この映画を鑑賞する際は、是非とも原作を読んでから、もしくは当時の『ダニエル・パール氏殺害事件』の情報を予め仕入れてからの鑑賞をお勧めする。なぜなら、この物語は展開がものすごく速い。加えて、登場人物も多く登場する。
予備知識も先入観も無く鑑賞することを否定はしないが、この作品の人間関係や背景等を理解するのなら、事前に情報を仕入れる方がいいと思う。
さて、事前に原作を読まれた方でこの作品を鑑賞された方は、この作品に若干の不満を感じるのではないだろうか。前述の展開の速さは勿論のこと、テロリストの恐ろしさ、狡猾さ、そしてパール夫妻の「真実を探りぬき、公平な視点で報道する」という意気込みがあまり感じられない。『ダニエル・パール氏殺害事件』に傾倒するあまり、その周辺の国家や民族までの軋轢までは描ききれていない。勿論、限られた時間の中で全てを表現しきることなど至難の業であるが。
何より、どこか『他人事』のような作品に感じる。ノンフィクションを映画化して伝え、観客にどう感じとほしいのかを問うのが狙いのはずであるが、この事件の『痛み』が、上手く伝わってこないのだ。でもそれは本当に難しいことでもある。愛する者を惨殺され、無惨な肉塊と化してしまった、その現状を目の当たりにする人の辛さは、決して本人以外には分からない。
ただ、本人ではない『他人』が演じるからこそ、出来る事もあったんだと感じた。「事件の辛さは本人しか分からない」。それを知ってのことかどうかは分からないが。
原作『マイティ・ハート―新聞記者ダニエル・パールの勇気ある生と死』では、到底人間とは思えないような仕打ちをどんなに打ちのめされても、決して揺るぐことなく耐え、そして必死に捜し求める人々の、文字通りの『強い心』が伺えた。映画は、むしろ逆のアプローチ。「人間は何て無力なんだろう」という気持ちが込められているように感じた。
たった一人、救うことができない己の無力さ。自己の主張を押し通すために、人一人の生命を簡単に摘み取るテロリストの弱さ。特にダニエル氏の死が確定した時の、全員の身体に重く圧し掛かる『己の無力さ』は、察して余りある。
人間はここまで進化を遂げてきたけれど、もしかしたらその本質は、まだまだ到底及ばないくらい弱いのかもしれない。でも、それを知っている/知らない だけでも、大きく違ってくることも事実。
この作品は、テロリストの実態や事件の真実を映し出す以上に、人間の『弱さ』の本質を理解し、これから先も行き続けていく上で、『強くなる』とは、『強さ』とは何か、というのを問い続ける作品であると感じた。
しかしこの映画、これといった特筆すべきシーンとかはなく、割と淡々と物語が進行していく作品でした。普通の銃とは違い、1~2km離れた場所からの攻撃なので、狙われた者からすれば、どこから狙われているのか分からない、また、観客としてもどこから獲物を狙っているのか分からない、というスリルを味わう事ができます。が、それもラストの方でその真骨頂を見せているものの、それまでの物語を牽引するだけの力はなく、大どんでん返しや大きく予想に反した展開も無い。主人公も一貫してハードボイルドで通っているので、大きな心情の変化もなし。
長距離スナイパーのアクション映画はあまりありませんので、アクション映画としての括りの中では、割と新鮮味のある作品ですが、良くもなく悪くもなく、という感じです。
折角、新米とはいえ注意力や分析力に長けたFBI捜査官を味方にしたのに、あくまで利用の対象であって『仲間意識』としての位置づけが希薄でした。やはりスナイパーって孤独な仕事なんですね……
そして、『ジェイソン・ボーン』シリーズなどはかなり顕著ですが、アメリカ国内では『CIA』はどちらかというと悪の組織、という位置づけなのでしょうか? しかも、あからさまに『煮ても焼いても喰えない』人物が登場すること登場すること。『アメリカ』という国家の国益を創出する為に、あらゆる手段を用いる、という話は聞いておりますが、まさか本当に映画に登場するような、誰かを陥れるやり方で国益の創出を担っているのでしょうか?
『グッド・シェパード』も観賞しておりますので、いささか疑問に感じるところでございます。
CIAであるにしろないにしろ、あそこまで性根の腐った登場人物というのは、最近の作品では珍しいですね。ファンタジー映画などで、勧善懲悪の位置づけで悪役が登場しますが、やはりファンタジー映画ということで、どこか憎めない部分も醸し出しています。が、この作品の悪役は、正に根性腐れ。他人事の戯言ですが、死んだ方が世間のためって思いたくなってしまいます。
阿波踊り体操だと!
前半はストレッチで、後半は自由に踊るという構成なんだが、これが結構効くらしいんだ。
何でも、1時間続ければ、サッカーやラグビー以上の消費カロリーなんだと!
