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2024/04/26 02:30 |
怒りの螺旋
11:1 世界中は同じ言葉を使って、同じように話していた。
11:2 東の方から移動してきた人々は、シンアルの地に平野を見つけ、そこに住み着いた。
11:3 彼らは、「れんがを作り、それをよく焼こう」と話し合った。石の代わりにれんがを、
    しっくいの代わりにアスファルトを用いた。
11:4 彼らは、「さあ、天まで届く塔のある町を建て、有名になろう。そして、全地に散らされ
    ることのないようにしよう」と言った。
11:5 主は降って来て、人の子らが建てた、塔のあるこの町を見て、
11:6 言われた。「彼らは一つの民で、皆一つの言葉を話しているから、このようなことをし
    始めたのだ。これでは、彼らが何を企てても、妨げることはできない。
11:7 我々は降って行って、直ちに彼らの言葉を混乱させ、互いの言葉が聞き分けられぬ
    ようにしてしまおう。」
11:8 主は彼らをそこから全地に散らされたので、彼らはこの町の建設をやめた。
11:9 こういうわけで、この町の名はバベルと呼ばれた。主がそこで全地の言葉を混乱
    (バラル)させ、また、主がそこから彼らを全地に散らされたからである。

『創世記11章、使徒2:1~13』より抜粋



未だに止むことの無いイラクでの犯罪や自爆テロ。
今日も、イスラム派のスンニ派が、小学校の職員十数人を小学校の教室内で虐殺したらしい。
他にも、北オセチアでの小学校占拠事件など、
そうした事件が起こるたびに、この詩を思い浮かべる。

学生時代、大切な友人が夜間に暴行事件に会い、何週間か入院した。
その知らせを聞いたとき、僕は思った。

「そいつらを全員引きずり出して、一人残らず殺してやる」

実際に行動に起こさなかったが(当たり前だが)、そう思ってしまったのは確かだ。
自分が大切に思っていればいるほど、傷つけられる痛みは果てしなく大きいと知った。
そして、『殺す』という言葉がただ発せられるだけでも忌々しいくらい強い力を持っていることも知った。

人は誰しも自分のために生きている。
誰しも一人でできる力に限界があり、何かにすがって生きている。
だからといって、人を傷つけていい、人を殺していい理由にはならない。
また、一人で生きているように見えても、生きている限り、誰かしらの関係を築いている。
その人が傷つけられて、殺されて、悲しまない人間がいるのだろうか。

また、たとえ殺人でなくても、自分とそれほど近しい間柄でなくても、身近で起きる人の死は、辛く苦しい。


何故人を殺してはいけないの?


法律も道徳も超えて、自分に立ち返って問いかけてほしい。
貴方が一番大切にしている人が殺されたら、貴方はどうするか。

バビロニア文明の発祥の地であるイラクの人たちは、尚更だ。

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2005/09/27 23:18 | Comments(0) | TrackBack() | Diary

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