白い魔女によって奪われた春を取り戻したナルニア国。しかしその約1000年後、テルマール人によってナルニア国は征服され、人間以外の喋る獣の姿は消えてしまう。更にその約300年後、テルマールの家督争いの危機に見舞われた正統王位継承者・カスピアン王子の吹く角笛によって、再びナルニアの王達が召喚される。
1300年前、ナルニアに平和をもたらした4人の王達が 。
第1章の『ライオンと魔女』では、白い魔女が統治していた時代であれ、春を取り戻した美しい時代であれ、現実の世界から遠く離れた、誤魔化しの無い童話の世界がスクリーンに広がっていました。しかし、今作の第2章『カスピアン王子の角笛』では、そこにある光景からは、『童話の世界』はほとんど感じませんでした。僕達の住む世界の森と同じ。ただそこに佇んでいるだけの様な、眠っているか、死んでいるかの様な。
それは、今の僕達の現実の世界と同じものを彷彿させます。かつて人間は、自然に畏敬の念を抱いていました。時に優しく暖かく包み込む自然、時に牙を剥き容赦なく襲い掛かる自然。生活には欠かせない存在だからこそ、常に自然と向き合い対話してきた。しかし、科学の進歩によって、『道具を使える、言葉を喋れる』という優越感によって、自然のとは対等ではなくなり、人間の価値観で優劣を決めるようになった。
ナルニアに生きるものは、全てが対等である。互いが互いを認め、尊重するからこそ、人ならざる獣とも、対等に話をすることができる。それが無い今、ナルニアにはかつての美しさは存在しない。眠りについた世界となってしまっている。
原作者C.S.ルイス氏が『カスピアン王子の角笛』を刊行したのが1951年。第二次世界大戦が終結してまだ数年。勿論、昨今の環境問題なんてこの時代には一般的な問題として挙がってはいないと思います。そんな中でも、自然の畏敬を忘れた人間の傲慢を描くことができるというのは、氏の先見の明に他なりません。
現に、召喚された4人の王 ペベンシー兄弟とカスピアン王子ができることは、ほんの一握りでしかなかった。ナルニア国を自分達の力だけで取り返そうと画策するも、結局のところそれはテルマール族と同じ、傲慢な人間の考えにすぎず、大自然の中で自分の存在は如何に矮小なものだったかを思い知らされることになる。かつてナルニアの栄華を誇った4人の王も、ナルニアの大自然と創造神アスランの前では、非力な人間なのだ、と。しかしそれが理解できることこそ、大人への一歩、自分の世界を作り上げることの一歩ともなります。
単に夢見心地を見せるだけの、御伽噺の世界ではないナルニア国。第1章の『ライオンと魔女』にもある不思議な御伽の世界とは裏腹に、第1章の『ライオンと魔女』にはなかった、現実的な部分が垣間見える危険性を孕んでいると感じました。
劇中、「同じことは二度とは起こらない」という、アスランの言葉が重く圧し掛かります。
ラストは勿論ハッピーエンドですが、『ライオンと魔女』とは違い、どこか遣る瀬無さを感じます。失った過去も、失った栄華も、失った命も、もう戻らないのだから。けれど、過ちに気づき、それを直そうとする意思のある者だけが、未来に進むことができる。これまでのナルニアを取り戻すことはもう無理だけど、新しい『美しい国・ナルニア』を作ることができる。そこに生きる者達全ての、知恵と力次第で。それは、今を生きる僕たちに向けられたメッセージでもあるのかもしれません。