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2025/08/17 16:56 |
[三重] Silent Rain in the Sanctuary 前編
夏休みを利用した旅行第ニ弾として、伊勢へ行ってまいりました。
予てから伊勢神宮に行きたいと思っておりまして、これも第一弾の知覧と同様に、「今行かずしていつ行く!?」という半ば無謀な無理矢理精神を奮い起こし、実現に至ったわけであります。

が。
伊勢市に到着するなり雨模様。でも、本降りというわけでもなく、霧雨のようなパラパラとした雨が降るくらいで、あまり傘は必要としませんでした。
そして、この雨模様と平日であることが功を奏してか、皇大神宮(伊勢神宮・内宮)内の参拝客はまばら。時折、団体の外国人客が大勢来るくらい(大勢といっても、多くて15人程度)。そのため、静謐で荘厳な皇大神宮を堪能することが出来ました。


宇治橋 (皇大神宮(伊勢神宮・内宮)) 神苑からの眺望 (皇大神宮(伊勢神宮・内宮)) 正宮 (皇大神宮(伊勢神宮・内宮))



そしてまだまだ暑さが残る9月の半ば。鬱蒼と多い茂った木々の匂いが、湿気と共にそこかしこから漂ってきまして。割と僕はそういう『自然の匂い』というものが好きです。厚い雲に覆われているため、皇大神宮内は昼間といえども暗い雰囲気。でも、木漏れ日の差す穏やかで清々しい神宮もいいですが、雨の振る静かで仄暗い神宮というのも、神秘的でいいかもしれません。


おはらい町、おかげ横丁を歩いている時になってから、雨も少しですが強くなっていました。


 

おはらい町 おかげ横丁 赤福本店



それにしてもここに軒を連ねる様々なお店は、本当に訪ねる旅人を散財に誘うような食べ物や名品が多いですね。見るだけでも決して飽きない品物がズラリ。財布の紐はきちんと管理し、『本当に欲しい物だけ』に鼻を利かせながら歩くのが宜しいのではないかと(笑)。

しかし、おはらい町に来たからには、やはり何と言っても『赤福本店』。「赤福なんて、どこで買っても一緒なのでは?」とお思いのそこのアナタ! 百歩譲ってそうだとしても、やはり『本店』で購入することに意味があるのです!
というわけで迷わず本店に突入し、旅から帰った後、家族と堪能する為に適当な数量の12個入りを購入。しかし、そこから思いも寄らぬ展開が待ち受けていたのでした。

消費期限は明日(9月14日)までとなっておりますので、お早めにお召し上がりください

今日はまだ伊勢に到着したばかり。一泊して明日帰る予定。
一方の赤福の『消費』期限は『明日』。

そんなのアリですか!

というわけで、宅配で送っていただけないかと尋ねたところ、

申し訳ありません。生ものですので、この時期はすぐに傷んでしまいますので、
 宅配便は承っておりません。


あまりの計算違いの展開に慌てふためき、他のお店でお土産を物色がてら、宅配を行っているお店を雨の中血眼になって探しました。そして見つけた清酒のお店。これまた家族へのお土産の為に大吟醸を購入し、宅配を頼んでみました。
が。確かに宅配は受け付けていたものの、

もう今日の便は終わってしまったんですよー(この時の時刻は16:30)。
 東京方面ですと、明日発送の明後日到着になりますねー


東京の常識は日本の非常識なのかっ!? (←ただの考え無しなだけ)

東京だったら、よほど遅くならない限り(19:00とか20;00とか)、その日に荷物を受け付けて、近畿方面でしたら(一部を除いて)翌日に届けてもらえます。そんな東京の宅配事情にすっかり慣れてしまい、きっとここでも翌朝に届けてもらえるだろうと目論んでいたのに、全てご破算に。


というわけで、行きの時より一層重くなった荷物を引きずりながら今晩の宿へ。チェックイン後、すぐさま赤福を冷蔵庫にしまい、少しでも長持ちさせながら、明日のプランを練り直しておりました。
まさか赤福で明日のプランを大幅に変更せざるを得ないとは、思いもよりませんでしたから。

でも、そんな緊張感に満ち満ちた明日のプランも、夕食の一時だけは忘れることに。だって、100g約4500円の松坂牛サーロインを前にすれば、それを堪能せずに余計なことを考えるのは、バチ当たりというものですから


 

松坂牛サーロイン


 

『三重県』の写真集についてはこちら

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2007/09/13 22:27 | Comments(0) | TrackBack() | Outdoors
[Review] シッコ
シッコsicko

-【名】 (《複》 ~s)
《米俗》 精神異常者、倒錯者



以前『華氏911』を観賞しましたが、(個人的には)正直好きになるには程遠い作品だと思いました。僕自身も決して完全に中立的な考えを持つ人間だとは思っておりません(やはり人間ですから、何かしらの贔屓目は見てしまうもの…)が、マイケル・ムーア氏の着眼点の偏り方に、うんざりしたところがあったからです。
でも、すぐ後に気づきましたけれど。彼の作品の多くは、こんな調子なんだということを。また同時に、自分が如何に今の社会に、そして地球上での出来事に無頓着だということに気づかされました。

