が、胸に響きました。


「子供の幸せを考えた判断を最高裁でしてほしい」


子供が心から好きなのに。何よりも待ち望んでいるのに。もう自分は二度と子供を産むことができない。それがどれほどの苦しみであり、辛さなのか。男である僕の考えなど、遠く及びません。
今の日本では、出産した女性を母親とする、という法解釈があるけれども、その高く聳え立つ険しい壁に立ち向かおうとも、『代理出産』という道を選んだ彼女は、ただただ純粋に、「愛する我が子がほしい」「一緒に幸せに過ごしたい」という強い願いがあるからでしょう。
他の何物にも勝る願いを持つ、強い女性だという印象を持ちました。


そんな彼女の願いとは裏腹に、次々と起こる忌まわしい事件。

幼児虐待。
児童虐待。

子供を産める体なのに。次の世を紡いでいく担い手を育てられる体なのに。
望まれないまま子供は産まれ、愛されないまま理不尽に死んでいく。
「言うことを聴かないから」「泣き止まないから」。言葉を知らない幼児にとって、泣くことは唯一の意思表示なのに。その唯一残された意思表示さえも、親たちは簡単に、そして無残に摘み取っていく。

仕事が忙しいから? ストレスが溜まっているから? 法律や社会保障が充分じゃないから?
それのどこに、子供を虐げていい理由があるのだろう。
それのどこに、子供の幸せを奪っていい権利があるのだろう。


確かに、今の法律も社会保障も、円満無事に子育てをする上では充分でないかもしれません。幸せな生活を送る上では、高い障壁になっているかもしれません。
でも、親までが障壁になってしまったら、子供はどうやって幸せになったらいいんですか?

もう二度と子供を産めない。それでも、幸せをつかもうと一生懸命になっている人たちもいる。
普通に結婚できて、普通に子供を産むことができて、普通に育てることが出来る。そうであることが、どれだけ幸せなことなのかを、今一度、心に留めておく必要があるのかもしれません。


向井亜紀ブログ

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2006/10/27 12:19 | Comments(1) | TrackBack() | Diary
ネットマナーを考える100の質問

mixiをはじめとするSNSの、色々な日記やコメント等を見ていると、「ああ、ここもやはりパブリック・コミュニケーション系サイトの運命から逃れられないのかな」と感じました。いわゆる、荒らしや誹謗・中傷の顕在化です。

SNSは、原則招待で参加できるサイトですので、招待を貰わなければ発言も投稿もできない。
万が一不適切な発言や投稿をすれば、招待者や登録した友人全員に迷惑がかかる。
だから、ネットという顔の見えない場所ではあるけれども、ある程度質の高いコミュニケーションが保障される。

はずが。

今や会員数は、mixiだけでも500万人超。そしてあの手この手を用いて、匿名性を保持したやり方で登録する等という手口も蔓延しつつあり、SNSの目的として掲げていた『質の高いコミュニケーション』は崩れつつあります。普通の匿名掲示板と何ら変わらない存在に。


こんな時だからこそ、もう一度ネット社会の原点に返って、出来る限り多くの人が気持ちよく使えるためのコミュニケーションは何なのか、というのを、見直さなくてはならないのでは、と思います。勿論、細かいところになると、個々人の考え方の違いがあります。僕が考えるネットマナーだって、別に全てが正しいとは思っておりません。客観的に見れば間違っていたりする事もあります。
そんな時も、当たり前ですが、賛同いただければ「ありがとう」、間違っていれば「ごめんなさい」の気持ちは忘れません。基本中の基本ですから。

以下、『ネットマナーを考える100の質問』より質問を拝借し、僕なりの答えを書いてみました。多少曖昧なところもありますが、これを機に、ネット社会の基礎となるネットマナーについて、お話をお伺いしたり、議論を交わしたりしていけたらと思います。


ネットマナーを考える100の質問

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2006/10/23 11:01 | Comments(0) | TrackBack() | Diary
痛烈な祝辞
父が囲碁の地方大会(といっても交流会みたいなもん)に参加しまして、どうやら初めて プロに勝った らしいのです。
(ちなみに父の囲碁は趣味の領域ですので、実力の程は…… まぁそれなりに(汗))


