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2025/08/30 10:50 |
[Review] デスノート 後編 -the Last name-
デスノート 後編 the Last name『デスノート 前編』は、言わばプロローグ。
死神が落としたデスノートとは何なのか。それを操る主人公でありキラでもある夜神月は、どんな人物なのか。
キラとして一切表に出ず、犯罪者達を粛清し続ける裏で、最後の切り札としてキラを探し出す名探偵・L。その動きを見透かすかのように犯罪者達を次々に裁き、「自分をキラだと疑う」余地すら与えないように、Lに近づき、葬ろうとするキラ。
ゆっくりと、しかし確実に対決の時は迫っている。

そして『デスノート the Last name』では、ついに二人が出会う。如何に相手の思惑を出し抜き、事前に備え、勝利に導くか。静かに、鋭く、そしてスピーディに『キラ事件』の核心に迫る。
誰一人予想し得ない驚愕の結末。果たして、誰が死に、誰が生き残るのか     



という過度の期待は、ある意味危険を伴うということを、この作品で再確認致しました。特に、原作ファンの方は要注意なところがあります。
勿論、原作コミックス『DEATH NOTE』を読んでからこの作品を観るのは、ちっとも悪くありません。『デスノート 前編』に比べれば、物語の展開は明らかにスピーディになっていますので、より深く理解しながら鑑賞するためにも、原作を読んでおくのはいいことだと思います。
ただ、僕にとって大誤算だったのは、原作を「知り尽くしている」こと。既にコミックスも何回と繰り返し読んでいるほど、『DEATH NOTE』にははまっておりますので、原作で使われたトリックや手口、心理戦の応酬の数々は、大方把握しております。その上で『デスノート the Last name』を鑑賞すると、その知識が逆に仇になってしまいました。

そういう意味では、映画版ならではのオリジナリティをもう少し出して欲しかったな、というのが正直なところ。前後編通して、最もオリジナリティ溢れる部分は、前編の『秋野詩織の死亡シーン』でしょうか。やや無理はあったものの、映画としてのオリジナルな展開として楽しめたと思います。
まあ、オリジナルである原作の世界を壊して欲しくない、という意見も少なからずあったようなので、仕方なかったのかもしれませんが。
でも、ラストの命を賭けた衝撃的な展開は、誰もが釘付けになること間違いありません。


一方で、実際にキラが出現し、犯罪者を次々に殺していくということが、もし本当に実際の世界で起こったときの描写は引き込まれ、そして凍り付いてしまいました。
世に蔓延る犯罪者が粛清され、普通に生きる人たちが安堵する一方、それはもはや究極の監視社会。どんな思想も、どんな反対意見も、キラの前では全て塵芥のように屠られる。次第に、人々は考えることを止めてしまう。
   「キラについていけば、平和な生活が保障される
   「キラを信じていれば、安全な未来が約束される
人間、全てを人任せにすることほど楽なことはありませんから。一方向的な思想に染まり、考えることの一切を止めてしまった人間社会は、もはや廃れていく一方でしょう。

かく言う僕も、世間を震撼させる凶悪犯罪の数々をニュースで見て、「キラがいれば…」と思ってしまうこともなくはありません。が、仮にいて犯罪者を殺していくとして、この作品に出てくる一般市民のように、何が正しく何が間違っているのか、自分で考えない抜け殻のような社会になってしまうのであれば、もうそれは『正しい』『間違い』の範疇を越えている。

ただの、凶悪殺人者としか、思えない。


というわけで。
原作を知っている人も知らない人も、思う存分楽しめる映画であることは間違いありません。が、必要以上に原作を引きずらないよう、映画としての『デスノート the Last name』をお楽しみ下さい。
そして、是非皆さんで考えてみてください。「本当に犯罪者のいない社会を作り上げるには、一体どうすればいいのか」を。

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2006/11/04 12:37 | Comments(4) | TrackBack() | Review - Movie
早朝の戦い

朝。それはその日一日を左右する大切な時間であり、僕にとっては戦いの時間でもある。


僕の朝は、精神統一から始まる。来る戦いのために。
寝巻きを外し、シャワーを浴びる。一日の始めに行われる禊ぎ。
朝の独特のひんやりと冴え渡る空気と、間断なく流れるシャワーの水が、僕の精神をより一層引き締めてくれる。
熱くなるな。頭を冷やせ。そして常に集中していろ。
呪詛のように、頭の中で繰り返し唱える。

禊ぎが終われば、目を瞑り、暫し精神統一。
丹田に力を入れ、不動明王の如くその場に立ち尽くす。微塵も動いてはならない。
部屋の空気を全て吸い尽くすくらいの深呼吸。
徐々に呼吸を落ち着かせ、やがてその音すら静まり返る。心拍の音さえ極限まで鎮める。
周囲は、無音。あるのは、体から時々滴り落ちる水の音のみ。


時間が来た。朝7時前。
ドクン  ドクン  ドクン
まるで、スタートラインに立っている時のアスリートのように、緊張感で心臓が高鳴っている。
額から滴り落ちる汗。頬を伝い、やがて顎から雫が落ちる。
落ち着け。集中しろ。
その目と、その耳を研ぎ澄ませろ。
さあ、戦いの火蓋は、切って落とされた。いざ、尋常に勝負!



