「後にも先にも、卒業して3年経った今でも、インテン仲間でここまで集まるところなんてありません。」
って自負できるくらい、直前の連絡にもかかわらず大勢の人が集まった『インテンスペイン語(98年~99年)』の集まり@代官山
しかし、皆変わっていませんでした。本当に。
まあ、前回のサークルの旅行でも、そんなに変わった人なんていなかったのだから、
たかだか3年で激変する人なんて、そうそういないでしょう。
幹事の出っ腹(80GB増量)を除けば。
こういう場で盛り上がる話題といえば、インテン時代の回顧録が専らなのですが、
やはり3年というスパンが、「社会人になってから今までの軌跡」が話題の中心としてしまいました。
「どういったところに勤めてる」だとか、「どういう仕事をしている」だとか。
別にこういう話は嫌いじゃないし、自分の身の上を話す事が億劫である、というわけではないけど、
皆の話を聞いている中で、如何に自分が自分の「望み」や「夢」というものを持たずに、ただその日を生き続けてきただけだったな、というのも思い知らされます。
しかも、それを何かの所為(決して言葉には出さないけれど)にして、自分を誤魔化してたな、と。
ただ「自分の役目」というのを自分で勝手に縛り付けて、自滅するかのように押し付けて、後で勝手に後悔していたような気がします。
まあ、結局は逃げてたってことです。退化を恐れて進化を拒んでました。
だから、皆との話を聞いて、今の自分の身の上と比べて劣等感を感じずにはいられない。
そもそも比べる事自体に問題がある、のかもしれないけれど、
それでも、皆の話は、「かつての自分はこの程度だった」と感じずにはいられない。
だからといって、別に皆を責める理由にはならないし、責めようとなんて蚊ほどにも思いませんが。
皆が、それぞれ自分の望みたい未来を描いて、それに向かって歩いている。
自分も、自分だけの望みを持ってもいいのだろうか。
もうここまで来たんだから、自分が何を望んでいるのかを、はっきりさせるべきなのかも知れませんね。
これから、こういう集まりがあって、その時の自分を誇らしく話せるように。
最初は、ただの捻挫かと思いきや、筋肉に食い込むような激痛であったため、
骨の異常であることが判明。
骨を削る手術が必要と告げられるものの、簡単な手術と聞いたので日帰りかと思ったら、
実は全身麻酔で3日の入院を経ました。
その後はリハビリ。1~2ヶ月はかかり、ようやく普通に痛みを伴うことなく歩く事ができるようになりました。
ただ、1年経った今でも、左足首を曲げると、痛みが走ります。
整形外科の先生曰く、手術後の筋肉の凝固が原因だそうで、痛みを取るにはかなりの時間がかかり、もしかしたら一生付き合っていく、とも。
まあでも、手術前の激痛も、もしかしたら一生の付き合いなんじゃないかって覚悟してたくらいなので、
これくらいはまだ何とかなると思います。
普通に歩けるし、走る事も出来ます(短距離走ができるかどうかは微妙)。
ただし、サッカー(本格的なの)とか、多かれ少なかれ左足首を使うようなスポーツは、この先もう無理かも。
足に高負荷をかけられないので、この1年はジョギングやジム・水泳程度しかスポーツをしていないので、何とも言えませんが。
この手術を受けるまで、『一生付きまとう怪我や病気』というのは、全然ピンと来なかったのですが、
程度は浅かれど、何となく、その付きまとう『重さ』というのが分かったような気がします。
「健康が全てではない」けれども、「健康でなければ全てがない」んですよね。。。
年始のノロといいインフルエンザといい、全く以って病から切り離せない年の幕開けです。
酉年は経済的に豊かになるってジンクスのある年なのに(関係ありません)。
さて、風邪症状のときに必ずといっていいほど、お医者様に処方してもらえる『抗生物質』。
しかし、この抗生物質は『対微生物・細菌』である事に対し、『ウィルス』には効果がない、というのは周知のとおり。
しかも、抗生物質が耐性菌を出現させ、その菌のための抗生物質を開発しても、更に耐性菌が現れる…
いつになったら、というか、多分人類史永久の命題なんでしょうか。『あらゆる菌に効果のある抗生物質の開発』は。
『ウィルス性』の風邪に効かないとわかって、それでも抗生物質を出すのは、主に細菌感染から発症する肺炎対策だということです。
が。
●風邪の症状も、よほど重症でない限り肺炎には至らない
●抗生物質の服用で、肺炎は予防できない
●抗生物質は、肺炎が発症して初めて効果を発揮する
のだそうです(医学の事はほとんど分かりませんが、ちょこちょこっと調べた限りでは)。
さらに、抗生物質を過信して、あるいは間違った方法で服用する事によって、かえって重い副作用を招き、『風邪を引く』以上の重症になりかねない、などとも。
『薬もすぐれば毒となる』とは正にこのことですな。
こういう複雑な社会に生きているからこそ、自分の健康を自分で守るために、一人一人が、病気のこと、薬のこと、健康のことを真剣に考えなければいけないのかもしれません。
皆さんは、どう思いますか?
朝一番の挨拶直後に交わした会話がコレ。
感動するドラマを見たわけでも、いじめられたわけでも、あくびをしたわけでもなく、
原因は、自然界が生み出した恐るべき生物兵器『スギ花粉』。
一年のうちで1・2を争う嫌いな季節が来ましたよ…
アレルギー持ちの関係上、春のスギ、秋のブタクサの花粉にはとっても弱いのですが、
例年、マスクと薬の服用だけで何とか凌ぎきりました。
が。
今年はスギ花粉の悲惨…じゃなくて飛散量が多く、その分累乗的に症状も悪化。
一人暮らしも相成って、洗眼やら食事療法やら、それこそ飛散する懐のお金に泣き伏せながら、着々と準備を進めております。
雨は基本的に嫌いですが、この季節の雨は感謝しております。
なので、日ごと雨乞い。できれば花粉も全て洗い流してくださいって。
「Cyberさん、今度の会議の出欠きぼんぬです。」
「OS起動、キタ
「Cyberさぁん、俺もうダメポっすよー。」
聞いてるこっちも恥ずかしいが、言ってる君も恥ずかしいのが分からないかっ!
君のお母さんが泣いているぞっ!
無駄な抵抗はやめて、日常会話に戻りなさいっ!