生活習慣病や糖尿病、メタボリック対策に一役かっているらしいぞ!」
父よ。健康について力説するのは結構なのですが、
風呂上りのパンツ一丁姿で、リビングでいきなり阿波踊りを踊るのはやめていただきたい。
(それもただ適当に踊っているだけだし……)
アナタの妻は、素でひいてました。とうとうとち狂ったかって顔してました。
ちなみに阿波踊り体操はちゃんとした動作方法があるようで、DVDやビデオでも貸し出しているし、YouTubeでも見ることが出来ます。
最初のストレッチは、通常の体操よりやや運動量を増やした動きで、結構疲れるかもしれません。が、その後の自由な踊りは……
少なくとも、家族の団欒の中でやるものじゃないって思いました。
かといって一人でやるのは虚しすぎる…… この体操は、あくまで団体でやるもんですよね。。。
記憶を辿る者。その者を殺すCIA。記憶を手繰るために、手がかりを探す。記憶を手繰らせないために、手がかりを潰す。どちらがどれだけの情報を仕入れ、準備し、的確に対応するか。互いが互いを出し抜く。慎重に、時に大胆に。
記憶を手繰る手がかりに近づけば近づくほど、CIAの攻撃は一層激しさを増す。容易に近づけない。勿論CIAも容易に殺せない。何せ、自分達が育てた最強の暗殺者なのだから。
止まることが無い彼は、追う者を見つけてはその命を摘み取っていく。記憶の無い最初の頃は、覚束ずも澄んだ目が、だんだん濁っていく。これぞ、暗殺者の目、というふうに
追う者と追われる者、互いの素性は知っていても、その本性をつかむことが出来ず、幾多の攻防戦でどちらかが(もしくは双方ほぼ同時に)その真相を掴む、という構図は、『DEATH NOTE』の前編(夜神月とLの攻防)に良く似ています。但し、『DEATH NOTE』の場合は、互いが互いの懐に位置し、互いを飼い慣らしも同然にしながら、どちらが真相を掴むことが出来るか、という静的な攻防です。その一方で、この『ジェイソン・ボーン』シリーズは、動的な攻防。ジェイソン・ボーンは記憶を手繰るために、それを邪魔する存在は悉く葬るか利用する。CIAは凶悪的な暗殺者を一歩たりとも近づけないために、あの手この手で探し出し、抹殺を試みる。
どちらが先に王手をかけるか、最後の最後まで予想だにできない展開は、観る者を圧倒し、終始ハラハラドキドキさせました。
難を言えば、如何にCIAの手から逃れるために手段を選ばないとはいえ、半ば無茶苦茶なことをするなぁ、というのが正直なところ。勿論、『ボーン・スプレマシー』でもあるように、相手が相手ですので、形振り構っているわけには行かない、本気で逃げ遂せる、というのは分かりますが。
一番の山場に見せるカーチェイス・アクションも、もちょっと上手い具合に相手を出し抜くようなスマートな逃げ方を観たかったなー、とか。まぁ追う方もプロですから、そんなスマートな方法では出し抜けようにも出し抜けないんでしょう。
さて。
ついに彼は『本当の自分』を見出すことができました。
自分を『作り上げた』CIAの暗部も暴露することが出来たし、まずは本懐を遂げることが出来たのでしょう。いくら致し方の無い身の上の出来事とはいえ、これからはごく普通に幸せに暮らしてほしいものです。
まぁ、身体に染み付いた『暗殺』の習慣は、そう簡単に抜けることは無いでしょうけれども……
→ [disturb]と[suburbia]の造語
disturb
-【動】(他)
1.〈…を〉 (かき)乱す
2.〈平安・平穏・人の心などを〉 乱す; 妨げる、妨害する
3.[~ oneselfで] 仕事(など)を邪魔する
-【動】(自)
(人の睡眠中・休息中などに)邪魔をする
suburbia
-【名】(U)
1.[集合的に] 郊外、郊外住居者[住民]
2.郊外風の生活様式[習慣、風俗]
『予測不可能、ノンストップのサスペンス・スリラー』という触れ込みから、期待して観賞したのですが、予想に反して普通のサスペンス・スリラーでした…… orz
『自宅軟禁状態』、『行動範囲は30m』、『決してバレてはならない覗き見ゲーム』と、割と別々の映画になら登場する言葉が3つも揃っているので、主人公が何らかの組織に強請りを強いられ、為すがままに覗き見を行わされる。しかもバレれば逃れようも無いペナルティが… というふうに観賞前は思考を張り巡らせていたのです。やはりサスペンス映画は、どこかしら過去の題材を踏襲している部分が多く、過度に期待を寄せずに見る方がいいですね(『パーフェクト・ストレンジャー』とかもそうでしたが)。ただその心の持ち様はどこか寂しいような気がしますが。要は、今までに無い全く新しい予測不能なサスペンスが観たいということです(←ただの我侭)。
プラスして、色んな思わせ振り伏線が多く蔓延っていたのに、何だかそれも有耶無耶にされたような感じが…
まずは、主人公ケール役を演じたシャイア・ラブーフ。初っ端から「彼女を妊娠させてしまった」という、『トランスフォーマー』から一皮も二皮も剥けたような台詞が発せられたのに、実際のところの彼の言動、部屋の散らかりようは、正に思春期全開のティーネイジャー。『トランスフォーマー』に逆戻り。結局は妊娠させた彼女は出てこないし… それって親から金をせびる口実??
アシュリー役のサラ・ローマーも、曰く付の家族の中で暮らしているものの、そういった描写はやや希薄に感じました。また、割と柔軟に主人公と覗き見ゲームに参加しながらも、矢鱈と的確な観察眼をお持ちだし。警察捜査とかにご興味が? どうやら懲りなく浮気を続ける父親を観察することで身についた観察眼のようです。
近所の人の悪事を暴くための捜査についても、ありとあらゆるハイテク機器を選り取り見取りに揃えたものの、捜査方法は好奇心旺盛な青年よろしく、かなり暴走気味でおざなり。むしろ観ているこちらがハラハラしました。
何よりも、最初の交通事故シーン。どう考えてもわざととしか思えない運転(主人公が運転する車じゃなくて)。むしろこの交通事故が、今後のサスペンス・スリラーを紡ぎだす発端になったんだと思いましたが、そういったことは何もなく、ただの交通事故に……
つまり、色んな思わせ振り路線が張り巡らされているのは、「きっと何かが起こる!」と観客に思わせる制作者サイドの仕掛けでしょうか? それにしては、その落胆は結構大きいですよ。