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2025/08/25 16:08 |
[Review] ディパーテッド

ディパーテッドdeparted

-【形】
1.過去の
2.《婉曲》 死んだ
  [名詞的に; the~] [単数扱い] 故人 《1人》;
  [複数扱い] 死者 《全体》



この単語が表す言葉のように、主人公の二人は態度も素性も過去すらも全て全て封印し、全く違う人間をなりながら生きていきます。警官だった男はマフィアの潜入捜査のために、マフィアだった男は警官の情報を横流しするために。
自らの課せられた仕事を全うするには、如何に周囲を欺き、翻弄させるか。そして、如何に「自分が本当」だということを信じ込ませるか。
選りすぐりの頭脳と身体能力を持つ二人。完璧に自分の立場を演じ続けても、いつしか綻びが生じる。やがて、互いの素性探りへ。顔も、姿も、名前すらも知らない。それでも、自らの持つ能力と権力を最大限に活用し、敵の正体を暴こうとする。

決して交わることが無かった線が交わった瞬間、事態は大きく展開する!


香港で爆発的な人気を誇ったアクション・サスペンス『インファナル・アフェア』のリメイク版である『ディパーテッド』。約2時間30分という短い時間ながらも、互いが互いの敵対する組織に潜入し、そこで命懸けで暴き合い、欺き合いをする、というスリルが、なかなか面白かったです。
が、同じアクション・サスペンスとして分類されるだけに、『ラッキーナンバー7』に比べると、若干見劣りしてしました。比べること自体が間違っているんですけれどね。いや、配役ではなく物語の方で。だってどちらの作品も、もうこれでもか! というくらいのゴージャスな俳優さん達続出でしたから(笑)。

『ラッキーナンバー7』は、かなりラストの方まで不完全燃焼気味が続くものの、最後の最後でガッと急展開が起こり、今までの伏線やそれまで正体不明だったキャラクターの数々が爆発的に繋がっていきます。サスペンス好きとしては、「やられたっ!」と思うと同時にその快感がたまらなく感じます。
対する『ディパーテッド』は、観客としてはほとんどの全キャラクターの繋がりや素性が分かっているので、最初からすんなりと映画の世界に入ることが出来ます。そして、互いの正体がバレそうになり、互いの組織の、いわゆる『ネズミ狩り』の標的に晒される中盤あたりから、徐々にサスペンスとしてのスピード感が増していきます。ですが、最後の最後で、そのスピードは一気に加速するのか! と思いきや、(僕個人が)思ったほど加速はされず。何だか、モータースポーツのファイナルラップで、デッドヒートを繰り広げている二機の車が、あと少しでゴールというところで、二機とも、クラッシュとかそういう衝撃的なものではなく、訳の分からない要因でリタイアするのを観る、という感じでしょうか。

『デスノート』と同じく、観客として予め『追う者』と『追われる者』は分かっている作品というのは、非常に難しいと思うんですがね(勿論、登場人物である彼らにとってみれば、互いの敵対する人間の素性は一切分からない)。


ただ、それでもこの映画の見所はあって、やっぱりそれはジャック・ニコルソンかなー。
エロワード続出なのに、全然威厳や品性が欠けているように見えないのは、やはりこの人ならではの凄まじいくらいの演技力でしょうか。
レオナルド・ディカプリオも、マフィアに潜入したときの眼光の鋭さが個人的によかったです。声のトーンがもちょっと低ければ、多分パーフェクトだったかも。まぁ、それは彼個人としてのパーソナリティなのかもしれませんし、『マフィアに潜入する新米警官』としての心情を演じる上では、高めの声のトーンはむしろよかったのかもしれません。

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2007/01/21 12:20 | Comments(0) | TrackBack() | Review - Movie
[東京] ダイヤモンドシティ・ミュー

いろいろとニュースに取り上げられていたこともあり、興味本位で行って参りました。


ダイヤモンドシティ・ミュー - 其の一 ダイヤモンドシティ・ミュー - 其の二



結論。


広すぎて訳が分かりませんでした。


僕は生まれも育ちも埼玉、中学より学校は東京(大学は神奈川)、父方の祖母の妹が台湾に嫁いだ以外は全員親族が関東圏と、地方に住む方々の『方言』にとんと無縁の生活だったのですが(大学に入って、初めて身近に方言を感じました。友人とか先輩とか)、『ダイヤモンドシティ・ミュー』のあまりの広さに、無駄に方言になってしまいました。

  「こげな広いところさ、オラァはずめてだべ~」 (←超適当)

