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2024/11/27 08:29 |
[Review] アメリカン・ギャングスター
アメリカン・ギャングスター1970年代初期のニューヨーク。時代はベトナム戦争、貿易摩擦の真っ只中。政治、経済、軍事、第二次世界大戦が終結して既に20年以上経過しているのに、人間はちっとも進歩していない、そう思えてしまう時代。
人間は進歩していない、そう思える象徴が、ニューヨーク市ハーレム界隈で蔓延していた。それは『麻薬』。アップ系からダウン系まで、多種の麻薬が街を支配し、人の心を支配し、そして人の身体を腐食させる。麻薬の虜になったのは、何もマフィアやギャングだけではない。政治家や芸能人、検察官や、事もあろうか警察官に至るまで、麻薬の持つ『魔力』は、確実に人の心に浸透する。
その麻薬を牛耳る事が出来る者こそ、街のトップをその手に掴むことが出来る。

その『トップ』を潰す事。それは、街を、人を蝕む麻薬を根絶やしにするための手段。
『トップ』に躍り出た者は、『トップ』でありつづけなければならず、しかもそれが『麻薬』という禁断のビジネスであればあるほど、決して尻尾を掴ませてはいけない。『木を隠すには森の中』。まる自分自身も一般市民の一人であるかのように振舞う。『トップ』を潰したい刑事としては、砂漠の中から目的の砂粒を見つけ出すのも同然の事。それでも諦めず、粘り強く捜査を続けるのは、誘惑に負けない己の確固たる信念があるがため。


この作品は、主人公と脇役とで、くっきりと分かれているものがある。
それは、強固な意志を持っているか、そうでないか。自らの信念を持ち、地にしっかりを足をつけているか、意思を持たずに翻弄されるか、あるいは付き従うだけなのか。

強固な意志を持っている人物と言えば、何と言っても主人公の二人である。フランク・ルーカスを演じるデンゼル・ワシントンと、リッチー・ロバーツを演じるラッセル・クロウ。
この作品の、というより、この時代に生きるほとんどの人々は、世界の展開がこれまで以上に速いため、もはや翻弄されるというより、思考することを止めてしまった人が多いように感じる。だから、自分が生きることに精一杯で、もしくは人に付き従うことで何とか生きることができる、というように見える。それは、今の世の中にも通じるところがある。
そんな中でも、しっかりと自分を持ち、地に足をつけて自分の信念を邁進している彼らは、脇役に比べ、非常にくっきりとしているのだ。善か悪かは、彼らの行動と思考の結果に過ぎない。共通しているのは、強固な『意思』。だからこそ、たとえ身内であれ、成すがままに生きる他の人と行動を共にするのは「危うい」と思ったのかもしれない。あまりにも油断が多く、危険だから。別の意味で言うと、頑固すぎて自分の意思にそぐわないものは排除しがちである、というふうにも見受けられるが。

どちらかに偏っているのではなく、両雄がほぼ同じく立ち並ぶように撮影されているから、お互いの距離が近くなればなるほど、その白熱振りは増していくのだろう。
如何にして証拠を残さず、裏社会で暗躍していくか。
如何にして証拠を掴み、裁きの場に引きずり出すか。


前述でも申し上げたが、この作品が今の世の中にも通じるのは、何も『考えることを失った翻弄される人間』のことだけではない。世の中に存在するあるとあらゆる『流れ』を一切無視した秩序作りは、やがて歪みしか生まなくなる、ということだ。
その歪みによって、多くの悲しみ、苦しむ人がいることも事実だし、多くの敵を作ることも事実。
しかしその一方で、『流れ』を無視しなければ作り出せない価値がある場合もあることもまた事実。
強固な『意思』を持つ男達の、食うか食われるかの戦いを描いている傍らで、複雑化が一層激しさを増す今の世の中の、住みにくさ、心地悪さをも表現されている作品であると思う。

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2008/02/02 22:04 | Comments(0) | TrackBack() | Review - Movie

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