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2017/07/24 05:48 |
[Review] グラディエーター
グラディエーター

リドリー・スコット氏が監督を務める歴史大スペクタクル作品について、本作は避けては通れない、とも言えるべき作品。
2001年初頭のゴールデン・グローブ賞、米アカデミー賞という、アメリカでの映画作品の権威でもある両賞において作品賞を受賞(作品賞だけでなく、ラッセル・クロウ氏が主演男優賞を受賞しています)し、ようやく浸透し始めた『CG』を用いた表現技法も話題になりました。さらには、1億5000万ドル近くが費やされ、当時ではそれが破格の製作費だった、とか。それでも、これだけの偉大なる賞を受賞したということは、それだけ、その作品の注目度や、完成度、監督をはじめとする製作者、並びに演じる俳優の皆さんの想いがつまっている、とも言えるのでしょう。


歴史大スペクタクル、と申し上げましたが、本作は、いわゆる大軍が押し寄せる、大規模の戦闘が繰り広げられる、大地・海洋など様々な戦地を上空から俯瞰的に撮影する、というものはほとんどありません。もしそれを『歴史大スペクタクル』と位置付けるのであれば、これは、そのジャンルに当てはまらないのかもしれません。
どちらかと言うとこの作品は、『古代ローマ』の時代に生きる男の苦悩や生き様が描かれているのではないか、と思います。とは言っても、『古代ローマ』の時代特有の描き方がされているわけではなく、現代にも通じるところがあります。決して特別なものではなく。

その一人が、本作の主人公、将軍マキシマス。自身も高い戦闘力を誇りながら、策略家としてもその名を馳せ、部下からも慕われ、当時の皇帝であるマルクス・アウレリウスからも絶大な信頼を得る。そんな彼でも、決して権力に媚びず、身近でささやかな幸せを追い求めることこそ至上の喜びとみているが、アウレリウス帝の長男であるコンモドゥスの皇帝即位後、一転して追われる身になり、唯一の心の拠り所だった家族も虐殺される。身も心もボロボロになり、倒れてしまった彼に待ち受けているのは、将軍の時とは正反対の、『剣闘士(グラディエーター)』としての毎日。金儲けの道楽のために、誰かを殺し、誰かに殺されかける、同じ血の通った人間なのに、滑稽な道楽の対象として生命を削り取られることとなる。
しかし、彼はその持前の強さによって死ななかった。いや、死ねなかったのかもしれない。彼にはやるべきことがあったから、それは、自分をどん底に陥れたコンモドゥスに復讐すること。彼にとって剣闘士としての毎日は、くだらない滑稽な殺人ショーでしかないのですが、一方でコンモドゥスに対しては、はっきりと「殺す」と口にしている。これは、殺人という復讐ではなく、国を治める者に値しない失格者の人間を、完膚無きまでに叩きのめす、ということを意味しているのではないかと思います。自分の利益を欲するために人を殺すわけでも、単なる殺人狂として血を求めるわけでもない。結果的に自らの手を血で汚すことになっても、その先の大いなる未来のための殺す。そういう生き様が込められていると思います。

もう一人が、前述のアウレリウス帝の長男、コンモドゥス。歴史上の実在の人物ですが、その評価の多くは批判的。彼自身もよき皇帝として働いていた時期はあったのではないかと思うのですが、現存する資料や歴史学者の見解を見ると、古代ローマのその他の皇帝と比較材料としても、悪評の高さが目立ってしまっている、とか。そして今作も、全体的に見れば、単に己が得た権力を己の赴くままに振りかざし、元老院と対立し、気に入らないものは全て自らの手にかける、という、半ば暴政の手腕を振るっているように見受けられます。
しかし、そんな彼の人間形成に、リドリー・スコット監督が着目したのは、若き時の父親アウレリウス帝との確執。良き統治者は、良き父親とは限らないというのは、どの時代もどの世界もやはり同じようなもので、映像としては描写されていないものの、父親からの十分な愛を受けずに育ったばかりに、父親を無理矢理にでも振り向かせたいがための行動が、のちに己や周囲を顧みない行動、振る舞い、そして政治手法に反映してしまう。特にマキシマスは、アウレリウス帝の絶大な信頼を受けていたこと、本来であれば自分が受けるべき信頼を、血の繋がりすらもない、それでも父親が息子として慕っている、どこぞの馬の骨とも知らぬ輩が受けていたことに、嫉妬心を抑えずにはいられない。だからこそ、マキシマスに対しては、執拗なまでの、時には悪質ともいうべき罠を散々仕掛ける。結局、それらは、民衆からの不評も相まって、マキシマスに看破されてしまうのですが。
さて、そんな悪役の代表とも言うべきコンモドゥスですが、もし自分が、彼と同じような立場だったら、彼と同じことをしない、という保証はあったでしょうか? どんな立場の人間であれ、人はどこかで誰かの愛を求めているし、愛に飢えている。自分と近しい存在であれば尚更のこと。それが、全く関係のない人物に対し愛を発しているのであれば、たとえ発した者、受け取った者にその意思がなくても、「横から掠め取られた」と思ってしまうかもしれません。愛を受けられなかった、という思いの蓄積が、多ければ多いほどに。そこに、人間としての哀しみを、リドリー・スコット監督は見出したのかもしれません。


ただの歴史ドラマにあらず。これは、現代にも通じる、人間ドラマを描いた作品であると思うのです。だからこそ、時を経た今でも、映画ファンに絶大な人気を誇っているのかもしれません。

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2006/12/05 22:16 | Comments(0) | TrackBack(0) | Review - Movie

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