ふぅっと溜息をつき、両肩を軽く揉みながら、再びモニターに向かって仕事を進める。
もう、こんな日がかれこれ2ヶ月。
他の社員は今の時期とりわけ忙しいというわけではないんだけど、僕が今携わっている仕事は、昨年度からの継続案件が十重二十重と立て込んで、そのままずっと残業続き。それもかなり遅くまで。
よく他の社員の方々が手伝ってくれて、それはとても有難いんだけど、如何せん専門的な部分が多いから、雑用的な部分しか頼めなくて、結局僕一人で行うことが自然と多くなってしまい。
でも、このままずーっとってわけにはいかないしなー、早く同じ作業ができる人員を増やさなきゃ、と思いながら、んーっと背伸びをしていた矢先。
RRR... RRR...
だーれだよこんな時間にっ! と半ばふてぶてしく、
「はい、株式会社●●でございます」
と応対したら、酔っ払い特有の手のつけられない、つんざくようなダミ声が。
「おー、Cyberじゃんかよー。おめぇまーだ会社にいたのかーっ!?」
「せんぱーい。もう酔っ払ってるんですかー? お酒控えた方がいいですよー。年なんだし。」
「うっせー! 余計なお世話じゃ!
つーかさ、おめぇも来いよ。最近ちっとも飲み会顔出してねぇじゃねぇか。」
「今、そぉっっとぉ立て込んでるってこと、ご存知ですよね?」
「別に今日中に資料の提出ってわけじゃないんだろ? じゃあちょっとぐれぇいいじゃん!
つーか、これはオレの命令だかんな! ■■って店だから! ちゃんと来いよ!」
ダメだこりゃ… あーなったらもう手がつけられない……
仕方が無いので、今日の仕事はこのへんで切り上げ、■■のお店へ。
既に予約を取ってある、ということなので、店員さんに案内され、奥の個室へ向かいました。
「失礼しまーす。お待たせし……」
お誕生日、おめでとー!!
「………へ?」
なんとそこには、電話をもらった先輩だけではなくて、事務所の何人かの人たちでテーブルを囲って座っていたのです。
「何だよボケーッとしちまって! 今日はおめぇの誕生日じゃねぇか!」
「や、まぁそうですけど…… よくご存知でいらっしゃいましたね皆さん……」
「Cyber君、ここんとこずーっと一人で残業だからさー。たまにはいいっしょ。こういった飲み会
ってのも」
「あ、それで、これ! Cyberさんへの誕生日プレゼントでーす!」
丁寧に包装された縦長の箱。中にはなんとバーバリーのネクタイ!
黒とグレーのストライプは、シックだけど決して派手ではなく、落ち着いた雰囲気を醸し出したデザインに仕上がっていました。
「うっわー… 嬉しいなぁ。ほんと、有難う。」
好きな女の子とデートしながら、夜景が見えるホテルのバーでロマンチックに、なーんて決して身の丈に合わないけど、そんな誕生日を迎えられたらなー、なんて図々しく思っちゃったりしますけど、こんな、気の知れる仲間達と、わいわい楽しみながら送る誕生日というのも、なかなかいいものですね。
前置きが長くなってしまいましたが、これらは全て妄想です。
※ 今日も今日とて仕事から帰ったときには、日付が変わってしまいました。
※ お夜食はコンビニ弁当です。ケーキ食ってる場合ではありません。
※ 勿論、飲み会に誘われるどころか、開催する時間すらありません。
※ バーバリーなんて高くて手が出せません。安物の1000円ネクタイ愛用。
おおぉおぉオレにはっ!
人並みに幸せな誕生日を送ることもできないのかっ!!
