「お前にこれを授けよう。」
そう言われて受け取ったのが、何の変哲も無いリモコン。1~12までの数字があるから、テレビのリモコン? というか、何でドラゴンがテレビのリモコン?
「これは天候を自在に操るリモコンだ。10のボタンを押してみるがよい。」
言われるままに押してみると、快晴だった空が突如として曇り始め、雨が降り始めました。
「11や12のボタンで、雨の強弱を調整することが出来る。」
ドラゴンの言うとおり、11、12とボタンを押す毎に雨の強さは強くなり、12のボタンでは窓を激しく打ち付けるくらいの雨足に。その他のボタンを押してみると、風の強弱や方向、雷を鳴らしたりすることができました。
「これは凄いですね! 好きな時に雨を降らせたり出来るんですね!
で、晴れに戻す方法は?」
「………………………」
「………あの?」
「そんなものは無い!」
「はい?」
「私は水を司る神なのだからな。晴れに戻す方法など知らん。ではさらばだ。」
そう言い残して立ち去っていきました。
それからというもの、降り止まない雨のおかげ電車のダイヤが乱れるだの、到着駅に着くなり傘を買わなければならないだの、結果は散々。何だったんだあのドラゴンは。
というところで目が覚めました。
しかしドラゴンから貰ったリモコンが、実家の古いテレビのリモコンにそっくりで、試しに押してみましたが、当然雨や風など呼び起こすことなどできず。普通にテレビがついて、普通にチャンネルが変えられるだけなのでした。
ここまで登場したアメコミヒーローの中で、最も正義感溢れ、且つ責任感も強いヒーローはいないと思いますが、『ファンタスティック・フォー』ほど、「おいおい、もういい加減いい大人なんだから…」と思わずにいられません。たった4人のヒーローの為に、市街地のど真ん中にあんなに立派なビル(敵から見れば『ここがヒーローの拠点です』って堂々とバラしているようなもん)、ビル内も最先端の技術が目白押し。これって全て税金で賄ってる? ただでさえ警察は勿論、軍ですら下回る出動回数しか無さそうなのに……
加えて何と言っても、ヨアン・グリフィズが扮するリード・リチャーズの恐るべき才能。見るからに開発に数日も要するようなマシンを、たったの3時間で作ってしまうとは! Mr.ファンタスティックは、実は少なくともあと10人はいるんじゃないかと思ってしまうくらいの速さ。確か前作の電磁波をモロに浴びて得た能力は、伸縮自在の身体だったはず。それがこれほどまでの驚異的な開発能力を身に着けてしまうとは……
前置きが長くなってしまいましたが、結論として、この映画は子供向けです。
他のアメコミヒーローも基本はやはり子供にも楽しめるような内容ですが、例えば『スパイダーマン』は能力を持つ者の責任や登場人物のお互いのすれ違いといった人間の内面にも深く踏み込んでいるため、大人も楽しめる作品であると思いますが、『ファンタスティック・フォー』ほどほとんど子供向け、というのもある意味珍しいかも。
では物語は抜きにして、VFXなどの映画ならではの技術や視覚効果は楽しめる作品なのか、というと、そうでもなく。
シルバーサーファーを除いては全て既出だし、シルバーサーファーにしてもこれといって目を見張るようなものでもなく…… 既に他の作品にも登場したように感じられるので、特に驚嘆するようなものではありませんでした。
「アクション映画を観てスカッ」とも言いがたい作品ですので、まぁ一種の道楽として自由気ままに鑑賞された方が宜しいかと思います。
東京散歩は思い立ったが吉日。この時期を逃したら暫くは見られない、という意外な景色があるものです。大都会のビル群が聳え立ち、何処も彼処もあくせく人が歩く東京砂漠の中では見つけようにも見つけられないところ。なのに、別の県に出るわけでもなく、ほんのちょっと足を伸ばすだけで、普段は見られない自然や風景が至るところに散在します。
初秋の落ち着きと活気の空気に触れるため、墨田区の向島百花園~浅草寺へと散策に出かけました。
向島百花園の庭園は、日本三大庭園や足立美術館のように僅かな医師の配置まで細かく整えられた庭園、というわけではなく、割と雑然とした一般家庭の庭園に似た場所です。でも、だからこそなのでしょうか、庭園内には、そこかしこに虫がいっぱい。あまり人間の手を加えていない印象を受けますので、それだけ自然物が住み着きやすい環境になっているのかもしれません。
