「何か違うのよねー。私が思い描いていたLとは。」
と仰ったのは、2006年に公開された映画『デスノート(前編/後編)』を観賞した時の先輩(♀)の言。僕と同様に原作をこよなく愛していらっしゃるので、映画化に際しては、一抹の不安は拭いきれてはいなかったようです。先輩(♀)曰く、思っていたよりイメージに近いLらしかったのですが、2時間30分という短い枠内で演じる、というのがやはり無理だったのか、上記のような発言が出たのかもしれません。
僕としては、『デスノート(前編/後編)』の松山ケンイチ演じるLは、割と良かったと思います。やはりどこかで人ならざる匂いを醸し出しているキャラクターを演じる、というのは、ものすごく難しかったんだと思いますけれど、彼は彼なりのイメージを以ってLを演じ、十分それが伝わりました。「原作に忠実に」というより、「映画ならでは、松山ケンイチが演じるならではのL」というイメージでしょうか。これはこれでアリだと思いました。
が。
今回の映画は、物語は別として、僕の中のLのイメージを根底から崩された感が否めません……
アクションを演じるLはLじゃないっっ!!
確かに「映画ならでは、松山ケンイチが演じるならではのL」なんですけど、原作からかなりかけ離れているような気が…
先輩(♀)の言も、あながち理解できないわけではないと思ったのです。
まず、正義感出しすぎの熱血すぎ。そりゃ、これまでのアクション・ヒーローからすればかなり脱力系ですが、おおよそLらしくない熱血振りを発揮しています。
そもそも、Lの興味の矛先は、これから死ぬかもしれない人を救うより、その根源となる悪を潰す事。人の生命が最優先とはいえ、Lは何よりもその根源を如何に消すか、つまりはその根源とどのような勝負を仕掛け、そしてその手で捕まえるかに専念します。傍から見れば、本当に正義の味方なのか、もしかしたら悪なんじゃないか、と思ってしまうような、『偏りがほとんど見られない』ところに、Lらしさがあるんだと思うのです。
今作では、早々に犯人の一味が分かってしまったということもありますが、人の生命に第一優先して行動しています。やはりキラ事件で、自分の勝負ポリシー云々より、人命の尊さに目覚めたのでしょうか。
次いで、自分で動きすぎ。
Lの手法といえば、モニター越しで顔を見せず声を変えて指揮を執る。実際の現場で事件を解決するのは、Lの指揮の下で動く法執行機関の捜査官でした。しかし、状況が状況だからか(ワタリは『デスノート』の後編で死んだし、今回の事件の首謀者は、Lを良く知る人だからなのかも)、Lが自分で動くことに。
『あまり動かないL』というイメージが強い人には、後半の方で繰り広げられるLの行動のシーンには、しばし唖然とする方もいらっしゃるのでは。原作にはない、映画なんだから、と、自分に無理矢理納得させようとしますが、やはりどうも難しかったみたいです。
というわけで。
今作は、『デスノート』のイメージを全部(でなくてもいいですけど、でも大半は)捨てて、全くのオリジナルの映画として鑑賞されることをお勧めします。勿論、『スピンオフ』という概念も無くして、です。物語の展開自体はそんなに悪くはありませんので(無理はありまくりですが)。
ただ、少々スプラッター・ホラー要素が入っておりますので、その部分はご注意を。あと、悪役(の脇役)の演技があまりにもベタだということに、一部戸惑いがあるかもしれません。
何より、Lとしての最後の仕事が、自分で考え、自分で指揮するのではなく、多くの人の力を借りて成し遂げた、ということ。広義の意味で『人の力を借りる』といえば、原作でもそうなのですが、今作の映画では、それぞれのキャラクターがLと平行の立ち位置で問題解決を試みようとしています。原作にはほとんど見られなかった、「皆と協力して解決していく、世界を変えていく」という姿勢が見られた、という意味では、良かったと思います。
と仰ったのは、2006年に公開された映画『デスノート(前編/後編)』を観賞した時の先輩(♀)の言。僕と同様に原作をこよなく愛していらっしゃるので、映画化に際しては、一抹の不安は拭いきれてはいなかったようです。先輩(♀)曰く、思っていたよりイメージに近いLらしかったのですが、2時間30分という短い枠内で演じる、というのがやはり無理だったのか、上記のような発言が出たのかもしれません。
僕としては、『デスノート(前編/後編)』の松山ケンイチ演じるLは、割と良かったと思います。やはりどこかで人ならざる匂いを醸し出しているキャラクターを演じる、というのは、ものすごく難しかったんだと思いますけれど、彼は彼なりのイメージを以ってLを演じ、十分それが伝わりました。「原作に忠実に」というより、「映画ならでは、松山ケンイチが演じるならではのL」というイメージでしょうか。これはこれでアリだと思いました。
が。
今回の映画は、物語は別として、僕の中のLのイメージを根底から崩された感が否めません……
アクションを演じるLはLじゃないっっ!!
確かに「映画ならでは、松山ケンイチが演じるならではのL」なんですけど、原作からかなりかけ離れているような気が…
先輩(♀)の言も、あながち理解できないわけではないと思ったのです。
まず、正義感出しすぎの熱血すぎ。そりゃ、これまでのアクション・ヒーローからすればかなり脱力系ですが、おおよそLらしくない熱血振りを発揮しています。
そもそも、Lの興味の矛先は、これから死ぬかもしれない人を救うより、その根源となる悪を潰す事。人の生命が最優先とはいえ、Lは何よりもその根源を如何に消すか、つまりはその根源とどのような勝負を仕掛け、そしてその手で捕まえるかに専念します。傍から見れば、本当に正義の味方なのか、もしかしたら悪なんじゃないか、と思ってしまうような、『偏りがほとんど見られない』ところに、Lらしさがあるんだと思うのです。
今作では、早々に犯人の一味が分かってしまったということもありますが、人の生命に第一優先して行動しています。やはりキラ事件で、自分の勝負ポリシー云々より、人命の尊さに目覚めたのでしょうか。
次いで、自分で動きすぎ。
Lの手法といえば、モニター越しで顔を見せず声を変えて指揮を執る。実際の現場で事件を解決するのは、Lの指揮の下で動く法執行機関の捜査官でした。しかし、状況が状況だからか(ワタリは『デスノート』の後編で死んだし、今回の事件の首謀者は、Lを良く知る人だからなのかも)、Lが自分で動くことに。
『あまり動かないL』というイメージが強い人には、後半の方で繰り広げられるLの行動のシーンには、しばし唖然とする方もいらっしゃるのでは。原作にはない、映画なんだから、と、自分に無理矢理納得させようとしますが、やはりどうも難しかったみたいです。
というわけで。
今作は、『デスノート』のイメージを全部(でなくてもいいですけど、でも大半は)捨てて、全くのオリジナルの映画として鑑賞されることをお勧めします。勿論、『スピンオフ』という概念も無くして、です。物語の展開自体はそんなに悪くはありませんので(無理はありまくりですが)。
ただ、少々スプラッター・ホラー要素が入っておりますので、その部分はご注意を。あと、悪役(の脇役)の演技があまりにもベタだということに、一部戸惑いがあるかもしれません。
何より、Lとしての最後の仕事が、自分で考え、自分で指揮するのではなく、多くの人の力を借りて成し遂げた、ということ。広義の意味で『人の力を借りる』といえば、原作でもそうなのですが、今作の映画では、それぞれのキャラクターがLと平行の立ち位置で問題解決を試みようとしています。原作にはほとんど見られなかった、「皆と協力して解決していく、世界を変えていく」という姿勢が見られた、という意味では、良かったと思います。
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