硫黄島の戦いの最中に撮影された、一枚の写真。その一枚の写真が、アメリカ全土を巻き込む罪を作り出した。
何も知らない役人が、国民が、疲弊した兵士達を仮初めの英雄に仕立てた罪。その兵士達の運命を一変させてしまった罪。
戦争に対し背を向け始めた風潮の中で、再び勝利に向けて結ばれた団結心と引き換えに。
「戦争に勝つ。そのためには、アメリカ国民を一丸とするための『英雄』が必要だ」
奉られた英雄となるために支払った彼らの対価は、その身に受けるには重く、そして残酷なものだった。
クリント・イーストウッド監督が、アメリカ側の視点で描いた硫黄島の戦い、『父親たちの星条旗』。この作品は、硫黄島の戦いそのものを描いている、というよりは、戦いが終わり、アメリカ本土に帰還した兵士達のその後を描いている作品です。
そして、やはり彼らも殆どの戦争体験者と同じ、カメラのフラッシュや、花火の爆音を聞くだけで、凄惨な戦場の光景がフラッシュバックで蘇ります。それだけならまだしも、目に浮かぶのは友の死。どこからともなく聞こえてくる、友の声。まるで、戦場に散った友の御魂が呼びかけてきているかのように。
二度と目にしたくない、でも目に焼きついて脳裏から離れない、あまりにも惨たらしい戦場。
同胞の死を目の前にしても、生き延び、本土に帰還するや否や、熱烈な歓迎ムード。
どこそこに広がる、笑顔。笑顔。笑顔。
歌って踊る、派手な晩餐会。誰も、硫黄島で散っていった戦士を偲んだり、涙を流したりしない。
何日も続く虚しい祭典。そのたびに、あの時の忌まわしい記憶が蘇る。
やめろ。もうやめてくれ。
そう叫びたいのに、そうさせてくれない。
罪悪感にも似た苦悩に襲われる。同時に、喝采する人間を呪いたくなる。
奉るだけ奉る。それは凄惨な戦場を知らない者の、自分勝手な自己満足のため。それが満たされれば、仮初めの英雄は、もう用済み。
何も知らないくせに! あの惨状を味わった事が無いくせに!
やめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろ
もう沢山だ !!
僕の祖父も、大東亜戦争で近衛兵として駆り出されました。
前線で戦ってはいないものの、戦時中の苦難の道のりは、孫である僕はおろか、僕の母である自分の娘にすら語ろうとしませんでした。勿論、当時の苦悩を知りうる者は、当時の『戦友』以外の何者でもない、ということもありますが、同時に、当時の形容し難い『凄惨さ』や、戦争を喰い物にするという汚された事実を、自分の子孫に知って欲しくない、という意味もあったのかもしれません。
これまでに数多くの戦争が繰り広げられてきました。
二度とこんな愚考に走らないように、沢山の戦争話が後世に語り継がれています。
同時に、二度と語りたくない、封印された戦争話もあります。
語り継がれる話だけでは決して見えてこない、戦争の裏に潜む悲しく残酷な物語。それを掘り起こし、形にすることだけでも、形容しがたい苦悩があるのかもしれません。『男たちの大和』でもそうでした。何も勇壮さだけが戦争の真実ではない。
けれど、そうしなければ呪われた歴史を解き放つ事もできないかもしれない。未来永劫、隠蔽されたまま。本当の真実は、どこに存在するのか。それを教えてくれる作品であると思います。
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コメント
俺もこれ課長からすすめられた。
にしてもクリント・イーストウッドってやっぱ名監督なんだねぇ。
勿論、映画そのものに対し、ではなく、『戦争』という惨状を全く知らず、自分たちの自己満足や利権のために戦争を利用した人たちに対して、です。
前に、『父親たちの星条旗』公開を控え、クリント・イーストウッド監督のインタビュー文を見ました。「アメリカのイラク戦争は、必ずしも支持していない。その戦争の裏で、多くの住民、多くの兵士が犠牲になったからだ」という内容のメッセージでした。
彼の戦争観はシンプルであるものの、それを訴える手法は非常に重厚である、ということが本当によく伝わってくる作品です。
>相変わらずいいレビューを書くね。
>俺もこれ課長からすすめられた。
>
>にしてもクリント・イーストウッドってやっぱ名監督なんだねぇ。
