何となく自分自身と重なるような気が。もちろん女たらしの部分じゃなくてっ。
自由気ままで、無味乾燥な今を生きていると、時折『過去』が恋しくなる時が来る。漠然として見えない未来より、華やいでいた過去に眼を向けがちになってしまう。
でも。いざ過去を追い求めて旅立っても、時々思う。「何やってんだろ、オレ」。
昔取った杵柄とか、栄光とか、幸せとか、そんなものが戻るはずがないのに、何か『無駄に』ともいえるくらいに過去を追い求めたのは何故だろう? その後で必ずといっていいほど後悔の念が募るのに、それでも飽きずに追い求めるのは何故だろう?
『後悔』が募る理由は、自分が過去にすがったままでいること。そして、周囲に『過去』を求めているのに、周囲は皆変わってしまって、『現在』を謳歌していること。「自分だけが変わっていない」という気持ちが、どんどん自分を劣等感に追いやってしまうところに、この映画の主人公と自分とをタブらせて観ていました。
しかも、「過去のままの自分」「変化を拒んだ自分」像というのを、『動かない』ことで表現したビル・マーレイは、ある意味すごいと思いました。実際、この映画はほとんどのところで『動き』がなく、一部の観客にはものすごい退屈に思えたりもします。
尚且つ、終わり方があっけなく、「えっ! これで終わり!? 何か解決したの?」と思ってしまうようなラスト。もうこの映画は、観る人の感性や考えにほぼ100%委ねた形の映画だと思うのです。
だから、この映画を観た序盤では、本当にヤキモキしました。彼はいつになったら行動を起こすのだろう? いつになったら、主人公らしい振る舞いをするのだろう?
『主人公らしい振る舞い』という言い方も変ですけれど、でも、多分、この映画にっての主人公の振る舞いこそが、『動かないこと』なのでしょうね。そして、『動かないこと』が、『未来』のために『現在』を大切にする、という伏線につながる。
読み解いていくと、何とも浅いようでいて奥の深い映画だったりします。
未来に向かって生きよう! なんてスローガンを掲げたところで、所詮人は人。過去を追い求めたい時の一度や二度くらいはあるものです。
そういう人にこそ、観ていただければと思います。本当に自分の追い求めた先に、一体『何』があるのか。きっとその場で答えは見つけられなくても、どこかに答えはあると思いますよ。
自由気ままで、無味乾燥な今を生きていると、時折『過去』が恋しくなる時が来る。漠然として見えない未来より、華やいでいた過去に眼を向けがちになってしまう。
でも。いざ過去を追い求めて旅立っても、時々思う。「何やってんだろ、オレ」。
昔取った杵柄とか、栄光とか、幸せとか、そんなものが戻るはずがないのに、何か『無駄に』ともいえるくらいに過去を追い求めたのは何故だろう? その後で必ずといっていいほど後悔の念が募るのに、それでも飽きずに追い求めるのは何故だろう?
『後悔』が募る理由は、自分が過去にすがったままでいること。そして、周囲に『過去』を求めているのに、周囲は皆変わってしまって、『現在』を謳歌していること。「自分だけが変わっていない」という気持ちが、どんどん自分を劣等感に追いやってしまうところに、この映画の主人公と自分とをタブらせて観ていました。
しかも、「過去のままの自分」「変化を拒んだ自分」像というのを、『動かない』ことで表現したビル・マーレイは、ある意味すごいと思いました。実際、この映画はほとんどのところで『動き』がなく、一部の観客にはものすごい退屈に思えたりもします。
尚且つ、終わり方があっけなく、「えっ! これで終わり!? 何か解決したの?」と思ってしまうようなラスト。もうこの映画は、観る人の感性や考えにほぼ100%委ねた形の映画だと思うのです。
だから、この映画を観た序盤では、本当にヤキモキしました。彼はいつになったら行動を起こすのだろう? いつになったら、主人公らしい振る舞いをするのだろう?
『主人公らしい振る舞い』という言い方も変ですけれど、でも、多分、この映画にっての主人公の振る舞いこそが、『動かないこと』なのでしょうね。そして、『動かないこと』が、『未来』のために『現在』を大切にする、という伏線につながる。
読み解いていくと、何とも浅いようでいて奥の深い映画だったりします。
未来に向かって生きよう! なんてスローガンを掲げたところで、所詮人は人。過去を追い求めたい時の一度や二度くらいはあるものです。
そういう人にこそ、観ていただければと思います。本当に自分の追い求めた先に、一体『何』があるのか。きっとその場で答えは見つけられなくても、どこかに答えはあると思いますよ。
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