この映画を見始めた時の答えは、紛れも無く『ブロークバック・マウンテン』だと思います。『ブロークバック・マウンテン』は、あまりにもストレートに心に辛く響く作品だったから、かもしれません。
打って変わって『クラッシュ』は、それはもうあからさまに『人種差別』を表現する映画です。まるで最初から、「差別はいけません。皆仲良くしましょう」と言いたいがための映画のように見えてしまうくらい。
けれども、物語が進みにつれて、そのあからさまな人種差別が、いや、人種差別があからさまであるからこそ、その後差別を「した」人間に対する『業』の振り返り方が、巧みに描かれている。まるで全てを見透かした神が、「本当に人と人とが触れ合うことはどういうことなのか」ということを教えるかのように。
そいう言う意味で、表面からストレートにメッセージを投げかける『ブロークバック・マウンテン』に対し、裏側から本質的なメッセージを投げかけるのが、『クラッシュ』だと考えます。
ただ、「どちらが印象に残るか」という面で考えた時、最初の質問にある「僕が米アカデミー賞の審査員だったら」という問いの答えは、『ブロークバック・マウンテン』でしょう。(『クラッシュ』は、どちらかというと観終わった後でじっくり考えるような『考えさせる』系の映画なので、別にこの作品が劣っている、というわけではありませんが。)
ただ、如何せん世間は保守的な流れにいってしまったのかな、同性愛を描いた映画、という理由(本当にそうなのか分かりませんが)で、『ブロークバック・マウンテン』は作品賞の栄冠から落ちてしまいましたが。
そして、この映画ほど、「人間ほど不完全で、未来永劫『何か』に徹しきれない生き物はいない」と感じました。
第三者からすれば本当に些細なことで、それは肌の色だったり、声だったり、名前だったり、人種だったり、人と人は衝突する。しかし『些細なこと』とは、所詮何のかかわりも無い他人からの感覚に過ぎず、本人にすれば、きっと大きなことであるのかもしない。
それが怒りを買い、反感を買い、行く先は大きなトラブルに発展する。でも、人と人の『怒り』が大きく交錯する中で、その『業』が自分に降りかかってきたとき、すぐそばにいたのは、自分が衝突した人物だった。
常に『誰か』の優位に立ちたいと思いながらも、どこかで誰かに自分より優位に立たされている。この世で『誰か』の頂点に立てる人間など、どこにもいない。
それに気づいたら、きっと、これまでよりももっと『誰か』に優しくなれる。不完全で、『何か』に徹しきれず、また同じことを繰り返し繰り返し続けてしまっても。そんなメッセージを、あからさまな人種差別にひそかに隠しながら投げかけている映画です。
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