キューバ革命と同じことが、他でも起こるとは限らない。
『チェ 28歳の革命』が、彼の革命史の成功を綴った物語だとしたら、『チェ 39歳 別れの手紙』は、彼の革命史の衰退を綴った物語。
チェ・ゲバラという人物の革命は、舞台がキューバであろうともボリビアであろうとも、それは何も変わらない。ある視点で見れば、それは素晴らしいことでもある。でも、別の視点で見れば、それは大いなる間違いであることになる。
彼の『革命』の本質、彼の中の『革命』の軸のようなもの、それは、国民の一人一人が、もしくは革命に参加している者一人一人が、革命がどんな意味と意義を持っているのかをきちんと理解すること。彼にとっての『革命』は、単なる破壊行為でも暴力行為でもない。ましてや、昨今、世界中で蔓延している自爆テロのような、自分たちの行いを強制的に正当化するような、究極の自慰行為とも思われるようなものでもない。
では、何故彼はボリビアで失敗したか。それは、『革命』のプロセスも、それまでの彼の本質、『革命』の軸に沿った形で行っていたから。
20世紀という、これまでと比較して人間文化や思考の進化の速度が極端に違う世界情勢の中での革命は、ほんの数年前に行われた手法が、今でも同じ効力を持つとは限らない。チェ・ゲバラの中に持つ『革命』の意味と意義は、恐ろしいまでに堅い基盤として根付いている。しかし、その堅さが故に、その時代、その場所に少しずつでも変えようとしないところが、逆に周囲とのギャップを生み出してしまう結果となる。
加えて、人間は本来あまりにも欲の強い生き物だ。何かを手に入れたら、次はもっといいものを手に入れたくなる。もっといいものを、もっといいものを。欲望は果てしなく続くが、手に入るものがこれまでと変わらない価値のものであれば、自ずと人間はやる気を失っていく。
足並みが揃わなくなった部隊ほど、脆いものは無い。こうして彼は、衰退の道を歩んでいくことになる。
2部作となっているチェ・ゲバラの物語を鑑賞して、彼が、これまでの政治や勢力に蹂躙された人々の姿に嘆き、それを根本から変えるために立ち上がった姿を見て、彼の深い革命に対する考えを垣間見ることが出来た(それでも、限られた時間の中だから、ほんの一部なのだろうけれど)。
でも、彼が何故『革命のアイコン』として、今でも(特に共産主義圏で)広く慕われているのかについては、分かっているようで実は分かっていないのかもしれない。恐らくではあるが、現代の革命はあまりにもプロセス重視で、最初こそ革命の意味や意義を声高に唱えていたのに、手に取った兵器の破壊力を目の当たりにしてしまい、本来の意味や意義を見落としてしまうような革命家が多いのだろう。しかし、彼は何よりもまず革命の意味と意義を徹底させることが必要だと考えた。この革命が、貴方達にとってどれだけの価値を持つのか。それを切々と伝えるために。
唯一の弱点といえば、あまりにも彼の革命の意味と意義が確固たるものだった故に、柔軟性に欠けていたということだろうか。
しかし、思想は違うけれど、彼の根本に持つものには、何か共感を得るものがある。それは、物質的に恵まれている今の時代だからなのだろうか。目に見えるものばかりを追いがちな今の世の中で、本質をじっくりと見出している人は、僕を含めどれだけ多くいるのだろうか。この作品を鑑賞した後の沈んだ感情の中で、ふとそれを思い巡らせてみた。
『チェ 28歳の革命』が、彼の革命史の成功を綴った物語だとしたら、『チェ 39歳 別れの手紙』は、彼の革命史の衰退を綴った物語。
チェ・ゲバラという人物の革命は、舞台がキューバであろうともボリビアであろうとも、それは何も変わらない。ある視点で見れば、それは素晴らしいことでもある。でも、別の視点で見れば、それは大いなる間違いであることになる。
彼の『革命』の本質、彼の中の『革命』の軸のようなもの、それは、国民の一人一人が、もしくは革命に参加している者一人一人が、革命がどんな意味と意義を持っているのかをきちんと理解すること。彼にとっての『革命』は、単なる破壊行為でも暴力行為でもない。ましてや、昨今、世界中で蔓延している自爆テロのような、自分たちの行いを強制的に正当化するような、究極の自慰行為とも思われるようなものでもない。
では、何故彼はボリビアで失敗したか。それは、『革命』のプロセスも、それまでの彼の本質、『革命』の軸に沿った形で行っていたから。
20世紀という、これまでと比較して人間文化や思考の進化の速度が極端に違う世界情勢の中での革命は、ほんの数年前に行われた手法が、今でも同じ効力を持つとは限らない。チェ・ゲバラの中に持つ『革命』の意味と意義は、恐ろしいまでに堅い基盤として根付いている。しかし、その堅さが故に、その時代、その場所に少しずつでも変えようとしないところが、逆に周囲とのギャップを生み出してしまう結果となる。
加えて、人間は本来あまりにも欲の強い生き物だ。何かを手に入れたら、次はもっといいものを手に入れたくなる。もっといいものを、もっといいものを。欲望は果てしなく続くが、手に入るものがこれまでと変わらない価値のものであれば、自ずと人間はやる気を失っていく。
足並みが揃わなくなった部隊ほど、脆いものは無い。こうして彼は、衰退の道を歩んでいくことになる。
2部作となっているチェ・ゲバラの物語を鑑賞して、彼が、これまでの政治や勢力に蹂躙された人々の姿に嘆き、それを根本から変えるために立ち上がった姿を見て、彼の深い革命に対する考えを垣間見ることが出来た(それでも、限られた時間の中だから、ほんの一部なのだろうけれど)。
でも、彼が何故『革命のアイコン』として、今でも(特に共産主義圏で)広く慕われているのかについては、分かっているようで実は分かっていないのかもしれない。恐らくではあるが、現代の革命はあまりにもプロセス重視で、最初こそ革命の意味や意義を声高に唱えていたのに、手に取った兵器の破壊力を目の当たりにしてしまい、本来の意味や意義を見落としてしまうような革命家が多いのだろう。しかし、彼は何よりもまず革命の意味と意義を徹底させることが必要だと考えた。この革命が、貴方達にとってどれだけの価値を持つのか。それを切々と伝えるために。
唯一の弱点といえば、あまりにも彼の革命の意味と意義が確固たるものだった故に、柔軟性に欠けていたということだろうか。
しかし、思想は違うけれど、彼の根本に持つものには、何か共感を得るものがある。それは、物質的に恵まれている今の時代だからなのだろうか。目に見えるものばかりを追いがちな今の世の中で、本質をじっくりと見出している人は、僕を含めどれだけ多くいるのだろうか。この作品を鑑賞した後の沈んだ感情の中で、ふとそれを思い巡らせてみた。
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