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2025/08/06 16:17 |
[Review] ポストマン
ポストマン長嶋一茂も走る走る走る走る走るー!!
けれどコチラも足ではなく自転車(バタンコ)ですが、その脚力は往年の野球選手時代のそれに匹敵するのではないかと。


今作の重要なポイントは、人と人との『繋がり』。それも、単に無機的な繋がりではなく、気持ちや温もり、そして想い出も相手に伝え、共有する『繋がり』。たとえ遠くに離れていても、お互いの声を聞いたり顔を見ることが出来なくても、その文字と絵で、自分の気持ちを相手に伝えることが出来る。
また、繋がりは何も横の関係だけではありません。親から子へ、子から孫へ、先祖から子孫へ。代々連綿とした繋がりもあります。
電子メールは確かに便利。郵便局に行くことも、ポストに行くことも無く、瞬時に情報を相手に伝えることが出来る。でも、電子メールのような画一的な文字では、自分の気持ちが本当に伝わるとは限らない。手紙には、その一字一句に、送った人の気持ちが込められている。
便利な世の中を否定するわけではありませんが、本来人と人との繋がりって、そんな温かいものではなかっただろうか。そんなことを思い出させる作品です。

もう一つのポイントと言ったら、その『繋がり』がもたらす新たな前進、というところでしょうか。
いや、むしろ『繋がり』なくして、人が前進することはあり得ない。孤独に生きているように見える人でも、どこかで誰かの『繋がり』がある。全くの繋がりが無ければ、人は生きていけないのだから。ましてや前進など。
そして『繋がり』というのは、何も甘く優しいだけとは限らない。時に冷たく、厳しく、荒々しく。でも、それらが自分を、お互いを潰してしまわない限りは、全て自らの、お互いの糧となる。過去を断ち切ることはできないけれど、過去との『繋がり』が未来に進むためのステップになります。
『繋がり』といっても、固執すればそれは『繋がり』とは言えず『縛り』となります。縛られた状態では、前進することもできない。また、自分に迷いがある人にとって、人との『繋がり』は非常に大きな役目を果たす。だって、迷っているということは、自分の中で答えが見出せていないけれど、もしかしたら『繋がり』を持つ『誰か』が、答えを見出してくれるかもしれないから。後押ししてくれるかもしれないから。


以前、何年か前なのですが、どこかのポータルサイトのサービスで、HP上で年賀状作成&送付サービスみたいなのがやっていました。
自分で年賀状を買って、構成を考えたり印刷したりとかせず、全てHP上のサービスで簡単にデジタル年賀状の作成。そして一瞬で送付。
翌年は全くやらなくなりましたが。勿論、今そのサービスがどうなったかは知りません。
だって、受け取る側としてはあまり嬉しくない。勿論、送付してくださる方を無碍にするわけではありませんが、サービス自体が嬉しくないのです。葉書として受け取る方がよっぽど嬉しい。
手間がかかるのに、時間もかかるのに(昔に比べれば格段に速いんですけれど…)、それでも手紙や葉書が無くならないのは、まだまだ人が『温もりある繋がり』を求めている所以なのでしょうか。

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2008/03/23 13:34 | Comments(0) | TrackBack() | Review - Movie
[Review] ガチ☆ボーイ
ガチ☆ボーイ心は忘れていても、身体が憶えていることもある     

映画館のポスターを拝見した時、「よくある青春ハチャメチャ劇か?」と一歩引きながら思ってしまいました。割とこの手の作品は敬遠していたのですが、様々な感想文を拝見してエラく高評価だったので、鑑賞することに。
凄く良かったです。展開としてはベタなところはありますが、「ハンディキャップを背負っていても尚、立ち向かおうとする姿勢」は、観る者をググッと惹き付ける魅力がありました。


『記憶障害』に関する作品はこれまでにも数多く公開されています。そのうち、僕がこれまでに鑑賞した作品は、『博士の愛した数式』と『明日の記憶』。『博士の愛した数式』は、事故を起こす以前の記憶は鮮明に残っているのに、それ以降の記憶は80分を過ぎるとなくなってしまう。一方の『明日の記憶』は、それまでの大切な、無くしたくない記憶ですら、まるで白く塗りつぶされてしまうかのように消されてしまう。
(鑑賞はしておりませんが、海外の作品でも、『50回目のファースト・キス』や『私の頭の中の消しゴム』などがありますね)
今作の主人公が持つ障害は、『博士の愛した数式』のような、高次脳機能障害。眠りに就き、目覚めると前日のことを忘れてしまう記憶障害。目が覚めたら、「『昨日』は何したんだっけ?」じゃない。「『昨日』というのはあったのか?」。『昨日』という大切な1日があったのかどうかすらも分からない。『昨日』を知る手がかりは、これまで書きとめた分厚い日記帳。それを書いたことすらも忘れてしまうので、目が覚めた時、周囲にあるのは、「日記を見ろ!」のメモ書き。
昨日までの自分の記憶がありません。それは、明日になったら別人の自分がいる。昨日までの自分を取り戻すには、昨日までの記録を見るしかありません。けれど、「日記を書いた」ことすらも忘れていると、「本当にこれは、自分がこれまでにやってきたことなのか」と疑ってしまうのです。