そんなわけで、家に帰ってきた時の父の有頂天振りと言ったら。
へべれけ状態になった酔っ払いよろしく、手がつけられないくらい浮かれておりました。

一応、家族で祝辞は述べたものの、いい加減クールダウンしてほしいとばかりに、チクリと釘を刺しておきました。


   「プロに勝ったの? ふーん。何歳くらい? 小学生?」

   「むしろ全盛期はとうの昔に過ぎた、無名無実の棋士なんじゃない?」

   「まぁ最近天気が不安定だからねぇ。体調悪くしちゃったんだよ。 40度の熱とか」


チクリどころか神経逆撫でするくらいの情け容赦ないツッコミの数々ですが、この日の父は何を言われてもへこたれませんでした。「フン。何とでも言うがいい!」とばかりに、扇子をあおいで威厳を振りまいておりました。


まぁ、もう少し夢を見させてあげようではありませんか。
そのうち現実を見ることになるんですから。

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2006/10/11 02:30 | Comments(2) | TrackBack() | Diary
新車を愛する者達

新車を購入した人のリアクションは非常に面白い。


車に向けて掌を「ほ~れほ~れ」と振りかざしてみると、

   「いやああぁぁぁっっ! 手垢つけないでええぇぇぇっっ!」


10円硬貨をちらつかせてみると、

   「ちょっおまっ! 俺の愛車に10円傷つけるんじゃねぇっ!」



近所迷惑も憚らずに怒声を上げる姿は、正に痛快。

でも、もし僕がやられる側だったら、多分マサカリ振り回して襲い掛かるかもしれません。
皆さん、くれぐれもやり過ぎには注意しましょう。

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2006/10/09 12:03 | Comments(0) | TrackBack() | Diary
変化のチカラ

久しぶりに昔の友人に会って、色々と話をしていると、ふと思うことがあります。
ああ、こいつ変わったな」って。
でも、『自分自身』に対して、「変わった」と感じることは、あまり無いのではないのでしょうか。

一番身近にいるのに、一番分かっていない人間なのかもしれません。
『自分』というのは。
でも、時々自分を振り返ってみると、「あれ?」と思うことがありです。


   「今までの僕は、こんな考え方をしたっけ?
   「こんな行動をするなんて、昔は思わなかったなぁ

   「ああ、自分も変わっているんだ


かつて、僕は自分も他人も『変わっていく』ことを、受け入れようとしませんでした。
放っておいても、自分が関わらなくても、人は変わっていくのに。
変化を認めたり、受け入れることが出来ず、『過去のまま』を美化し、自分の殻に閉じこもっていました。

表面的に楽しい振りをしていて、一番『変化』に恐れていたのかもしれません。

そんな僕も、やっぱり『変わった』と思うこと。
それは、自分の『変化』が楽しい、と思えるようになってきたこと。
かつて、あんなに恐れていたのに、今は『楽しい』と思っている。
どうなるか分からない未来を、楽しんでいる自分がいるんです。

だからと言って、完全に『変化』に対する『恐れ』を拭い去ったわけではありません。恐れているけれど、同様に楽しんでいる。この感覚は、実は表裏一体なのかもしれません。


人も変わった。同じように自分も変わった。
『変わらないもの』ばかりを大切にしていた自分が、『変わるもの』にも目を向けるようになった。

小さいことだけれど、この自分の『変化』は、もっと、自分の人生を深くさせてくれるのかもしれません。

そんな僕の『変化』は、きっと、僕だけの力で成し遂げたものではありません。
僕を変えてくれた、僕の変化を『楽しい』と思えるようにしてくれた人に、深い感謝の意と、これから先、僕自身も、人の変化に影響を与えられるような、そんな人間になっていこうと思います。勿論、いい意味で(笑)

人の変化を望まなかったのに、人の変化に影響を与えたいと思えることも、また一つの、僕の『変化』なんでしょうね。

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2006/09/27 00:26 | Comments(0) | TrackBack() | Diary

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