もし犯罪者が君の大切な人を殺したら、どうする?
許さない。絶対に許さない。
殺したいくらい?
そうだね。殺したいくらい憎らしい。
じゃあ、もし本当に実際に被害者になったら、犯人を殺す?
……………分からない。
なぜ? 殺したいくらい憎らしいんじゃないの?
出来るものなら。でも 。
でも?
もし本当に殺してしまったら、きっと僕の家族を苦痛に追いやってしまう。
僕に親しくしてくれた人に、悲しい思いをさせてしまう。
映画『手紙』の主人公と同じように。この先生きていくことすら辛く感じてしまうくらい。
そうだね。
『人殺し』のレッテルは、きっと死ぬまで消えない。いや、多分死んでも消えない。
その家族も、『人殺しと親しい者』として、この先ずっと白い眼を向けられて生きていく。
被害者の苦しみは、被害者でしか分からない。
同時に、加害者と親しい人が受ける苦しみは、その人にしか分からない。
けれど恐ろしいことに、周りが被害者の苦しみを理解している『振り』をしていることだよ。
まるで自分達も被害者であるかのように振舞っている。
もし、加害者を憎んでいい権利があるんだとしたら、それは被害者だけだ。
『何もされていない』人たちが、まるで自分達も『何かをされた』かのように、加害者を蔑んでいい
理由はないと思う。
じゃあ、君はもし傍観者の立場だったら、犯罪者を受け入れられる?
……………分からない。
すぐには受け入れられないの? なぜ?
………怖いから。
何が『怖い』の? 自分も被害者と同じように殺されることが?
それもそうだけど、………周りが。
周りの『何』が怖いの?
白い目で見られるのが。「犯罪者と親しい人なんだ」と思われるのが。
それって、結局は自分のためなんだね。
どんなに理想を挙げ連ねても、最後はわが身可愛さに走ってしまうんだよね。
でも、それが『人間』だよね。
……………。
いじめや談合、責任転嫁といった、様々な社会問題と一緒。
わが身可愛さに、自分が被害者にならないように、見て見ぬ振りをしてるだけ。
そういう『受け入れることの出来ない』体質が、更に犯罪や自殺を増長させているのに。
犯罪者にとってみればたった一回の過ちが、こうも負の連鎖を繋げているんだね。
そうだね。
でも、その負の財産しか生まない体制を『変えられる』のも、人間しかいない。
確かに、過ぎた罪を無かったことにするなんてことは出来ない。
一度殺した人を、生き返らせることなんて絶対に出来ない。
でも未来は、何物にも染まっていない未来は、いくらでも変えることが出来る。
きっとこの先も、辛く苦しい未来が続くのかもしれない。
でも誰も受け入れてくれなければ、きっとまた負の遺産を生み続けるだけなんだ。
ほんの少しでも受け入れる気持ちがあれば、もしかしたら変えられるかもしれない。
言うは易しするは難し。でも、映画『手紙』に登場する人物のように、心の暖かい人が周囲にいれば、きっと変えられるかもしれない。
色々な人が号泣したと絶賛する映画です。
僕は号泣まではいきませんでしたが、でも心がじんわりと温まりました。
罪を犯した者は、この先決して逃げられない。
罪を犯した者と近しい者も、その偏見から逃げることはできない。
あまりにも重過ぎるハンデを負いながらも、それでも生きていかなければならないのが彼らの宿命。
ならば、僕達ができることは?
一度罪を犯した者を受け入れることは、難しいかもしれない。
それもきっとすぐにはできない。何日も、何年も時間を積み重ねるかもしれない。
映画『手紙』の被害者も、本当に受け入れがたい事実だった。
でも、最後の最後でその温かい心で受け入れることが出来た。たとえ犯罪者を許すことはできなくても。
『受け入れられない』ことほど、人間、辛く苦しいことはないと思います。差別のように。いじめのように。
『受け入れられない』ことの連鎖が、結局は人間の愚かさを繰り返すことになるのでしょう。
ほんの少し前に一歩進めれば、何かを変えられるかもしれない。
そして、その積み重ねが、世界を大きく変えられるかもしれない。
人間の世界を変えられるのは『神』ではありません。紛れも無く、『人間』だけです。