吐き気がするような嫌悪。これが死ぬまで一生続くという恐怖。そして、それを自分の家族に、自分の身の回りの人達に背負ってもらわなければならない、という罪悪感。

しかし、どんなに心が忘れても、身体は正直。
プロレスをしている時の痣が残っている。筋肉痛が残っている。何度も何度も練習し、その身体に刻み込まれたから、自然と身体が動く。「あれ、こんな技練習したっけ?」。そう思っても、身体が自然とそう動くのなら、練習したに違いない。それも毎日毎日毎日。
明日、自分の心は確かに別人になっています。昨日までの自分を取り戻すのは並大抵のことではできません。けれど、身体は昨日の自分を残している。その前の日も。その前も。その前も。連綿と残っている記憶。
「ちゃんと昨日も生きている」という証。これからも余儀なく「明日になったら別人の自分」という不安と恐怖が襲い掛かるけれど、身体に『昨日まで』が残っている限り、明日への支えになる。

でも、残したくない記憶を突き付けられ、それを残さなければならないのは、やっぱり辛い。


僕の周りには、記憶障害を持っている方はいません。でも、これから長い人生を送る中で、そういった方にお会いすることがあるかもしれません。もしかしたら、僕自身がそうなるかもしれません。
見た目は普通の健康体なのに、記憶が1日しか持たない。当事者である本人も、その人と共にしていく人も、同じように辛い。
出来ることは本当に少ないけれど、理解無しにお互いが重い障害を受け入れることはできない。何も出来ないかもしれないけれど、何もしなければ、きっと死ぬまで、別人の1日を未来永劫繰り返したままになってしまう。
当事者の心には、明日になったら消えてしまっても、身体が、そして共に生きる人達が憶えている。そんな絆の大切さを教えてくれる作品です。


実のところを申しますと、この類の作品は、実は苦手なんです。歯痒くなる、という意味ではなくて、フィクションなんですけれど、とても主人公が羨ましく思うのです。
自分にはこんな弱いところがある。それでも受け入れて、信じてくれる、背中を預けてもらえる仲間がいる。そんな経験があまり無かったものですので、年甲斐もなく(爆)羨ましく思ってしまっています。もしかしたら、既に自分にはいて、自分だけが気づいていないだけかもしれませんが。
『弱さ』を受け止め、受け入れてくれる仲間がいると実感できるのは、たとえ記憶に残らなくても、『幸せ』は残るのではないのでしょうか。

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2008/03/22 22:27 | Comments(0) | TrackBack() | Review - Movie
[Review] 魔法にかけられて
魔法にかけられて御伽の世界では、心優しく美しい姫が歌を歌うと、どこからともなく動物が集まってくる。リスや小鳥、蝶やてんとう虫、そして小鹿といった小動物が姫の下へ。一緒に歌い、踊り、姫と話をしたりしながら、楽しいひと時を過ごす。

これをニューヨークでやったらどうなるか。

あまりにもシュールすぎる展開にっ!!

でもそれが妙に現実っぽくて、もの凄く笑えました。


これまで、現実の世界から御伽の国に迷い込み、そこで様々な経験をする、という作品は数多く公開されています。しかし、その逆、しかも現実を実写でリアルに表現する作品というのは、僕が知る限り(さして多くの作品を鑑賞していないんですけれど…)、この作品が初めてではないかと。『現実の世界から御伽の世界へ』は、決して現実の世界では見ることのできない、魔法や超常現象、架空の生物や宝物が目の前に繰り広げられる。不可解な出来事に四苦八苦しながらも、仲間の助けを借りながらも、心と身体を成長させていきます。
それに対し、『御伽の世界から現実の世界へ』は、やはり基本方針は心と身体の成長。でも打って変わって超現実的。最初はもう世間知らずを通り越した天真爛漫さで、無駄に歌声と踊りを撒き散らします。御伽の世界なら、誰もが振り向いて見とれることでしょう。でも、ニューヨークでは、誰も彼もが、自分に協力的ではない。御伽の世界に迷い込んだ現実の住民とは方向性は違えど、自らの運命は自らで切り開く、そんな逞しさが滲み出ています。

でも、この作品を鑑賞して、何よりも嬉しかったのは、そんなまるで空気の読めない彼女の天真爛漫さでも、心の底から楽しみ、人々を祝福し、そして泣いてくれる、という素直な感情に、現実の人達が触れたことで、「痛みを分かってくれる人がいたんだ」と思うようになったということ。
それは、ニューヨークではなく東京でも言えることです。どこか目が虚ろで、全てが他人事にしか見えず、真に信じられるのは自分だけ。いや、自分自身ですら、信じるに値するかどうか分からない。それでも彼女は、真剣に悩み、苦しみを分かち合おうとし、共に楽しもうとする。本当は誰かと触れ合いたくて、でも信じられるか分からなくて。その心の蟠りを、天真爛漫さで解いていく。その時思う。「ああ、この街も、捨てたもんじゃないな」って。

邦題『魔法にかけられて』の通り、いくつか魔法が出てくるのですが、視覚効果として派手に表現されるのは、魔女の魔法くらいでしょうか。
ジゼルも魔法を使えるようですが、小動物と話したりするくらいで、炎や氷が出せたり、空を飛ぶなんてことはなく。でも、登場人物はもとより、鑑賞者もウキウキさせるその力こそが、本当のジゼルだけが持ち得る『魔法』かもしれません。もし本当に御伽の国の姫が現実世界に来ることがあるのなら、是非東京に! と言いたいところです。


ところで。
勿論、この物語は、ちゃんと御伽の物語のように、ハッピーエンドです。そのお相手は……!

