全くのオリジナルの作品としてでも、どうにもならない作品と感じてしまいました。
本当に、原作にインスパイアされて作ったのかなぁ、と首を傾げてしまうところがてんこ盛りなのです。というより、パロディに近いところも感じてしまいます。
だって、主人公の悟空ですが、どちらかというと『GS美神 極楽大作戦』の横島忠夫だろ! と思ってしまうのです。『普通の高校生』、『いじられキャラ』、『だんだんと強くなる』。こんなに共通のキーワードが揃っていて、違うとは言わせないくらい。
また、今作の悟空が『気』を習得するのにも、原作のような純粋に強くなりたいという気持ちもあることにはあるのですが、どちらかというと煩悩に近いのです。ますます横島忠夫とそっくりになってきましたね~。
先ほど、「本当に原作にインスパイアされたのか」というふうに申し上げましたが、だからといって変に原作の部分を取り入れなくてもいいようなところもちらほら。その最たる例が、日本語読み。例えば、先ほどの『気』についても、普通に"energy"とか"power"とか"aura"でいいと思うのに、ご丁寧にキャストの皆さん"ki"と発音していらっしゃって、ものすごくマヌケに聞こえてしまうのです。
そして最後の、ピッコロ大魔王との対戦。
短すぎでしょう。折角のクライマックスなのに。
えっ、もうこれで終わり!? という尻切れトンボ感は否めない終わり方です。その他にも、様々な戦闘シーンがありましたが、中国の武侠映画の観すぎでしょうか、どうにも遅く感じてしまい、肉弾戦のスピードや歯切れのよさがあまり感じられなかったのです。
エンドロールが終わり、映画館が明るくなってさあ帰ろうかとした時の、観客の皆様のビミョーな渋い顔は忘れられません。期待を寄せてはいないにせよ、全くの別作品としてもちょっとこれは…… という感じです。
それとも、この作品自体が続編モノですから、最初の一作目は、簡単なジャブ的な位置づけなのでしょうか? だとしても、オリジナルのドラゴンボールならではの作品として、丁寧に作ってほしかったなと思う次第です。
いずれにしても、過度の期待は禁物。一種のB~C級アクションムービーとして、気楽にお楽しみください。
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というか、明らかに本来の主人公であるヤッターマン1号・2号の登場シーン及び活動範囲が少ないと思うのですが。何かずーっと、高田玩具店の地下に引きこもってメカの作製や微調整に追われているって感じ。
しかも本作は、かつてのアニメではちょっと有り得ないんじゃないか、というくらいに下ネタが炸裂しており(『全国の女子高生の皆さん』を筆頭に)、三角関係・四角関係といった昼メロ要素もあり(昔のアニメでもあったことにはありましたけど、いざ実写となると、その関係が妙にシュール……)。
かつてヤッターマンの視聴対象者(多分今は30代)にも鑑賞できるような構成を狙ったのかもしれませんが、穿った見方をすれば、少々やりすぎなのではないかと。色々な年代に楽しんでもらえるように、色々なネタを仕込んでみたものの、混合に終わってしまい、うまく化合できていないのがこの作品の敗因であるように思えます。
面白いを通り越して「ナニこの微妙すぎる作品は」というのが僕の本音。歯切れが良くないのです。コメディならではのテンポの良さがあまり感じられませんでした。
とはいえ、昔懐かしの数々の名台詞には感動を覚えたのもありますけれど。
「お仕置きだべ~」とか。
「今週の、ビックリドッキリメカ~」とか。
「ポチッとな」とか。
「ブタもおだてりゃ木に登る」とか。
まぁ、こういったギャグ要素満載の正義と悪の戦いは、得てして悪の方の全力投球→力みすぎて失敗に結構視線が行ってしまいそう。でも、やはりこの作品の主人公は、ヤッターマン1号と2号なので、次回からはもちょっと彼らにも焦点を当てた作品にしてもらえればな、と思います。
というわけで、最後までご覧ください。次回作の予告が流れますので。というか、本当に次回作をやるのかどうかはまだワカリマセン。。。
とある番組で、授業では行わない本当の日本史の番組みたいなのを行っており、その一部で、かつて260年以上栄えていた江戸幕府が鎮座する江戸の成り立ちを取り上げていたコーナーがありました。その内容に非常に興味があり、東京を護り、そして今も護っている足跡を追ってみました。
これまでに何回も丸の内周辺を、仕事・プライベート両方の面で訪れたことがあるのですが、『平将門の首塚』にはまだ一度も行ったことが無いのです。『平将門』に関する数々の伝奇・伝承は、曖昧且つ簡潔であるにせよいくつか耳にしたことがあります。そのため、実際に訪れる前にWeb上で幾つか文献を読んでみました。