そして、この初秋の時期の見頃といえば、やはり『秋の七草』。残念ながら、『葛』と『撫子』は開花の時期が早かったため、現在は既に花は散り、実を結ぶ時期となっておりますが、他の『秋の七草』は今がピーク。昼間の風景も勿論美しいですが、夜の月明かりに照らされた闇の中で観賞するのもまたいいかもしれません。秋の花というのは、春の花のような豪華絢爛さはありませんが、密やかところが、また月の輝きと合うと思います。
向島百花園の後は、浅草まで出て浅草寺へ。
向島百花園とは打って変わって、浅草ならではの活気が目の前からグアッと飛び込んできて。というか、外国人の比率が以前に比べ一段とアップしているように見えるのですが!? それも、初めて日本に観光にやってきた友達やカップル、夫婦は勿論のこと、キッズの集団も多いのは吃驚しました。
しかしそれでも浅草の休日のお祭り騒ぎは相変わらず。妙にファッショナブルに設えることなく、昔ながらの江戸っ子気質が飛び交う場所の代表格として、やはり浅草はなくてはならない場所。別に外国の方々だけでなく、日本全国からツアー客として訪れる人々も。
『東京』は、決して一括りで表現することが出来ない、色んな顔と色んな気質が行き交う場所。静かなところも、賑わうところも、どれも全て『東京』。
外国人が日本観光で最も行きたい場所が『東京』というのは、そんな様々な顔と気質を持つ不思議なところに、琴線に触れたのかもしれません。
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これまでに全世界で1億部のベストセラーを誇る『ピーターラビット』シリーズの原作者ビアトリクス・ポターは、18世紀から19世紀にかけてのイギリスの上流階級の家に生まれ育った、生粋のお嬢様。けれど、彼女が選んだ人生は、決められた結婚を経て、単に妻として母として家庭に収まるのではなく、自立したアーティストとしての人生。何不自由なく育ち、縁談次第でこれからもその裕福な生活が約束されるにもかかわらず、『働く女性』としての道を選んだのは、彼女が持つ夢と情熱に他ならないからでしょう。
そしてそれが、ピーターをはじめとするキャラクターに魂を宿し、イギリスの片田舎よろしく、のどかでほのぼのとしながら、活き活きとしたキャラクターを創り上げることが出来たんだと思います。
あれだけ想像力豊かなキャラクターや物語を描けるのですから、内向的な性格かと思いきや、意外と頑として譲らない意思を持っていたのですね。少女時代から豊かな自然に囲まれて育つことで、彼女ならではの作風が徐々に形成されていく過程を、映画の中で取り上げていますが、その作風があまり変わらない。画家にしたって音楽家にしたって、果ては漫画家にしたって、「今回はこの作風で描いたので次はあの作風で」というのを多く見かけますが、一貫して同じような作風を描き続けるというのは、現代では割と珍しい事。今でもそんなアーティストはいることはいますが、やはり古くから愛されている、もしくは人気があるアーティストが多く、新参のアーティストは、まず自分のアートが売れる為に、よもや致し方なく作風を変えざるを得ないことも多くあったことでしょう。
ましてや、当時の社会があまり関心を寄せなかった「女性の職業における独立」。児童文学のベストセラーとして駆け上がったとはいえ、最初は苦しかったに違いありません。それでも、僕が見る限りでは、ほとんどその作風を変えていない。それこそ、彼女の持つ頑とした譲らない意思、ポリシーを持っているが所以なのでしょう。それだけ情熱を傾けていたからこそ、今世界中で愛されているのかもしれませんね。
以前『ハイジ』を観た時、主人公は『ハイジ』と『アルプスの自然』と申しましたが、『ミス・ポター』も同じような印象を受けます。もう一つの主人公は、イギリス・ウェールズ地方の大自然。あまりにも雄大で美しくて、思わず「ほぅ……」と溜息をついてしまいそうなくらい。
むしろこの大自然に触れて、何一つ想像力が湧かない、働かせることができない方がおかしい! って思ってしまうくらいです。
アーティストになることも反対されて、恋をした相手もビジネスマンであることを理由に反対されて、やっと婚約にこぎ付けるも若くして病気で先立たれてしまって。そんな苦難も乗り越えられたのも、彼女を愛した友人やキャラクターの他に、変わらず彼女を見守っている大自然があったからかもしれません。晩年、イギリスの大自然の保護に全力を費やしたのも、作家人生を切り拓く上で、切っても切れない絆のようなものが、彼女と大自然との間にあったのかもしれません。