ところどころに案内ボードがあるものの、分かったのは『自分が今どこにいるのか』。食品とか衣服とか、ある程度はゾーニングしているものの、「本当に目的地にたどり着けるのか??」という感じで。


しかし、今にして思えば、そういった構造になっているのも、経営者の狙いだったのかもしれません。
いわゆる、全天候型の大型ショッピングモールですから、色んな商品が、色んなお店が目に入る。別に買いたい目的がそこになくても、何となく琴線に触れるものが目が入ってしまうと、そこに足を運んでしまう。色々なジャンルの商品が、視界いっぱいに広がる。
対して、『ダイヤモンドシティ・ミュー』の両端は、JUSCOと三越。誰もが知るデパート。だから、どういったお店で、どういう商品が陳列されているか、どんな雰囲気かも何となしに分かりやすい。
「目的のものを、時には一目散(バーゲンとか)に買う時」には、JUSCOや三越を、「散歩がてらに各フロアを歩き、目に入った商品を手に取ったりしてみる時」には、中央の『ダイヤモンドシティ・ミュー』のショッピングモールを、といったところでしょうか。


しかし。
建てた跡地の場所だけに、地元密着型が非常に濃厚そう。公共の交通網を使う上ではあまり便利なところじゃないので、遠方からの買い物客はあまり多くないかも。
地域のコミュニケーションの場としてうまく活用することは出来ると思いますが、逆に排他的にならないことを祈ります。

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2007/01/19 17:18 | Comments(0) | TrackBack() | Outdoors
[Review] ラッキーナンバー7

ラッキーナンバー7選りすぐりの俳優達が多数出演するにも関わらず、あまりプロモーションとかやっていないものでしたから、もしや駄作か? と思ってしまいました。『ブラック・ダリア』がフィルム・ノワール調の映画に特化し、かなりレベルの高いクライム・サスペンスを繰り広げたものの、難解且つ複雑すぎたので、『ラッキーナンバー7』自体何だかコメディテイストの題名に見えながらも、同じような感覚なのかな、と思っていました。

が、それは杞憂に終わりました。
この映画で、自身のサスペンス好きに更なる火がついたのは言うまでも無く。『インサイド・マン』とは方向性は全く違うけれど、クライム・サスペンスの予想できない緊張感と空気は同じものを感じました。誰が本物で誰が偽者か、何が真で何が偽か。


かなり大雑把に言えば、いつもどおりの、僕が好きなサスペンス手法です。
前半は、物語の伏線になるような殺人事件が複数発生し、その事件に主人公が巻き込まれていく。前半から猛スピードで登場人物や組織があれよあれよと登場し、縦横無尽に繰り広げられます。
「もしかして、クライム・サスペンスで途中退出か……?」と思っていたその矢先! 後半を過ぎ、クライマックスに差し掛かった時に急展開が。
ここから先は言いません(笑)。が、最初に色々な伏線となる事件が勃発し、最後に真相が明らかになる時にそれらの事件の糸口や関係性が一気に収束される、ただ単にそれだけの映画ではない、ということだけは申し上げます。

確かに複雑なんですよ。色んな関係の糸が張り巡らされているから。
でも、『ブラック・ダリア』のような不完全燃焼な謎解きではなく、これは本物の完全燃焼。物語そのものに対し、「うわー、やられた!」という気持ちと「お見事!」という気持ちの両方ありましたから。

だがそれはまだまだ僕のお頭の回転がよろしくないことを意味しています。サスペンス映画というのは、漫画や小説と違って、後戻りできないのが特徴です(ビデオやDVDを除く)。ましてや暗い空間なので、メモを取ることもままならず。限られた時間の中で、決して確認のための後戻りができない状況下で、如何に目の前にある映像に映し出された証拠品を見逃さず、耳に入ってくる音声を聞き漏らさずにいるか。今日も、僕はサスペンスに挑戦し続けています。


ま、別に普通に観てもいいんですがね。これだけの凄い作品だと尚更です。

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2007/01/14 18:16 | Comments(0) | TrackBack() | Review - Movie
[Review] 愛の流刑地

愛の流刑地男の望みは、愛する女と共に生命が果てるまで生きることだった。
女の望みは、愛する男の手にかかって死ぬことだった。

この世の全てを、自分の人生さえ引き換えにしても構わないくらい愛した人に、「私を殺して」と言われたら、貴方はどうしますか     


惜しくもアカデミー作品賞を逃したものの、数え切れないほどの賞を受賞した『ブロークバック・マウンテン』。共に妻子がおり、しかも同性という間柄であるにもかかわらず、互いに愛し合ってしまう。「禁断で、且つ社会的にも宗教的(特にキリスト教)にも決して相容れることが無い」物語が辛く切なかったのを記憶しています。でも、同性であろうとなかろうと結局は不倫の物語であり、私は受け入れることはできなかった、という意見も方々から聞きます。
十人居れば十人の意見がありますし、僕自身その人個人個人の感受性をとやかく言う立場ではありません。『不倫の果てに愛人を殺害』なんていう事件も割りと新聞等に掲載されていると、まるで他人事のように、やれ「殺された女が悪い」だの「殺した男が悪い」だの冷めた目線で事件を自分なりに分析します。


が。
もし自分が『当事者』だったら、どうしていたか?