そして実際に『平将門の首塚』に足を運んでみると、既に周辺から、何か異様な雰囲気を感じます。厳か、というより、禁断の地、というのが似合っているかもしれません。そう気安く立ち入ってはいけない、という空気を感じます。『平将門の首塚』の祠は、丸の内のビルに囲まれた形で築かれているので、史跡としての大きさとしてはかなり小振りです。そんなに沢山の人が訪れているわけでもない。ですが、首塚に供えられているお供え物、そして絶えることのない線香の淡い香り。平将門が亡くなってから既に1000年以上が経過しているのに、彼を敬う気持ちは、今でも変わっていないように見受けられます。
かつては己の首を探しに怨霊として江戸・東京にさまよい、幾度と無く江戸・東京を災いの坩堝にした平将門の霊。しかし、江戸幕府の創業者・徳川家康が、江戸に蔓延る災いも敬虔に祀れば、転じて江戸の守り神になると考え、首塚を建立したのだとか。しかし、関東大震災や日本敗戦を経て、首塚は何度か破壊と建て替えを繰り返すことに。その際、畏敬の念を払わなかった者に、多かれ少なかれ災いが振りまかれたとか!
そんな平将門の強力な怨念を鎮め、供養が行われ、1309年に相殿神としたのが、神田明神なのだそうです。更に、神田明神は江戸城から見て北東の位置。いわゆる丑寅の方角で、鬼門に位置する神社です。そのため、江戸城の鬼門除け、江戸総鎮守として尊崇されたのですが、その後の関東大震災で焼失してしまったのだとか……。
しかし、調べている間、とんでもないことに気づいてしまいました。何と僕は、今年の年初に、成田山新勝寺に参拝したのです。
これは、当時の朝廷から見て関東において叛乱を起こした平将門を討伐するため、僧寛朝を神護寺護摩堂の空海作といわれる不動明王像と供に現在の成田山新勝寺へ使わせ平将門の乱鎮圧のため動護摩の儀式を行わせたとか。成田山新勝寺を参拝すると、平将門を苦しめる事となるので、神田明神崇敬者は成田山の参詣をしてはならないとされているって……。
無知な上に節操無しなのがバレてしまいました。
まぁ、何はともあれ、昨今のように様々な価値観が多様化しつつある今、幸せな毎日を送るためには「何を信じるか」が重要なんだと、神社の神主さんも寺の住職さんも仰っていますし(←見苦しい言い訳)。
そんな想いが込められた徳川幕府も、創設してから260年ほどでその幕を閉じてしまい、日本は近代国家へと進展していきます。そんな中でも、死して尚江戸を護るように、15代の将軍(とその正室)のうち、12代が、増上寺と寛永寺、半々に眠っています。まるで、江戸城を北と南の両方の面から護るように。
寛永寺には三つの区分に墓地が敷かれ、各墓地に、代々の徳川将軍が眠っているのですが、一般には非公開。先日、天璋院篤姫の墓地が抽選で公開されたのも、この寛永寺の墓地です。但し、隣接する一般の方々の墓地は普通に入ることが出来ますが、遺族の方々にとっては、故人との再会の場でもあるので、あまり騒がしくするのは控えた方がいいかもしれません……。
それなりに知っているようで、実はあまり知らなかった東京の歴史と、それを脈々と受け継ぎ、そして護ってきた魂。ほんの少しではありますが、それに触れることが出来た貴重な機会だったと思います。
これまでに何回も丸の内周辺を、仕事・プライベート両方の面で訪れたことがあるのですが、『平将門の首塚』にはまだ一度も行ったことが無いのです。『平将門』に関する数々の伝奇・伝承は、曖昧且つ簡潔であるにせよいくつか耳にしたことがあります。そのため、実際に訪れる前にWeb上で幾つか文献を読んでみました。
そして実際に『平将門の首塚』に足を運んでみると、既に周辺から、何か異様な雰囲気を感じます。厳か、というより、禁断の地、というのが似合っているかもしれません。そう気安く立ち入ってはいけない、という空気を感じます。『平将門の首塚』の祠は、丸の内のビルに囲まれた形で築かれているので、史跡としての大きさとしてはかなり小振りです。そんなに沢山の人が訪れているわけでもない。ですが、首塚に供えられているお供え物、そして絶えることのない線香の淡い香り。平将門が亡くなってから既に1000年以上が経過しているのに、彼を敬う気持ちは、今でも変わっていないように見受けられます。
かつては己の首を探しに怨霊として江戸・東京にさまよい、幾度と無く江戸・東京を災いの坩堝にした平将門の霊。しかし、江戸幕府の創業者・徳川家康が、江戸に蔓延る災いも敬虔に祀れば、転じて江戸の守り神になると考え、首塚を建立したのだとか。しかし、関東大震災や日本敗戦を経て、首塚は何度か破壊と建て替えを繰り返すことに。その際、畏敬の念を払わなかった者に、多かれ少なかれ災いが振りまかれたとか!