という至極ごもっともなご意見は却下します。
赤福が本日の日程を狂わせたと昨日書きましたが、よくよく考えたら僕の旅行の基本スタイルは『行き当たりバッタリ』。大きな目標(今回であれば「伊勢神宮に行きたい!」)というのが叶えられれば、あとは全て思いつくまま、風任せ雲任せ。極端な話、もう皇大神宮(伊勢神宮・内宮)を見てきたんだから、豊受大神宮(伊勢神宮・外宮)を見ればもういいなじゃいかー、と思ったのですが、やはり僕も人間の端くれ。欲張りなところが出てきてしまうのです。
まあ、豊受大神宮が車で1時間以上のところにあり、参拝に1~2時間くらいかかってしまうのであれば話は別でしょうけれど。幸い、豊受大神宮は伊勢市駅から徒歩5分以内。気軽に歩き回れるくらいの申し分ない広さだったので、別の名所も観光することが出来そうです。
というわけで、やってきましたのは二見。日の出の名所として知られる、『夫婦岩』を見ながら、近くの神社の参拝に行ってきました。
しかし、昨日と同じく生憎の曇り空。時折降るパラパラとした雨。波もそんなに穏やかではなく、若干荒れておりました。皇大神宮は、雨天でも、いや雨天だからこそ静謐で荘厳な空気が漂っておりましたが、夫婦岩は、流石に雨天ではちょっと寂しいし、侘しい。『日の出の名所』というイメージが強いんでしょうかね、やはり青い空、穏やかな海、照りつける太陽の下、というのが、一番映えるような気がするのです。
それでも、朝早くから観光客で賑わっていました。
二見シーパラダイスでは、時間を間違えたのかアシカのショーもアザラシのショーも一つも見れず。まあ実のところ、海獣類のショーというのはそんなに好きな方ではなく。見てて楽しいですけどね。やっぱりアシカはアシカらしく、アザラシはアザラシらしく泳いでいるのが一番じゃないですかね。(←偽善)
伊勢市駅へ戻るバスに乗車。バスは途中、『伊勢・安土桃山文化村』を経由したのですが、遠くに見える城(後で調べたら『安土城体感劇場』だって)が激しくバッタもん臭を感じることから、華麗にスルー。怖いもの見たさで行ってみたい気もしなくはないのですが、まあそれはいずれまたの機会に。
(聞くところによると、安土城は諸説があるもののかなり豪華絢爛な造りになっているとか。でも僕の目には、森の中に全くマッチしていないケバケバシイ建物にしか思えず…)
勿論最後に回ったのは、豊受大神宮(伊勢神宮・外宮)。
ようやく雨も上がり、時々太陽も顔を出すようになってきましたが、やはりまだ厚い雲に覆われておりました。なので、雨が降っていないというだけで、青々とした森の中と残暑特有の湿気交じりの空気は、昨日の皇大神宮と変わりません。
皇大神宮にしても豊受大神宮にしても、個人的に残念だったのが、行ってみたい、中に入ってみたいと思っていたところの多くが、立ち入り禁止になっていたこと。まあ確かに神の領域でありますので仕方ありません。神事でもない限り一般公開なんて無いでしょう(むしろ神事がある方が厳重に警備しているのかも…)。
何だかんだ言っても、予想していたよりは多くの施設や名所を回れたような気がします。帰りの新幹線の中でガイドブックを広げながら、「あ、ここにも足を運べばよかったかなぁ」と思うところも一つか二つくらいありましたが、別に二度と行けないわけではありませんし、それはまた別の機会、ということで。
また、今回の旅では、しっとりとした雨の中の神宮散策でしたので、今度はからっと晴れて、木漏れ日が差す時に行きたいと思っています。その時は6月中旬くらいがベストでしょうか。豊受大神宮の勾玉池の花菖蒲が見頃を迎えている時期でもありますし。
ゆっくりのんびりしながら、ぐるりと日本の名所を発見(もしくは再発見)するのも、いいかもしれません。
エピローグ:『赤福』その後
やはり家族に『今日のうち』に食べてもらうためには、夕食時くらいには家(実家)に到着しなければならない! と決意し、本来夕方前くらいに伊勢市駅出発のところを、昼過ぎくらいに予定変更。今日の観光行程より帰りの電車(新幹線含む)の方が時間がかかったなんて、一体全体どういうことでしょう。
でも、何とか夕食前に実家に到着し、平穏無事に消費期限前の赤福を堪能できました。
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