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2024/11/22 06:26 |
[Review] ラストゲーム 最後の早慶戦
ラストゲーム 最後の早慶戦慶應義塾大学出身者からして、やはりタイトルからピクリとしてしまったのは言うまでも無く。語呂的に見ても世間一般の認知度から見ても、やっぱり『早慶戦』なんだよなぁ… と改めて想いを馳せてしまうのです。
観客の皆様にはお気づきでしょうが、ところどころで出てくる『ケイソウセン』。あれ、実は『慶早戦』を表しています。早稲田の大学生から見れば、自分達の漢字を最初に記すという意味で『早慶戦』、慶應はその逆、という意味なんです。

学校としてのプライドがあるとはいえ、世間一般としては「あ、そう」くらいにしか思わないでしょう。どちらに優位があるなんて特には思っておらず、どちらも平等で、どちらにも特性があり、どちらもどちらなりの強さがあるのだから。だから、野球とか、ラグビーとか、雌雄を決する戦いには日頃冷静に努めている人でも、手に汗を握ってしまう。
でも、当時の世界情勢は、いや、今でさえも『どちらにも尊重すべき特性、持ちえる強さ』というものは大多数の人が分かっていない。どちらの国にも、どちらの宗教にも、どちらの慣習慣例にも、尊重すべきところがあり、大切にしなければならないものがある。にも関わらず、自分達の優位性を示すかのように他を踏みつける。自分達以外を認めない。認めようともしない。
だから戦争に発展する。自分達の尻拭いのために、前途ある若者さえ戦地に借り出し、志半ばで生命が奪われる。


以前、NHKのドキュメンタリーで見た番組。
一つは、イスラエルとパレスチナの若者が、揃って広島原爆記念資料館を訪れたこと。原爆の恐ろしさ、戦争が与えた悲惨を目の当たりにしながらも、一人の若者は、「もし敵が攻めてきたら、きっと僕も銃を手にして戦うだろう。家族を守るために。きっとその敵が、今日行動を共にしたパレスチナ人であっても」。戦争の恐ろしさを目の当たりにしたとはいえ、彼らの心の根底に染み付いてしまった歪みは、そう感嘆には拭えないということ。
もう一つは、イスラエルでのプロサッカーの試合。ユダヤ人のチームと、アラブ人のチームとの試合。イスラエルではユダヤ人が多いから、アラブ人チームの観客席があるとはいえ、そのスペースは本当に微々たるもの。しかも試合中ずっと、ユダヤ人観客はアラブ人チームに対して、穢い罵詈雑言の嵐だった。彼らの身体的なことから、宗教・慣習に至るまで。それは試合が終わった後も続いていた。哀しいとか遣る瀬無いとか、もうそんな領域は超えてしまった感じでした。

そんな彼らが、この作品を観たらどう思うだろうか。
試合が終わった後、それまで敵対していた両校が、ライバルの応援歌や校歌を歌う。ライバルを讃えて。この作品の真骨頂。勿論映画館での鑑賞なので声には出しませんでしたが、慶應義塾の『若き血』は勿論、早稲田大学校歌も口ずさんで観ていました。
この先、学徒出陣で彼らは戦地へ赴く。もう二度と祖国の地を踏めないかもしれない。だからこそ、感慨一入の瞬間かもしれません。
それを彼らが観たらどう思うだろうか。それでも考えを止めず、自分達の優位だけを考え、他を弾圧するのだろうか。


この作品は、フィクションではありますが事実に基づいた作品だそうです。それまで人伝で曖昧だった最後の戦いも、僅かに残った記録などから徐々に浮き彫りになった物語。もう二度とグラブを、バットを持てないかもしれない、でも、自分達が生きた証を残しておきたいという、両校の選手の熱い想い。そして、熱戦を繰り広げながらも互いを讃える精神。
回顧主義の作品に終わらせたくない、今の、全ての世界の人たちに観てもらいたいと思う作品です。

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2008/08/31 13:10 | Comments(0) | TrackBack() | Review - Movie

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