「あっちむいてズー」
(「あっちむいてズー」の音楽に合わせてお楽しみください。)

あっちむいてズー

ズーミン ズー どっち向くのー?
あっち向いてズー♪
こっち向いてズー♪

あっち向いてこっち向いて あっち向いて…

だ! 


ズー!

あっちむいてズー




YES ! YES ! YEeeeeeeeeeeeeeeeeeeeS !!


朝、閑静な住宅街のど真ん中で、一人咆哮を上げる男・Cyber。独身。四捨五入して30歳。
自分で自分のことを、「You Win !!」なんて言っているんだから手がつけられません。


こうして、朝の戦いは終わりを告げ、出勤の身支度をするのでした。
ちなみに、勝率は15%くらい。愕然に低いわけではなく、かと言って高くも無い、非常にコメントし難い勝率です。

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2006/11/01 07:14 | Comments(1) | TrackBack() | Diary
[Review] 地下鉄(メトロ)に乗って
地下鉄(メトロ)に乗って色々な意味で切なくなった映画です。そう、『色々な意味で』というのが重要なポイント。

この作品の原作である、浅田二郎の小説『地下鉄に乗って』は、実は未読なのですが、特に小説を読まなくても、十分に映画の世界に入り込めると思います。
ただ、如何せん2時間という限られた範囲で、数回に渡って昭和の世界へタイプスリップし、過去を垣間見る、という構想ですから、少し詰め込みすぎ、という感じも。現在と過去を行ったり来たり、というのが、ちょっと忙しいのでは、と感じました。

この作品のメッセージは、「ごめんなさい」。
「謝罪」ではなく、「ごめんなさい」です。「謝罪」というと、それだけで堅苦しくなるし、何となく政治的な匂いを醸し出すから。謝る、という行為としては同じだけれど、もっと人間味溢れる感情表現であるには、やはり「ごめんなさい」という表現が似合っています。

   「父が僕たちをどう思っていたのか、分からなくて、ごめんなさい」

   「母が幸せに生きることを願っていたのに、そうしなくて、ごめんなさい」

過去にタイムスリップして、父と、母の本当の気持ちと、本当の願いを垣間見ることが出来た。今まで仲違いをして、ちっとも気持ちを理解しようとしないで。
あんなに憎んでいたのに。あんなに親のようにはならないと頑なに思っていたのに。今は、貴方の息子で、貴方の娘で、誇りと思わずにはいられない。


連綿と過去が連なっているからこそ、未来があります。この幸せを願う親の想いがあるからこそ、今、僕たちは幸せに生きています。当たり前で、見失いがちなことだけれど、だからこそ忘れてはいけない。
今、色々なところで子供を虐げる事件が起こっているけれど、もし自分が虐げられる立場であったなら、今のような生活であってのか。よく考えてほしい。考えすぎかもしれませんが、この作品の裏には、そんな現代の問題に対する警鐘もはらんでいたのかもしれません。

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2006/10/31 21:27 | Comments(1) | TrackBack() | Review - Movie
[Review] 父親たちの星条旗

父親たちの星条旗硫黄島の戦いの最中に撮影された、一枚の写真。その一枚の写真が、アメリカ全土を巻き込む罪を作り出した。
何も知らない役人が、国民が、疲弊した兵士達を仮初めの英雄に仕立てた罪。その兵士達の運命を一変させてしまった罪。
戦争に対し背を向け始めた風潮の中で、再び勝利に向けて結ばれた団結心と引き換えに。

「戦争に勝つ。そのためには、アメリカ国民を一丸とするための『英雄』が必要だ」
奉られた英雄となるために支払った彼らの対価は、その身に受けるには重く、そして残酷なものだった。


クリント・イーストウッド監督が、アメリカ側の視点で描いた硫黄島の戦い、『父親たちの星条旗』。
この作品は、硫黄島の戦いそのものを描いている、というよりは、戦いが終わり、アメリカ本土に帰還した兵士達のその後を描いている作品です。
そして、やはり彼らも殆どの戦争体験者と同じ、カメラのフラッシュや、花火の爆音を聞くだけで、凄惨な戦場の光景がフラッシュバックで蘇ります。それだけならまだしも、目に浮かぶのは友の死。どこからともなく聞こえてくる、友の声。まるで、戦場に散った友の御魂が呼びかけてきているかのように。