相手には夫が居る。子供も居る。何不自由ない幸せな家庭と生活が、その人にはある。
その人を、まるで魂が焦がれていたかのように愛してしまったら? 今後一切誰の手にも目にすらも触れさせないくらい愛してしまったら?

きっと、もう戻れない。知らなかった頃には。
この映画には、言葉で言い表せないような『狂気』が散りばめられています。


映画『手紙』でもありましたが、人を殺してしまった罪に対する罰は、何も殺人犯が被害者を殺めただけの分ではなく、被害者の家族の辛さや苦しみ、そして「殺人者と近しいもの」として殺人者の家族が被る罰も背負うことになります。
愛する人がたとえ「殺して」と懇願しても、手にかければ立派な殺人者。人を殺せば、殺しただけの重圧が両肩に圧し掛かる。それを知っていても、愛する人を殺すだけの覚悟は、並大抵の精神力では持つことは出来ない。


けれど、殺人を奨励するわけでは全くありませんが、「愛しているから殺されたい」「愛しているから殺す覚悟ができている」と思えるほどの相手にめぐり合えた、というのは、本当に幸せなんでしょうね。まぁ、『本当の幸せ』なんて、他人がとやかく言うものではありません。『本当の幸せ』というのは、その人にしか分からないのですから。

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2007/01/13 23:52 | Comments(0) | TrackBack() | Review - Movie
[Review] ラブ・アクチュアリー

ラブ・アクチュアリーどこのサイトを拝見しても、どこのレンタルショップに行っても、この作品は、常に高い評価を得ています。公開されてからもう大分経つのに、それでもこの映画の魅力が衰えないのは、決してプロパガンダのような強烈なものではなく、でも、人間の、人間が心の底から最も欲するものに対し、優しく包み込む暖かさのようなものがあるのでしょう。


この映画の登場人物は、本来ならば交わることがない人達。住む環境も、仕事も、ステータスさえ。でも、全てに共通することは、臆病なただの人間であるということと、それでも、人と触れ合うことによる温もりを欲しているということ。

人間というのは、タフなようでいて実は意外に繊細なのかもしれません。
複雑に絡み合う人間関係や営みも、一つ一つ紐解いてみれば、至極単純なものかもしれません。
だからこそ、人の持つ本当の『思い』というのは、それが発揮された時、強く、そして何ものにもまして輝きを放つものではないかと思います。

『愛』という言葉は、どの世界にも溢れるばかりに広がっています。色んなところで見聞きするから、言葉自体が軽んじられてしまい、場合によっては、『愛』そのものすら信じられなくなってしまったことも。
簡単に口に出され、言葉だけが先に進んでしまい、その意味も宙に浮いてしまう。けれど、『愛』という言葉は、本来はあまりにも重くのしかかり、全てに勝って輝きを放つものではないのでしょうか。
簡単な言葉であるからこそ、簡単に言葉に言い表せない。そんな強さを兼ね備えている言葉。
けれど、『愛』をそんなに難しく考える必要はありません。だって、生きとし生きる者は、全て持っているものだから。自分の中にある、一番強い『思い』を伝えることで、自分の中にある『愛』は、最も強く力を持ち、そして輝きを放つのだから。


色々な人物がオムニバス形式のように現れては、その人の人間としての生活、悩みや苦しみを持ち続けて生きていくけれど、ラストに大きなつながりを持てて、みんなが幸せな気持ちになっていく。
この世に生きる人間が、全員幸せになれることはないけれど、それでも、一人一人の力で、一人一人の思いで、一人でも多くの人を幸せにすることは出来るはず。

世界中の人に観てほしい。それこそ、憎しみを抱き続けている人、無意味に誰かを傷つけている人、自分の無力感や無気力に苛まれている人に。
自分が、自分の愛する人が、自分の隣にいる人が、もっともっと幸せになれることが、この作品には詰まっていると思います。

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2007/01/10 22:51 | Comments(0) | TrackBack() | Review - Movie

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