あ、でも方々からお祝いのメッセージをいただきました。
本当に有難うございます。
こんなんでも、もう28歳です。まだまだ迷いながらですが、一歩ずつ頑張ってまいります。
いつもいつも優しく温かく見守ってくれるお母さん。カーネーションを添えて、「ありがとう」の気持ちを伝える日。
日常の生活の中に埋もれがちで、普段は気づかず通り過ぎてしまうけれど、今日この日を平凡に、そして幸せに暮らしていけるのは、紛れも無く家族の、特にお父さんお母さんの支えがあったから。そして、家族に、お母さんに感謝の気持ちを伝えることが出来るのも、穏やかな毎日を送ることが出来るから。
家族と共に過ごすことが出来る。それがどんなに幸せなことなのか。それを忘れてはならない。若くして親元を離れ、家族の愛もほとんど実感出来ず、年端も行かぬうちに戦場に散っていった彼等を、これから生まれる人たちが、穏やかに、家族と共に幸せに暮らせる世界を作るを願いながら死んでいった彼等を、忘れてはならない。
歴史とは非常に残酷なものです。
終戦から60年以上経過した現在。日本史の教科書をはじめとして、歴史書を紐解けば当時の時代背景や情勢、色々な資料を目の当たりに出来ます。だからといって、大東亜戦争の敗戦を拭い去ることは出来ない。無かったことにすることも出来ない。
それゆえに、戦争を題材とした映画は、どれを取り上げても『プロパガンダ』とか『戦争賛辞』の意見が飛び交って止みません。これからも、きっとそうなのでしょう。作り手としてはその意図は無くても、観る側の観方によってそう受け取ってしまうのは、それもそれで一つの意見です。が、多少脚色しているとはいえ、極力『ありのままの事実を描いたもの』として観る一方で、ただの戦争映画ではなく『戦争の一コマを通じて、何を伝えようとしているのか』を感じ取ろうと努力して鑑賞しています(あくまで『Cyber個人』の視点ですのでご承知おきを)。
例えば、沖縄特攻作戦に赴いた男達の覚悟と生き様を描いた『男たちの大和/YAMATO』では、「『死ぬ』、そして『生きる』ための覚悟」。最も血みどろで日米双方とも多大な死者を出した硫黄島合戦を描いた『硫黄島からの手紙』では、「最善を尽くし、己の信じる道を突き進む」。そして、『俺は、君のためにこそ死ににいく』は、「家族の、特に母親の愛」ではないでしょうか。血が繋がっていようといない、明日死ぬかもしれない、青春の真っ只中なのに時代に翻弄された若者達。そんな彼らに対し、精一杯自分が出来る限りの無償を愛を与え、そして分かち合う。これが、この作品の伝えたいことではないかと感じました。
鳥濱トメさんが切り盛りする食堂にやってくる子供たちは、長くても数ヶ月、短ければほんの数日の間にいなくなっていく子供たち。近くの村々から来る者。遥か遠くから来る者。果ては違う民族の者までが集い、目前の死に戦々恐々としていた。
この子達はこの先、どんなに手を伸ばそうとも、永遠に幸せを掴むことが出来ない。自ら志願した結果であっても、国に翻弄された結末であっても。
鳥濱トメさんご自身も、それまでに非常に辛い生活を送られてきたそうです。だからこそ、同じように辛い青春時代を生きてきた子供たちに共感できるところがあったのでしょう。それでもまだ彼女は自分が恵まれていると思ったに違いありません。だって彼等の生命の終わりは、もう目前なのだから。
「私が彼等にしてやれることなんて、何も無いに等しい。でもせめて、不幸なままに散らせたくない。ほんのわずかでもいい。彼等の『母親』として、精一杯何かしてあげなければ
出撃直前、何人かの隊員の家族が見送りに飛行場まで行きましたが、ほとんどの隊員は、最期の最期にご家族の顔を見ることも無く、大空を舞い、そして散っていったのでしょう。彼等にとって、鳥濱トメさんは、本当に最後の心の支えだった。
そして同時に、鳥濱トメさんも、一瞬でも実の息子達ができたようで、本当に嬉しかったのではないのでしょうか。見ず知らずのおばさんなのに、足しげく食堂に通って、ご飯を食べながら話をしたり聞いたり。彼女もまた、色んな出会いの中で、多くの喜びを得たんだと思います。
