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2025/08/12 22:49 |
[Review] シルク

シルク鑑賞前のこの作品に対する最初のイメージは、『触覚』。絹のような滑らかで上質な質感。確かにそこにあるのに、まるでそこに無いかのようなに感じるのは、まるで儚さ。『パフューム ある人殺しの物語』で見事なまでに表現された『香り』、つまり『嗅覚』と同じように、『触覚』も、『映画』というメディア上では表現することはできない。けれど、洋の東西をまたいで旅し、人々との触れ合いの中で核となる『絹』に、決して表現できない、でもまるで『触れている』かのような感覚を表現しているのではないか、と思っていました。
実際に鑑賞してみると、それまでのイメージとは全く違う。それは、いい意味でも悪い意味でも裏切られたわけではなく、想像をはるかに超えた、芸術作品でした。

確かにそこにあるのに、まるでそこに無いような。触れ得るのに、触れることが出来ないような。
儚さを感じる、一遍の詩。消え入りそうな、一曲の音楽。幻にも思える、一枚の絵。油絵ではなく、水彩画や水墨画のような。
そう、この作品は、作品そのものが『絹』。触れているのに、そこに見えるのに、不安になる、心許なくなる。あまりの手触りのよさに、しばし恍惚にひたるけど、再び目をやると、指の間からするりと滑り落ちてしまう。
それでも、触れていたい、追い求めたいと思うのは、一度その美しさに触れてしまったが故の己の欲望なのでしょうか。


異国の地で、男は絹のような肌の少女に出会い、そしてその肌に触れる。その瞳も、その唇も、雪のような肌も全て、彼の目に焼き付いて離れない。その男の妻も、最初は彼を追い求める。異国の地で何があったのか、表層部分しか聞かされない。心ここにあらずなのは、きっとそれ以上に心奪われる『出会い』があったから。

触れることができない。絹のように儚いから。

男は少女で心の中を満たす。でも、決して全てが満たされるわけではありません。少女は最果ての国、日本に住んでいる。そう簡単には会えない。会えたとしても、その肌に、その憂える温もりに触れられるだろうか……
女は男の肌の温もりを感じる。でも心の温もりは感じない。今の彼の心の中に、自分はいない。こんなにも近くに触れたいものがあるのに、あまりにも遠すぎる。空気のようで、掴み所が無い。もし叶うなら、彼の心を満たす存在に、私がなりたいのに……


最後の方で、マダム・ブランシュが読み上げる手紙。その内容は、全身の毛が弥立つくらい、切なく、そして悲しいものでした。
もう二度と、愛する男の身に触れることは出来ない。でも、せめて、彼の心に触れていたい。留まりたい。彼の心を満たすことが出来れば、もう絹のように心許なくするりと滑り落ちるようなことはなく、不安に駆られることはないから。これからも、ずっと。永遠に。

あなたの幸せのためなら、ためらわずに私を忘れて。
 私も未練を残さず     、告げましょう、さようなら。


これは僕なりの解釈ですが、心の中を満たしたい存在であり続けたいのであれば、「忘れて」という言葉は使わないはずです。あくまで、「触れ得ぬ存在となるくらいなら、目に見える存在としての『私』を忘れて」という意味なのではないのでしょうか。
誰にも消せない温もり。それは、彼の『心』を満たすことで初めて叶えられる願い。人の想いの強さと同時に、人の想いの儚さを、静かに綴った作品です。

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2008/01/20 00:59 | Comments(0) | TrackBack() | Review - Movie
[Review] スウィーニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師
スウィーニー・トッド/フリート街の悪魔の理髪師史上最強と言っても過言ではない、ティム・バートン監督と名優ジョニー・デップのコラボレーション。これまでもダークなのに不快感がほとんど無く、且つコミカルにキャラクターが躍動する映画はいくつかありますが、この作品はその真骨頂と言えるのかもしれません。
第56回ゴールデングローブ賞で、作品賞(ミュージカル・コメディ部門)、監督賞(ティム・バートン)、主演男優賞(ミュージカル・コメディ部門/ジョニー・デップ)、主演女優賞(ミュージカル・コメディ部門/ヘレナ・ボナム・カーター)と4部門がノミネート。うち、作品賞と主演男優賞を見事受賞。血がドバドバ噴出するスプラッター映画は、好き嫌いがはっきりと分かれ、賛否両論が多くあります。特にこの映画は、本当にシリアスに、リアリティを求めて演出すれば気持ち悪いことこの上ないですし。しかし、この作品は元々ミュージカルですし、しかもティム・バートン監督ならではの、コミカル&ファンタジーに仕上がっています。大抵、モノトーンの作品は陰鬱になりがちなのですが。
ですので、どなたでも楽しく(?)観賞できるのではないかと思います。
(『ティム・バートンのコープス・ブライド』でたとえるなら、ミュージカル風に演じているところは、コミカルで色彩溢れる死者の世界、それ以外の部分は、ダークでモノトーン、色味がほとんど無い人間界、というところでしょうか)

