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2024/04/25 14:21 |
[島根] 神々の坐す国 中編
有り得ない     

何が有り得ないって、限られた時間の中で全て見尽くすことが。例え地球が終焉を迎えようとしても、見納めることは叶わないだろう。悠久の時を刻み込むだけの魅力が、足立美術館の庭園にある。窓枠という額縁の向こうに見える風景は、一度たりとも同じ様相を留めていない。春夏秋冬の四季折々の様相、陽光と月光に照らされた昼夜の様相、果ては大地の木々の揺らぎ、池の水面、大空の雲の流れの瞬間に至るまで。
また、たとえ同じ窓枠からでも、覗く角度によって違う風景を見ることができる。木々だって生長する。
と、ここまでつらつらと書いてみたものの、長年にわたる多くの庭師の努力と業の数々と、更に長きに渡る自然が創り出した風景を前に、素人の語りなど愚考に等しい。


足立美術館 - 其の一 足立美術館 - 其の二 足立美術館 - 其の三



何枚か写真を撮ってきたが、全てがベストショットに成り得る風景でありながら、決して本当の「ベスト」な時間など無いのだろう。どんな名うての写真家も、真のこの日本庭園の美しさを捉えることは、至難の業に違いない。


その後は横山大観特別展示室・北大路魯山人等の展示室へ。

『横山大観』は、山海二十題とあるように、雄大さと神秘性を兼ね備える霊峰富士と、時に荒々しく時に穏やかな海の日本画が多い。そのような絵の中で、僕が注目したものは、特に海の絵に多い『月』だ。満月、半月、三日月等様々であるが、海と共に描くことで、その月に込められた真情がよく分かる。
海は、横山大観がその時描いた身辺や社会状況を、月は、それを眺める横山大観本人のように感じられた。
友や恩師の死、太平洋戦争の世情を前に、横山大観はどのような思いを馳せていたのだろうか。月の満ち欠けが、彼の目と心を表現しているように思えた。

『北大路魯山人』の作品は、一見平凡である。形も、デザインも。でも、どれを見ても「苦しさ」を感じない。新しいものをあれもこれもつくろうという「楽しさ」があるのだ。「新しい」ものをつくり続けるというのは、通常、いつかその斬新さが失われたり、創造性が枯渇するかもしれない、という恐怖におびえるかもしれないのに、彼の作品にはそれが感じられない。
魯山人の言葉に、下記のものがある。

  個性だとか、創作だとか、口でいうのはたやすいことだが、現実に表現が物をいうような
  ことは、なまやさしい作業でなし得られるものではない。
  さあ自由なものを作って見ろと解放されたとしても、決して自由はできないものである。
  第一過去の人間が作った美術に十分心眼が開かなくては、かなわぬことである。過去と
  いっても千年も二千年も前からの美術、芸術に目が利かなくては、かなわぬことである。
  食器師だからというので、陶器ばかり観ているくらいの注視力では、乙な器は生まれる
  ものではない。三百年の茶碗が作りたけ
  れば、千年前の美術が分からなくてはかなわぬものである。


ただ単なる陶芸家ではなく、陶芸に纏わるあらゆるものを彼は会得している。そしてそれを人生の一部として楽しんでいる。不器用にも見える彼の人生の道筋だが、不幸はどこにも滲み出ていない。作風にも出ているように、それが彼の生き様なのだ。


足立美術館を後にし、電車で出雲へ。
出雲大社付近では、あと数時間後には新年の参拝客で賑わうというのに、閑散としている。嵐の前の静けさなのだろうか。
年越しに出雲そばを食べ、温泉に浸かって一休み。大晦日のTV番組は、マンネリ化した歌番組か格闘と、どこも似たり寄ったり。日本レコード大賞を受賞した倖田來未を見て、あとはNHK教育でゆったりオーケストラ鑑賞(爆)。
ケータイ審査員? すっかり忘れてました。


年越しと共に出雲大社で参拝。本殿にて参拝後、宝物殿へ。出雲国の古来より伝わる宝物の数々が陳列されているが、中でも最も目を引いたのは、宝刀『村正』と『正宗』。実物を見たのは初めてだ。光が当たると、『村正』は氷のように青白く光り、『正宗』は炎のような燃える光を発する。その美しい刀身は、まさに日本の古来の美術の真骨頂とも言えるだろう。


大晦日の出雲大社 - 其の一 大晦日の出雲大社 - 其の二


最後は拝殿にて祈祷していただいた。拝殿の中は、お香を焚いているからか、畳の香りに混じって独特の香りを醸し出している。が、後ろは普通に参拝客がいるため、賽銭を投げる小銭の音でうるさい。厳かな空気が半減。拝殿で祈祷していただくのは、元旦の日はあまりお勧めしない。
この祈祷であるが、料金が三千円/五千円/一万円とそれなりにリーズナブルな値段も設定されていた。なので、一つだと味気ないので三つほど願い事を選んだ。
が。ここでブービートラップ発生。この料金、願い事「一つにつき」、の値段なのだ。つまり合計九千円。想定外の支出に、今年の幸先が思いやられた…… orz
(おみくじは良かったのに……)



『島根県』の写真集についてはこちら

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2005/12/31 23:57 | Comments(0) | TrackBack() | Outdoors

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