そんな平将門の強力な怨念を鎮め、供養が行われ、1309年に相殿神としたのが、神田明神なのだそうです。更に、神田明神は江戸城から見て北東の位置。いわゆる丑寅の方角で、鬼門に位置する神社です。そのため、江戸城の鬼門除け、江戸総鎮守として尊崇されたのですが、その後の関東大震災で焼失してしまったのだとか……。
しかし、調べている間、とんでもないことに気づいてしまいました。何と僕は、今年の年初に、成田山新勝寺に参拝したのです。
これは、当時の朝廷から見て関東において叛乱を起こした平将門を討伐するため、僧寛朝を神護寺護摩堂の空海作といわれる不動明王像と供に現在の成田山新勝寺へ使わせ平将門の乱鎮圧のため動護摩の儀式を行わせたとか。成田山新勝寺を参拝すると、平将門を苦しめる事となるので、神田明神崇敬者は成田山の参詣をしてはならないとされているって……。
無知な上に節操無しなのがバレてしまいました。
まぁ、何はともあれ、昨今のように様々な価値観が多様化しつつある今、幸せな毎日を送るためには「何を信じるか」が重要なんだと、神社の神主さんも寺の住職さんも仰っていますし(←見苦しい言い訳)。
そんな想いが込められた徳川幕府も、創設してから260年ほどでその幕を閉じてしまい、日本は近代国家へと進展していきます。そんな中でも、死して尚江戸を護るように、15代の将軍(とその正室)のうち、12代が、増上寺と寛永寺、半々に眠っています。まるで、江戸城を北と南の両方の面から護るように。
寛永寺には三つの区分に墓地が敷かれ、各墓地に、代々の徳川将軍が眠っているのですが、一般には非公開。先日、天璋院篤姫の墓地が抽選で公開されたのも、この寛永寺の墓地です。但し、隣接する一般の方々の墓地は普通に入ることが出来ますが、遺族の方々にとっては、故人との再会の場でもあるので、あまり騒がしくするのは控えた方がいいかもしれません……。
それなりに知っているようで、実はあまり知らなかった東京の歴史と、それを脈々と受け継ぎ、そして護ってきた魂。ほんの少しではありますが、それに触れることが出来た貴重な機会だったと思います。
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何となく訳ありの主人公、基本的にはウィル・スミス氏が演じる主人公と、ロザリオ・ドーソン氏が演じるヒロインとの関係が中心なのですが、それ以外にも何人かの登場人物がいて、主人公の関わりを持って。でもその関わりが、一体何のことやら、という感じです。だって、方や「貴方の助けになりたい」というものもあれば、方や登場人物をひどく罵倒するものもあったり。深く関わった人もあれば、ただ見守るだけの人もいたり。
彼らの共通点を敢えていえば、何らかの障害を持っている、ということ。でも、全員が肉体的な障害を持っているわけではなく、経済的な、もしくは人間関係的な障害を持っていたり。逆に、全員が共通の障害を持っていたら、話の内容や展開は容易に想像できたかもしれません。でも、敢えて共通点を見出せないようにすることで、その後の話の内容や展開が分からないようにしているかもしれません。
ただ、単純明快なストーリー展開を好む方にしてみれば、少々、いや、かなりヤキモキする作品なのではないのでしょうか。
そして、「貴方の助けになりたい」という主人公の想い。それは単なる慈善事業ではなく、主人公の人生を賭けた行動。過去に犯した過ちの大きさが故に、文字通り自分の全てを犠牲にして、障害を抱えている7人の助けになります。
確かに、助けを求めている人の障害を取り除くには、あまりにも大きな対価が必要になる。たった一人でもその対価を支払うには大きいのに、それを7人分も支払うなんて。それだけ、主人公が犯した罪は、一生かけても拭いきれないくらい残酷なものだったのでしょう。