勿論、喉元掻っ捌いて血が止め処なく噴出するシーンは、惜しみなく表現されておりますので、そこら辺はご鑑賞の際はご注意を。


この作品は、主演にしても脇役にしても、それぞれ追い求めているものがあるのですが、みんな例外なく屈折しています。性格、というか、対象を追い求めようとしている『方法』そのものが(汗)。
スウィーニー・トッドの何が何でもその首元に刃を切り付けたいと願う復讐心。スウィーニーを自分のものにするために色々と画策したり、妄想に耽るミセス・ラベット(怖さで言えばこの人かもネ。最後の方の台詞"Tobby, Where are you ?"が、『ティム・バートンのコープス・ブライド』での、"Victor, Where are you ?"を彷彿させて、身震いしましたデス……)。スウィーニーの妻と娘に異常なまでの愛情を抱き、手に入れるためには手段を選ばず、時には人生を破滅に追いやるターピン判事。たとえボッコボコに殴られ蹴られながらも、一度恋心を抱いた娘は死んでも追いかける青年アンソニー。
うわーっ、これだけのキャラクターが一度に会した作品は、普通はウゼェ! と感じること請け合いなんでしょう。でも不思議とそうと感じなかったところにも、ティム・バートンの鬼才が発揮されていたのではないのでしょうか。

しかしまぁ、そんな中でもジョニー・デップのアクの強さは、この作品でもいかんなく発揮されているようです。
かつて柔和な笑みを絶やさなかった理髪師ベンジャミン・バーカーとは思えない、本当に同一人物なのか疑ってしまうほどの変貌振りのスウィーニー・トッド。己の復讐を遂行する事に何の躊躇いもなく、進んで『悪役』になる、いやなるだけではなく徹しきることに悦んでいる。『パイレーツ・オブ・カリビアン』シリーズのジャック・スパロウと同じように、よくある主人公像ではなく、もっと歪んだ性格・性質を持つ役に惹かれるジョニー・デップにとって、正にうってつけだったのでしょう。

本来ダークな物語が、コミカルなファンタジーに仕上がっているのですから、どことなく商業主義に走っているふうに捉えられるのかもしれません。しかし、それはほとんどと言っていいほどなく、むしろ監督をはじめとする出演者も含めた、ある意味での趣味の世界に走っています。
大抵制作者サイドの趣味の世界に走った作品というのは、失敗に終わる、もしくはほんの一握りの観客しかうけない、というのがお決まりなのですが、不思議ですよね、ティム・バートンとジョニー・デップが関わると、むしろ魅入ってしまう人が多い。それは勿論、彼等の持つ監督もしくは俳優としての魅力もあるのでしょうけれど。

ありきたりな展開もいいけれど、たまにはこれまでとは全くと言っていいほどの雰囲気の作品を鑑賞したい、という方に、お勧めの作品です。

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2008/01/19 12:54 | Comments(0) | TrackBack() | Review - Movie
日本語テスト 口説き力判定

ネットに掲載されていた広告の文字列が琴線に触れて、やってみました『口説き力』判定。勿論、恋愛関係における口説き力判定と勘違いしたのは言うまでもなく。あくまでこの『口説き力』とは、ビジネスにおける説得力の力でございます。そして既にこのテストは3回目なのね。

テストは2段階の合計20問。
まず、10問が日本語力テスト。日本語が正しく使えているか、日本語の語彙や慣用句、漢字能力をテストします。次いで心理テストのような10問。様々なシチュエーションで使いたいと思う言葉を選んで、ビジネスシーンでの口説きタイプを診断する、というもの。