戦争はどんな文献を読んでも、話を聞いても、そこで実際に戦ったものでなければ、その過酷さや残忍さはわからないのかもしれませんね・・・
いまさっき側にいた戦友が一瞬にして鮮血を流しばたばたと倒れて死んで行く様を目の当たりにしながら、生き残っただけの自分達が英雄として祭り上げられて、華やかな場所に引き出されれば出されるほど、逆に悪夢にうなされ苦しみが増していくアイラが痛々しかったですね~
この映画は、映像の色彩を極力抑えて、戦闘シーンの過激さで戦争の残忍さや無意味さを伝えようとするのではなく、表向き英雄として祭り上げられた三人の苦悩や戦後の生き方から戦争というものを伝えようとする、クリント・イーストウッド監督らしいクールさが冴えていました。「硫黄島からの手紙」も是非鑑賞してからもう一度本作も振り返りたいと思います。
BLOGを2つお持ちなのですね。TBをお送りいたしました。
この映画が公開される前に、どこかの新聞でクリント・イーストウッド監督がイラク派兵政策を非難したインタビュー記事を読んだことがあります。
『世界の警察』と呼ばれているアメリカ軍。それを送り込む事によって、イラク情勢が好転することもあった。しかしその裏で、戦争の犠牲になった住民の他にも、派遣されたアメリカ兵の悲劇(日々の戦闘に耐え切れず自殺/ストレスが鬱積し、家族へ暴行 等)が生じたのも事実。
兵士が苦しいのは、何も戦時だけではない。戦争を知らない私達の心がけ次第で、兵士に戦時以上の苦痛を味わわせてしまうことだってある。クリント・イーストウッド監督は、それを言いたかったのではないかと思います。
日本側から見た『硫黄島からの手紙』も、是非観賞しようと思います。私達の祖父や父親が、どんな想いで硫黄島の戦いに臨んだのか。そしてそれをハリウッドきっての監督がどう表現するのか。
今のこの時でも、気持ちが高ぶっています(笑)
詳しく書かれているブログだったので、TBさせていただきます。
戦時中の苦痛そのものではなく、戦争後の『英雄』とされてしまった人達の苦悩がが、三者三様で描かれていたと思います。事実は小説よりも奇なり、と申しましょうか。
それでも、彼らにとって共通に持っている想いが、「戦友のために戦い、戦友のために命を賭けること」。結局本土に帰った後のお膳立ては、戦争を知らない者の自己満足を満たすためだけに過ぎない。彼らの彼らとしての存在理由は、戦友のため、というのが、色濃く描かれている作品だと感じました。
>私も観てきました。とてもいろいろ考えさせられました。
>詳しく書かれているブログだったので、TBさせていただきます。
「父親たちの星条旗」は、何気ない「国旗掲揚」の写真から「戦争の英雄」に祭り上げられた若い兵士達の苦悩がよく描かれている、とても良い作品でしたね。
作品を観る前は、もっと硫黄島の戦闘ばかりにスポットが当てられていると思っていたのですが、花火やストロベリーソースのシーンから戦闘シーンにオーバーラップする部分はとても印象に残りました。
私の伯父も4人、太平洋戦争に参加して、2人は戦死し、1人はシベリア抑留されました。生き残って帰ってきた伯父たちは、戦争のことを語りません。
それだけ悲惨な経験をしたのだなぁ・・・と想像するしかないのが、戦後世代の私にとってツライところです。
12月公開の「硫黄島からの手紙」がますます楽しみです。予告編だけで涙ウルウルになってしまったので、今からドキドキです・・・。
またTBさせて頂きますので、よろしくお願いしますね!
『父親たちの星条旗』は、とりわけ感動を促すような映画ではありませんでしたが、とても重く、戦争を『知る者』と『知らない者』とのあまりにも大きいギャップに、観ているこちらも辛くなる映画でしたね。
勿論、当の本人が、当時味わった苦しみに比べれば、小さいものですが…
本当の戦場というものは、とても奇麗ごとでは言えない凄惨な光景なのに、それを喰い物にし、まるで自分が真の正義であるかの如く振舞う。それを築き上げてきた、夢半ばに戦場に散っていった者たちを置き去りにして。
「戦争を始めるのは兵士ではない。政治が戦争を始めるんだ。
そして、兵士は常に政治の喰い物にされる」
以前、どこかで聞いた台詞ですが、その台詞が痛いほど胸に突き刺される、そんな作品に思います。