しかし、個人的には、主人公が背負った十字架の大きさは、あまりにも大きすぎるのではないかと思います。ひどい言い方になってしまうと、主人公が独善的に勝手に背負った、とも思えてしまうくらい。なぜなら、この作品を観る限りでは、主人公が犯した罪は、故意ではなく過失だから。自分が望んで犯した罪ではないから。それに、たとえ自分の人生を賭けてその罪を償おうとしても、残されたはたまらなく辛い。その人が、大切であればあるほど。
今の世の中、主人公のように自らの身の全てを擲って行動を起こす人はそういないと思います。それはそれで素晴らしいことだと思います。でも、その真摯な行動が、かえって周囲を悲しませることだってある。
この作品を鑑賞して改めて思ったことは、自分の人生も、自分の肉体も、決して自分一人だけのものではない、ということ。決して他の人の顔色を伺いながら、というわけではないし、最終的に自分の人生をコントロールするのは自分である。でも、その影響力は自分一人だけではない。必ずどこかで、誰かと繋がっている。そういうことを深く思うことが出来る作品だと思いました。
松島ではまだ雪が積もっているとはいえ、そこにははっきりと春の息吹を感じる景色が広がっていました。しかし、ほんの少し、県を跨いだだけなのに、平泉ではまだ雪に閉ざされた雪原の国。
折りしも平日のため人も少なく、人通りはとっても少なく、音も遠くの方までよく聞こえてしまうくらいの静寂さ。しかも平泉駅を降りて思ったこと。
娯楽施設は勿論のこと、御食事処もお土産屋もすんごく少ないのっ!
線路を跨いで東側(北上川側)に行けば、商店街が見えるのですが、それでも商業主義的なものではなく、生活必需品が主、という感じ。全く無いわけではないのですが、個人的にはちょっと寂しいような気がします。
それはやはり、奥州藤原氏を始めとした文化財や史跡が多いから? それとも、住宅街が広がっているように見えるから、商業施設が進入しにくいからなのでしょうか? いずれにしても、賑やか好きな方であれば、冬に平泉を訪れるのはあまりお勧めしません。むしろ夏場でしょうか。特に、奥州街道から中尊寺に向かうまでの道のりは、伊勢神宮の内宮のような神秘さを感じます。雨の日に訪れるのもまた違う側面があっていいかもしれません。
但し、道は超ぬかるみますのでご注意を。
そうはいうものの、やっぱり僕は冬場の東北が凄く好きなのです。遠くまで見渡す限りの山々を愛でながら、スノー・モンスターとも呼ばれる樹氷を眺めるのもよし、湿度のない朝の光を浴びて、金色に染まるダイヤモンドダストを眺めるのもよし(両方とも未だ体験したことが無いので、一度は見てみたいと野望に燃えています)。
そして、音のない白銀の寺院。冬を象徴する景色に魅せられているので、こういうところは僕にとってはもってこいなのです。勿論、防寒の用意は欠かせません。
平泉は、まず旧観自在王院庭園を通り、毛越寺へ。
旧観自在王院庭園の看板はあるけど、当の庭園は一体どこに……? と思ったら、雪に埋もれていました。ちょいとげんなり気味の気持ちで毛越寺へ。まずここの庭園にしばらく入り浸ってしまいました。それくらい、雪と氷に覆われた庭園は、どこから見ても飽きないくらい美しかったのです。
金鶏山を経由して中尊寺へ。しかし中尊寺はあまり期待しすぎは禁物かもしれません。
そりゃ、重要文化財ですからおいそれと外に出すのは禁物なのでしょうけれど、最近建てられた建物の中に金色堂を収納するのは、やはりちょいと味気無いように思ってしまうのです。そこがちょっと残念でした。
最後は高館義経堂へ。そこから眺める北上川と駒形峰が、冬の厳しさを物語るようにどっしりと構えていて、圧巻でした。