そして、結果はこちら↓


口説き力判定



1.基本タイプ 曲がったことがとにかく嫌いなあなたは、口説き方も筋を通すことが最優先。どんなときでも堂々と正論で勝負するタイプです。ただしあまりに潔癖すぎると、人から煙たがられる存在として扱われる危険性も。TPOに応じた柔軟性をもつと吉。
2.あなたの武器 なにごとも理詰めで考え抜く合理的な思考力があなたの持ち味。それに加えて、熱い正義漢の側面も持ち合わせています。日本語力は上々。ただ、正論だけの日本語は時に反発を買いそう。表現のバリエーションを増やすことで、説得力アップをめざしましょう。


日本語基礎力はまぁまぁ。割と基本的な問題が多いですから、コミュニケーションの場でそれなりに日本語を使いこなしていれば大丈夫かと。
しかし口説き力としたら、『合理的』というのはいい意味だけど、悪く言えば、理に適った正論を、冷徹に淡々と話すから、潔癖すぎて煙たがれるみたいです。まぁ、僕はもともと成長が極っ端に遅いので、自分でペース構築をしつつ、多彩な表現やアドリブを駆使して人と喋るのは、かーなーり時間がかかるのです。それまではどうするのかというと、手持ちの正論やデータを元に、淡々と喋るだけ。営業的観点からすれば、つまらないことこの上ないでしょう。

口説きの道は一日にして成らず、ということですかな。
ビジネスでコレですから、恋愛なんてもはや底辺ではないかと。

もういくつ寝ると三(以下自粛)。先が思いやられます。

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2008/01/18 00:47 | Comments(0) | TrackBack() | Diary
[Review] ホテル・ルワンダ
ホテル・ルワンダここで起こっている虐殺の映像が世界に伝われば、きっと助けが来る

いや、助けなど来ない。大半の人が『怖いね』と思うだけだ

1994年にルワンダで起こったルワンダ紛争。フツ族とツチ族が対立し、フツ族過激派がツチ族を虫けらのように扱い、大量虐殺を図る。時として、同じ種族であるフツ族も、過激派に同意しなければ、彼らの銃弾の犠牲になる。同じ肌の色をし、同じ場所に住み、同じ血の通う同胞なのに。
その原因は、植民地化するための欧米先進国の利権のための策略。遠因とはいえ、その策略の延長線上に、今の豊かな生活が存在する。なのに、彼らにとっては『違う世界』と簡単に切り捨てられる。そして、「自分以外の誰かが彼らを救ってくれる」と考える。


ドン・チードルが演じる、高級4つ星ホテル『ミル・コリン・ホテル』の支配人ポール・ルセサバギナも、黒い肌を持ち、ルワンダに住む土着の民族とはいえ、先進国に住む者と同じような立場にあった。各国の要人が宿泊するようなホテルの支配人だから、食べ物も、着るものも、住む所も困らない。家族も同じ、裕福な家庭。だから、身の回りで勃発している紛争も、どこか他人事で、すぐに収まる、誰かが解決してくれる、と思っていた。
でも、無力なままに国連が平和維持軍を撤退させ、ホテルに滞在する『外国人』を避難させた瞬間、ようやく自分の本当の立場を悟る。たとえこれまで幸せで、裕福な人生を送っていようとも、自分が『フツ族』であるというだけで、理不尽が線引きが成される。助けてほしい時に、守ってもらいたい時に、理不尽に報酬を請求される。同じ民族なのに、まるで金持ちは助け、貧乏人は野垂れ死ねを言わんばかりに。

世界の人種差別は、未だに終わっていないことを、身を以って突きつけられる。

しかし、そんな苦行の中で、彼は少しずつ変わっていった。
最初は、自分の身と、家族親族だけが助かればいいと考えていた。でも、今や自分のホテルの中には、自分が意図して匿った人たちも大勢いる。道中、あんな身の毛も弥立つような、腹の中全てを吐き出してしまいそうな虐殺の跡を見たからだ。
誰にも看取ってもらえない。誰にも埋葬してもらえない。誰にも弔ってもらえない。ただそこに存在する『もの』のように、打ち捨てられた見渡す限りの死体。それでもまだ、ツチ族を殺そうと息巻いているフツ族過激派がいる。たとえ自分たちが助かっても、これから先も、こんなおぞましい光景を見続けなければならないのだろうか。