たとえほんの僅かな出会いの中でも、無償の愛で彼等に手を差し伸べ、抱きとめる精神。彼等が散った後でも、彼等の分まで、精一杯生きよう、生き抜こうという志。
時代は変わっても、混沌とした社会の中でも、彼女の心は一貫として変わらなかった。これは、いつまでも語り継いでいってほしい、『母親としての無償の愛』を、描いている作品だと思います。
漫画のタイトルの通り、『BABYLON』は古代ハンムラビの主要都市の名前。そして、先日観た映画の名前にもなっている『バベルの塔』が建てられた都市。この漫画の活動拠点は専ら東京ですので、言葉は全編において日本語ですが、心は全くと言っていいほど通じていない。それは、人々の『無関心』からなる連鎖。映画『バベル』と通じるものがあり、『バベル』を観た後で『東京BABYLON』を見ると、「現代人は如何に他人に対して無関心であるか」というのが恐ろしいほどに浮き彫りになります。勿論、逆に『東京BABYLON』を見てから『バベル』を鑑賞しても、両者の共通点を見ることが出来るでしょう。
主人公である皇昴流は、東京に蔓延る様々な霊的事件を、陰陽術を駆使して解決していきます。その中で垣間見る、『東京』の『闇』の部分。
特別な力を持っているものの、その『闇』の部分を全て解決することなんてできない。払拭することなんてできない。それでも、何とかして解決しようと試みる。解決出来ない、自分では何も出来ないことが分かった時、「人に出来ることなんて数えるほどしかない」と双子の姉である皇北都に口すっぱく言われながらも、出来なかったことが辛い。出来ない自分が辛い。
けれど、それは今の人間社会が、あまりにも複雑に絡み合って成り立っている裏づけにもなります。ただ単純に「~~したら解決できる」では済まされない社会になっている。必ずどこかで力の反作用が生まれ、下手したら一層歪な形になってしまう。加えて、ほとんどの人たちは、それらの問題に対し関心を寄せていない。目に見えて悪化の途を辿っていなくても、徐々に腐敗していく姿が見えてきます。正に、桜塚星史郎の言である、「滅びの道を悦んで進んでいく」かのように。
「悪いことをする人は、みんな寂しいのかもしれないね」
この作品、実は90年代初期に描かれたものなのですが、それは10年以上過ぎた今となっても、人間の根本は変わっていないのかもしれませんね。
『寂しさ』というのは、得てして心の中に生まれでる『闇』から生じる。その『闇』が、自己顕示に呼応するかのように、誰かを傷付け、誰かを殺め、誰かを不幸に陥れる。モロッコで起こった観光客への銃撃事件も、アメリカ国内の不法就労問題も、日本での未成年による危険な遊びについても、共通しているのは『心の闇』。そこから生じる『寂しさ』。
僕たちは、どれだけその『寂しさ』に気づけるか。今再び、枯れ果てそうな人類共通のコミュニケーションの問題が試されている時なんだなと思います。
それにしても。
双子の姉弟とはいえ、同じ問題に対して、視点や考え方はこうも違ってきますね。
姉の北都は、「自分に出来ることは数えるほどしかない。だからこそ、今自分にできることを精一杯成し遂げる」。弟の昴流は、「自分があまりにも無力なばかりに、目の前で起きた問題でも何も出来ないでいる自分が辛い」。
一見すると、姉・北都の方が健全で前向きな考え方をしているように見えますが、僕は両方の気持ちを持っていた方がいいと思うのです。「今自分にできることをしよう」。確かにそれはそうです。但し、そのことだけに囚われると、「今自分に出来ることしかしない」ということになりかねない。
世の中は絶えず動いている。変化している。今自分に出来たことが、明日には出来なくなっているかもしれない。ならば、「自分に出来ること」を、少しずつでも増やしていくしかない。
「自分には出来ないことばかり」と嘆くだけでもダメ。ならば、この先自分に出来ることは何なのか。出来ることを増やせるとしたら、それは何なのか。どういうところで、それを役立てることは出来るのか。
簡単なようでいて、とても難しいことですが、来るこれからの未来と多くの問題のために、やっておく必要があると考えます。
ガチャピンがエアギター決勝進出!
