小学生の頃、国語の授業で、ある物を題材に作文を書け、という課題がありました。そのある物とは、(課題用の)一枚の古びた島の地図。それだけ。でも、子供の想像力というのは果てしなく、そして驚愕するばかり。みるみる内に作文を書き上げていきます。
島に住む妖精。ひっそりと佇む村々。村に襲い掛かる魔物や怪物達。それを束ねる大いなる存在。立ち向かう勇者。その手には剣と魔法。そして島の奥底に眠る宝の山。大人からすればただの一枚の地図であっても、子供にとっては夢と冒険の世界。子供だけにしか見えない、行く事のできない秘密基地。当時は、子供心ながらそんな空想の世界に没頭できると思っていました。
しかし、そんな夢を見る時期も、思春期を迎えるかどうかの境目で、段々と薄らいでいくのです。
主人公の少年は、二つの現実に悩んでいた。一つは、もう子供みたいに夢を見ることができない、苦しい家庭の事情。もう一つは、いつも思い通りにいかず友達とうまくコミュニケーションも取れず、苛められる学校生活。
そんな折、転校生として現れた一人の少女。現実世界にいる女の子なんだけれど、どことなく現実離れしているような。それは、小説家の両親の元で育てられたとか、空想好きでいつもファンタジーなネタを用意しているとか、そんなことではなく。一言で言えば『ピーターパン』。永遠の子供を象徴するかのような女の子。でも、自分の空想世界を共有してくれる友達といったら、その子しかいなかった。そんな壮大な空想を心の中でいつも描き続けている二人だからこそ、実現できたのかもしれない。『テラビシア』という王国は。
相変わらず現実世界では、『テラビシア』のわくわく感からは程遠い、客観的に見れば取るに足らない出来事が起きている。けれど、秘密を共有する二人が『テラビシア』に足を踏み入れれば、不可能なことは何も無かった。昨日のわくわくは、今日もそこにある。そして、明日もあるのだろう。
夢を見る時期を卒業しない限り。
人は誰でも大人になります。好き勝手に生きられなくなり、自立と自律、そして自分の行動に責任が伴ってきます。遊んでばかりではいつか飢え死にする。アリとキリギリスの物語のように。だから働かなければならなくなり、おいそれと空想の世界に没頭し続けることは難しくなります。
勿論、他にも色んな意味で目覚めの時です。最たる例では、異性への意識。そうやって人は大人になり、これまでの世界からどんどん遠ざかっていく。その時、置き去りにされてしまった空想の世界は、一体どこへ行ってしまうのでしょう。
大人になることへの喜びと同時に、子供心を満たした世界を失う苦しみ。
「もっとこうしていれば良かった」。心に描けば不可能は無い『テラビシア』でさえも、失ったものは、もう元には戻らない。何でも手にすることができた子供時代に対し、何かを得れば何かを失う、それが大人の世界であり、現実の世界です。大人になるというのは、楽しいことだけではない。辛いことも沢山あるということを、少年は知る。観ているこちらとしても、とても辛く、心が苦しくなりました。
1時間30分という、あまり長くない作品ですが、現実世界の苦しみと空想世界の楽しさ、少年少女の子供から大人へ成長していく過程が丁寧に作りこまれているように感じました。話の展開も無理が無く、観易い作品であると思います。
子供心を忘れてしまった、あるいは取り戻したい、というような方にもご覧いただける作品ではありますが、どちらかというと、中学生とか、思春期境目の方々向けかもしれません。今は、上っ面というか、外見ばかりを気にして背伸びしながら大人になろうとする子が多く見受けられますが、『本当に大人になる』ということは、心に大きな穴を開けてしまうくらい辛く大変なことでもある、ということを分かっていただければと思います。
まぁ、何はともあれ、大人は確かに大変ですけれど、できることがすごく広がりますから、やはり楽しさの方が勝るかもしれませんけれどね。