未だに終わらない人種差別。同じ血を分かつのに繰り広げられる民族紛争。理不尽に線引きされる屈辱。それを見て何もできない屈辱。それを見ても何もしない恥辱。
この作品には、これまで人類が仕出かしたことによって吐き出された『汚点』が数多く凝縮されている。まるで、利便性を追求するあまりに今まで見ようともしなかった自然環境の汚染のように。そして、これからも背負わなければならない罰として、僕たちの背に圧し掛かる。

銃声や怒声に怯えることなく、誰もが笑って日々を暮らせる時は来るのだろうか。でもそれは、今を生きる僕たち全員の、努力と選択にかかっている。彼らが受ける屈辱は、僕たちに向けられる屈辱でもあるのだから。

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2008/01/17 00:40 | Comments(0) | TrackBack() | Review - Movie
[Review] ジェシー・ジェームズの暗殺
ジェシー・ジェームズの暗殺お前は俺のようになりたいのか? それとも『俺』になりたいのか?


マンガや映画など、アウトローの主人公が、破天荒ながらもその堂々たる生き様を描いた作品は、数多くあります。そして、今も昔も、そんなアウトローに憧れ、彼等と同じようにアウトロー振りを発揮しながらも、結局警察沙汰になったり……
端から見たら『カッコいい生き様』のように見えても、罪は罪。赦されるはずがありません。それでも求めずにはいられないのは、男のロマン故でしょうか……(汗)

ただ、罪を犯した者に一生付きまとう『呪い』は、覚悟した方がよさそうです。
だって、たとえそれが『正義の名の下』とはいえ、人を殺して諸手を挙げて喜ぶ者など、きっと居はしないから。ブラット・ピットが演じるジェシー・ジェームズの『呪いの連鎖』と断ち切ろうとも、周囲を震撼させた極悪非道な犯罪者に引導を渡そうとも、殺してしまえば、自分も同じ穴の狢。
ジェシー・ジェームズのような生き様に憧れ、その世界に足を踏み入れた者の末路は、結局のところ、自らの犯した罪に押しつぶされて、惨めに終わりを遂げるしか残されないのです。

この物語がそれをメッセージとして観客に求めている、というわけではありません。これは、この作品を鑑賞して、僕なりに感じた感想です。
けれど、作品に登場する人物の、表情や仕草があまりにも『恐怖』に強張って、ジェシー・ジェームズによって消されることは勿論ですが、これまで犯してきた自身の罪のその行く手に、怯えているような気がする。そんなふうにも思うのです。
これこそが、ジェシー・ジェームズに関わったことによって繋がれた『呪いの連鎖』なのでしょう。ジェシー・ジェームズの持つ、氷のように冷たい青い眼の『呪いの連鎖』。


この世界で最も偉い人は、今を一生懸命生きている『普通の人々』」。

『日頃の行い』とはよく言ったもので、その人が行動をとった『業』は、多かれ少なかれ必ずその人に還ってくる。『普通の生活』は、一見味気ないものに思えても、常に博打のような『業』の中で生きている人からすれば、羨ましいのかもしれない。何も怯えることなく、生きていけるから。
ジェシー・ジェームズに心酔し、彼の悪事に従事してきた者は、例外なく怯えながら死ぬまでの余生を生きている。まぁ、所詮自分が選んだ道の先の出来事なのだから、仕方ないのかもしれませんが。

しかし、ジェシー・ジェームズだけは、あれほどの悪事を働きながらも、表の顔として愛する家族を持っていながらも、その表情に『怯え』は見えなかった。
彼は、何ものにも怯えていなかったのだろうか。いや、それ以上に、彼は何故、これほどまでの悪事に手を染めようと思ったのだろうか。人を変えてしまう『南北戦争』は、彼に何を与え、彼から何を奪ったのか。
それでも、彼も例外なく、自身の犯した『業』の前には、平伏すしかなかった、ということなんですね……

賛否両論の作品ではありますが、重く、切なく、けれども強く惹き付けられる、そんな静かな魅力を感じる作品です。

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2008/01/13 00:03 | Comments(0) | TrackBack() | Review - Movie

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