BSフジの「ガチャピンclub」などに出演するガチャピンが2日、都内で行われた「エアギター2007 第二回東京地区予選」に特別枠で出場。お気に入りアーティストというB'zの「ギリギリchop」をテーマ曲に見事なパフォーマンスで8月11日に行われる決勝戦に進出した。
“芸歴”35年のガチャピンは、17人の出場選手の最後に登場。俊敏なステップやひざをついてエアギターを弾くなど華麗な動きを披露した。優勝こそ逃したが、2位で予選を突破した。
わずか1週間の練習で決勝進出を果たしたガチャピンは「僕にしては上出来です」と満足げ。特別審査員を務めた昨年の世界大会優勝者のお笑いコンビ・ダイノジの大地洋輔(34)は「恐るべしです。カリスマ性でいったら十分じゃないですか」と突然のライバル出現に驚きを隠せなかった。
その時の様子がこちら↓
なんか、こう、エアギターやってる表情じゃないよね。眠そうだし。
ちなみにムックは? 記事に出ていないところを見ると、もしや不参加!?
どうせならコンビでエアギターやっているところを見たかったのにぃ。
いろいろとレビュー等を拝見すると、悪に染まったトビー・マグワイアが不評だということらしいのですが、
確かにトビー・マグワイアがアレじゃ不評だわ。
ジム・キャリーにリスペクトされたか? とか余計なことを考えつつ、「似合わねぇ~。全然本人とキャラが合ってねぇ~」と思いながら鑑賞しておりました。まぁ、「ピーター・パーカーが悪に染まったらどんな行動に出るか」というのを意識した上での演技なんでしょうけれど、如何せん、トビー・マグワイアの真面目そうな顔とアノ行動はマッチしておらず……
『スパイダーマン3』は、アクション映画というより、むしろ過去の作品に比べヒューマン・ドラマ色が強くなっている作品に感じました。アクションシーンやVFXに関しては、1作目・2作目の折り紙つきですので言わずもがな。まぁ、サンドマンとの戦いは、バトルアクションというより怪獣映画に近いものを感じましたが(笑)。
勿論、過去の2作品も主人公であるピーター・パーカーの心の葛藤を中心としたヒューマンドラマを紡いでおりますが、『スパイダーマン3』は、主人公だけでなく、登場するありとあらゆる人物の『葛藤』、『嫉妬』、『断罪』といった、人間の負の感情が交錯しています。
オムニバス形式に似た形で進行しているため、それぞれがそれぞれの感情を抱え、行動していきます。が、行動は違えど感情の方向性は一緒。だから、とても展開が早く「詰め込みすぎでは?」と思いつつも、分かりやすい展開に仕上がっているように感じましたので、違和感なく、物語の世界に入り込むことが出来ました。
本来、こういったアメコミを映画化した作品というのは、ド派手ではちゃめちゃ振りが存分に発揮されて、特に何も考えなくても十分楽しめるものが多いのですが、『スパイダーマン3』に関しては、ヒューマン・ドラマを意識したためか、他のアメコミ映画にはない、少し悲しい雰囲気を漂わせていました。
それは、彼等が失ったものがあまりにも大きかったこと。得た力があまりにも大きかったために。それこそ、主人公だけでなく主要キャラクターに対し、「大いなる力には大いなる責任が伴う」という言葉が試される瞬間でもありました。
有史以来、人間がずっと持ち続けていた、そしてこれからも持ち続けていく『善』と『悪』の心。
その両方の心に苛まれ、苦しみ、得た力の近い道を間違え、それが誰かを大きく傷つける。残ったのは、『後悔』だけ。アメリカ発の映画だけに、この映画が公開される直前に発生した銃乱射事件を彷彿させますが、別にアメリカだけに限ったことではなく、今を生きる人間全員に関係すること。
1作目・2作目以上に、スパイダーマンを『マンハッタンを駆け巡るヒーロー』より、『人間』として描いた『スパイダーマン3』。格別なハッピーエンドというわけではありません。スッキリできる終わり方とも違います。ですが個人的には、これまでのアメコミ映画とは一線を画した作品であるからこそ、こういった終わり方も悪くはありません。むしろ好きな方です。
縦横無尽に繰り広げられるアクションシーンを思う存分楽しむのもアリですが、最近、人間関係でゴタゴタしている、苦しんでいる、というような方も、ご覧になってはいかがでしょうか。世紀のヒーロー『スパイダーマン』も、一人の人間であるならば、同じように苦しみ、同じように、誰かの助けが必要な時もあるのです。