北上川をずーっと先の方まで見てみると、何やら工事現場が長く続いているようで。これは、文化財保護のために堤防や道路(バイパス)の位置をずらす計画なのだとか。しかし、観光客側としては、何か世界遺産の冠を頂くために躍起になっているような気がしてならないのです。勿論、平泉は有形無形共に後世まで残しておかなくてはならない文化財が多く存在しますが、無理矢理世界遺産を取得するために色々といじくり回していると、何だか取り返しのつかないような気がしまして……。
ただ、地元の皆様の強い想いもあるかもしれませんので、杞憂で終わってほしいと思います。
折りしも平日のため人も少なく、人通りはとっても少なく、音も遠くの方までよく聞こえてしまうくらいの静寂さ。しかも平泉駅を降りて思ったこと。
娯楽施設は勿論のこと、御食事処もお土産屋もすんごく少ないのっ!
線路を跨いで東側(北上川側)に行けば、商店街が見えるのですが、それでも商業主義的なものではなく、生活必需品が主、という感じ。全く無いわけではないのですが、個人的にはちょっと寂しいような気がします。
それはやはり、奥州藤原氏を始めとした文化財や史跡が多いから? それとも、住宅街が広がっているように見えるから、商業施設が進入しにくいからなのでしょうか? いずれにしても、賑やか好きな方であれば、冬に平泉を訪れるのはあまりお勧めしません。むしろ夏場でしょうか。特に、奥州街道から中尊寺に向かうまでの道のりは、伊勢神宮の内宮のような神秘さを感じます。雨の日に訪れるのもまた違う側面があっていいかもしれません。
但し、道は超ぬかるみますのでご注意を。
そうはいうものの、やっぱり僕は冬場の東北が凄く好きなのです。遠くまで見渡す限りの山々を愛でながら、スノー・モンスターとも呼ばれる樹氷を眺めるのもよし、湿度のない朝の光を浴びて、金色に染まるダイヤモンドダストを眺めるのもよし(両方とも未だ体験したことが無いので、一度は見てみたいと野望に燃えています)。
そして、音のない白銀の寺院。冬を象徴する景色に魅せられているので、こういうところは僕にとってはもってこいなのです。勿論、防寒の用意は欠かせません。
平泉は、まず旧観自在王院庭園を通り、毛越寺へ。
旧観自在王院庭園の看板はあるけど、当の庭園は一体どこに……? と思ったら、雪に埋もれていました。ちょいとげんなり気味の気持ちで毛越寺へ。まずここの庭園にしばらく入り浸ってしまいました。それくらい、雪と氷に覆われた庭園は、どこから見ても飽きないくらい美しかったのです。
金鶏山を経由して中尊寺へ。しかし中尊寺はあまり期待しすぎは禁物かもしれません。
そりゃ、重要文化財ですからおいそれと外に出すのは禁物なのでしょうけれど、最近建てられた建物の中に金色堂を収納するのは、やはりちょいと味気無いように思ってしまうのです。そこがちょっと残念でした。
最後は高館義経堂へ。そこから眺める北上川と駒形峰が、冬の厳しさを物語るようにどっしりと構えていて、圧巻でした。
北上川をずーっと先の方まで見てみると、何やら工事現場が長く続いているようで。これは、文化財保護のために堤防や道路(バイパス)の位置をずらす計画なのだとか。しかし、観光客側としては、何か世界遺産の冠を頂くために躍起になっているような気がしてならないのです。勿論、平泉は有形無形共に後世まで残しておかなくてはならない文化財が多く存在しますが、無理矢理世界遺産を取得するために色々といじくり回していると、何だか取り返しのつかないような気がしまして……。
ただ、地元の皆様の強い想いもあるかもしれませんので、杞憂で終わってほしいと思います。
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