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2008/03/15 22:59 | Comments(1) | TrackBack() | Review - Movie
不感症な子への調教
  ? Tさん、どうしましたか?

「いやぁ、この子がどうも不感症でね。
 前の穴に挿入しても、後ろの穴に挿入しても、ちっとも反応しないんだよ。」


  なんと。Tさんのテクニックをもってしてもダメだとは。

「どうやったら、この子を敏感にすることができるかねぇ…」

  後ろにもう一つ穴がありますよね。そこに挿入したらどうですか?

「いや、そっちの穴に挿入しても、やっぱり無反応だった。」

  そうですか… じゃあ、穴に息吹きかけてみたらどうですか? 『ふぅっ』 って。

「ん~… まぁそれで敏感になることもあるからね。やってみるか。 ふぅっ…」



…………… 




「やっぱりだめだった。」

  そうですか。それじゃ仕方ありませんね。




結局、PCのUSBポートが反応しなくなったため、修理に出されるのでありました。

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2008/03/13 19:07 | Comments(0) | TrackBack() | Diary
[Review] バンテージ・ポイント
バンテージ・ポイントいわゆるサスペンス映画のジャンルですが、物語の流れは以下の通り。
 1.演説中の大統領暗殺計画
 2.演説会場を爆破し、混乱に乗じて要人誘拐
 3.限られた証拠や目撃情報から、犯人特定・追跡
 4.犯人を追い詰め、要人救出

この通り至って単純。既にこれまで何度も映画化された内容ですので、もし、単にこの内容を淡々と映し出すだけでしたら、あまり観る必要は無いと思います(過去に面白い作品はいくつも公開されてますし)。

ですが、今作は確かに大筋は単純明快であるものの、その見せ方が斬新!
主人公は確かに、デニス・クエイドが演じる、シークレット・サービスのトーマス・バーンズなのですが、物語の展開は彼の視点からだけではない。大統領暗殺・演説会場爆破計画に居合わせた、実行犯・目撃者・追跡者計8人の視点で描かれています。例えば、ある時点でトーマス・バーンズが目にした情報と、全くの同一時刻に、フォレスト・ウィッテカーが演じるハワードが目にした情報が、全く違う。そしてハワードが見た情報が、事件の全貌を明らかにする上で、重要な手がかりとなることがある。
それぞれの登場人物の目撃した情報は、確かに一つの『事実』である。しかし、『真実』は同じとは限らない。各人の行動や、各人の持つ『真実』が明らかになるにつれて、少しずつ、事件の『事実』である全貌が解れていく。

同時刻に別の人間の行動が描かれる作品と言えば、言わずと知れた『24』が挙げられます。『24』の場合は、ある一定時間は登場人物Aが、特定の時刻を境に、正にその時点で登場人物Bがいる場所、いる状況に映像が移る、という手法を取っています。その間、何気に登場人物Bの『空白時間』があるのですが、それでも、切り替えの瞬間に他の人物が今どこに居て、どのような状況になっているのかを『同画面』で表示しますので、リアルタイムな臨場感・緊張感を得ることができます。
一方の『バンテージ・ポイント』は、ある一定の時間の行動を、『24』のような『空白時間』を作ることなく、8人全ての視点で描いています。勿論、1画面に同時に8分割なんてできません。ある特定の時間の、ある人物の視点が描かれると、次は同じ時間の、別の人物の視点が映し出されます。別の人間の視点ですから、同時刻に目撃した情報は勿論、目に映る情報に対する主観も違います。これが、目に映るのは確かに『事実』だが、同じ『真実』とは限らない、ということの所以です。

難を申し上げれば、実行犯の詰めの甘さでしょうか。
登場人物の視点が次々と明らかになる、ということは、今回の犯行計画の全貌も明らかになる、ということになります。その用意周到さや、情報の収集能力や操作能力の絶妙な上手さといったら!
しかし、最後の詰めの方で、交渉を誤ったり、冷徹になりきれていないところを見ると、やはり詰めが甘いと思わざるを得ません。まぁ、あまりにも完璧すぎて、追跡者側としてもとても追いにくい状態ですと、そもそも約1時間30分という短い時間の中では収まりきらないでしょうけれど。

そうは言うものの、今までにない斬新なスタイルのサスペンス映画ですので、これまで山程堪能してきた方でも、十分楽しめる内容なのではないかと。

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2008/03/08 22:15 | Comments(0) | TrackBack() | Review - Movie

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