二度と目にしたくない、でも目に焼きついて脳裏から離れない、あまりにも惨たらしい戦場。
同胞の死を目の前にしても、生き延び、本土に帰還するや否や、熱烈な歓迎ムード。
どこそこに広がる、笑顔。笑顔。笑顔。
歌って踊る、派手な晩餐会。誰も、硫黄島で散っていった戦士を偲んだり、涙を流したりしない。

何日も続く虚しい祭典。そのたびに、あの時の忌まわしい記憶が蘇る。
やめろ。もうやめてくれ。
そう叫びたいのに、そうさせてくれない。
罪悪感にも似た苦悩に襲われる。同時に、喝采する人間を呪いたくなる。
奉るだけ奉る。それは凄惨な戦場を知らない者の、自分勝手な自己満足のため。それが満たされれば、仮初めの英雄は、もう用済み。

何も知らないくせに! あの惨状を味わった事が無いくせに!
やめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろ
もう沢山だ     !!



僕の祖父も、大東亜戦争で近衛兵として駆り出されました。
前線で戦ってはいないものの、戦時中の苦難の道のりは、孫である僕はおろか、僕の母である自分の娘にすら語ろうとしませんでした。勿論、当時の苦悩を知りうる者は、当時の『戦友』以外の何者でもない、ということもありますが、同時に、当時の形容し難い『凄惨さ』や、戦争を喰い物にするという汚された事実を、自分の子孫に知って欲しくない、という意味もあったのかもしれません。

これまでに数多くの戦争が繰り広げられてきました。
二度とこんな愚考に走らないように、沢山の戦争話が後世に語り継がれています。
同時に、二度と語りたくない、封印された戦争話もあります。
語り継がれる話だけでは決して見えてこない、戦争の裏に潜む悲しく残酷な物語。それを掘り起こし、形にすることだけでも、形容しがたい苦悩があるのかもしれません。『男たちの大和』でもそうでした。何も勇壮さだけが戦争の真実ではない。
けれど、そうしなければ呪われた歴史を解き放つ事もできないかもしれない。未来永劫、隠蔽されたまま。本当の真実は、どこに存在するのか。それを教えてくれる作品であると思います。

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2006/10/29 00:27 | Comments(5) | TrackBack() | Review - Movie
生まれ来る子供たちのために

去る2006年9月29日、東京高等裁判所が、代理出産としてこの世に生を受けた双子のお子さんを、高田延彦さん、向井亜紀さん夫妻の子供として出生届を受理するように東京都品川区に判断を下しました。
その後、品川区は最高裁判所へ許可抗告手続きを申し立てましたが、夫妻はめげることなく、自分たちの子供として一緒に暮らせるように、これからも戦い続けるそうです。

その時の、向井亜紀さんの言葉が、胸に響きました。


「子供の幸せを考えた判断を最高裁でしてほしい」


子供が心から好きなのに。何よりも待ち望んでいるのに。もう自分は二度と子供を産むことができない。それがどれほどの苦しみであり、辛さなのか。男である僕の考えなど、遠く及びません。
今の日本では、出産した女性を母親とする、という法解釈があるけれども、その高く聳え立つ険しい壁に立ち向かおうとも、『代理出産』という道を選んだ彼女は、ただただ純粋に、「愛する我が子がほしい」「一緒に幸せに過ごしたい」という強い願いがあるからでしょう。
他の何物にも勝る願いを持つ、強い女性だという印象を持ちました。


そんな彼女の願いとは裏腹に、次々と起こる忌まわしい事件。

幼児虐待。
児童虐待。

子供を産める体なのに。次の世を紡いでいく担い手を育てられる体なのに。
望まれないまま子供は産まれ、愛されないまま理不尽に死んでいく。
「言うことを聴かないから」「泣き止まないから」。言葉を知らない幼児にとって、泣くことは唯一の意思表示なのに。その唯一残された意思表示さえも、親たちは簡単に、そして無残に摘み取っていく。

仕事が忙しいから? ストレスが溜まっているから? 法律や社会保障が充分じゃないから?
それのどこに、子供を虐げていい理由があるのだろう。
それのどこに、子供の幸せを奪っていい権利があるのだろう。


確かに、今の法律も社会保障も、円満無事に子育てをする上では充分でないかもしれません。幸せな生活を送る上では、高い障壁になっているかもしれません。
でも、親までが障壁になってしまったら、子供はどうやって幸せになったらいいんですか?

もう二度と子供を産めない。それでも、幸せをつかもうと一生懸命になっている人たちもいる。
普通に結婚できて、普通に子供を産むことができて、普通に育てることが出来る。そうであることが、どれだけ幸せなことなのかを、今一度、心に留めておく必要があるのかもしれません。


向井亜紀ブログ

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2006/10/27 12:19 | Comments(1) | TrackBack() | Diary

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