『華氏911』も『シッコ』も同様に、アメリカ社会の矛盾と異常性をバッサリと斬ったものですから、作品としての方向性は同じです。でも、やはり『華氏911』で取り上げられたのはテロや戦争。普通に日常生活を営んでいる人たちからみれば、まだまだどこか遠い存在に捉えられてしまうのは否めません。
ですが、一方の『シッコ』は、私達の生活は勿論、生命にまで直結する医療保険。あまりにも身近な存在にもかかわらず、テロや戦争と同じように、はたまたはアル・ゴア氏の映画『不都合な真実』と同じように、人々の生活を脅かしている。
『医療』と『保険』。どちらも、人々の生活と生命を守る言葉。安心を運ぶ言葉。それが、人々を脅かしている。

この作品に登場する、アメリカ医療保険の喰いモノにされた沢山の人々。
人の世界はどこも不公平。それは否めない。でも人の『生命』まで不公平ではないはず。
しかもそれが、お金を持っているか持っていないかで、『生命』の価値が同じ『人間』によって、『勝手に』決められてしまう。
これは、力を得たあまり、力に溺れ、本当の『強さ』を見失ってしまった国家の物語。


『世界の警察』を自負しているだけに、アメリカは確かに強い。
そんなアメリカの過ちの一つと言えば、『強さ』の本当の意味を履き違えてしまったこと。
権力、学力、財力...etc  眼に見える、数値に表れる『強さ』だけが、アメリカで生きられる証。力を持たないものは、いとも簡単に切り捨てられる。たとえ力を持っていても、突付けるだけ弱点を突付いて、搾取できるだけ搾取する。
僕は強い人が好きです。だからといって、弱い人が嫌いなわけではありません。僕が嫌いなのは、弱いままで甘んじている人。強くなろうとしない人。だってこの世には、本当に誰かの助けを借りないとどうしようもない人だっているから。でもその人は、好きで弱くなったわけじゃない。そのまま弱い立場に甘んじたいのなら、一生弱い立場でいればいい。あまりにも遅いけれど、それでも一歩ずつ踏み出そうという『強い人』であれば、僕は自分の出来る限りのことを、力の限り応援しようと考えています。

でも、そんな人ですら、アメリカは容赦無く切り捨てる。立ち上がろうとする気力すら奪い取る。
作中で、「フランスの場合は、政府が国民を恐れているが、アメリカの場合、国民が政府を恐れている」とありますが、こんな圧政とも思えるような政策は、むしろ政府が国民を恐れているから、無理矢理にでも封じ込めておこう、というふうにも見えるのです。

そしてこれは、何もアメリカだけの問題ではありません。今の日本だって五十歩百歩。どこかの省庁の体たらく振りは、もはや笑いすらおきない領域にまで達していますから。決して他人事ではないのです。


最後に。

カナダやフランス、イギリスは勿論、社会主義のキューバでさえ、無料もしくは低価格で高水準の医療サービスを受けられるシーンを観て、正直僕は、作中のアメリカ人と同じように、素直にはなれないと思いました。勿論、アメリカ人の感じ方とは別方向ですが。
高水準の医療サービスを、ほぼ無料に近い状態で受けられる。それも待ち時間も比較的短くて。勿体無くて、恐れ多くて、とてもとても受診できません。

  「すみません、お会計お願いします
  「無料だからお金は要らないよ
  「え゛っ、そそそそんな滅相もない! こんなにサービスを受けたのに無料だなんて!

なーんて会話が飛び交いそう。これは民族性によるものでしょうか。まあ僕の性格でもあるんでしょうけれど(笑)。

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2007/09/11 00:30 | Comments(0) | TrackBack() | Review - Movie
注意した大人への報い
<警官暴行>拳銃形ライター所持の高2男子を殴る 横浜


9月4日日22時50分ごろ、横浜市旭区鶴ケ峰2の路上で、神奈川県警大和署の巡査長(33)が県立高2年の男子生徒(16)が持っていた拳銃形のライターを取り上げて捨て、顔を数回平手打ちした。男子生徒は軽傷を負い、通行人の110番で駆けつけた県警旭署員が小磯容疑者を傷害容疑で現行犯逮捕した。
県警監察官室の調べでは、小磯容疑者は事件直前、男子生徒と同じ相模鉄道に乗車。男子生徒が回転式拳銃の形をしたライター(全長36センチ)を乗客に向けていたため、鶴ケ峰駅で下車後に「いたずらしてはだめだ」と注意したところ口論になった。小磯容疑者は大和市内で同僚と酒を飲んで1人で帰る途中だった。「いたずらをしていたので注意するつもりだった」と供述しているという。



暴力を以って応えるというのは良くないことですが、危険な行為をした高校生に対して注意をするのは、治安と安全を守る警官として当然のこと。というか、ニュース記事を見た限りではありますが、大雑把に言えば「悪いことしたから、おしりぺんぺん」的な内容なのに、何故にこんな大ごとにまで発展したのでしょう……
その平手打ちが、相手の高校生を病院送りするくらいのものだった? うーん、そこらへんの事実関係がいまいちなような気がしますが……
そのため、この巡査長に対する処罰を軽くしてほしいという連絡が、各地から殺到している、とのことです。


このニュースを見た知人が、琴線に触れたのか大いに奮い立ちまして。

ったく何なんスかねこのニュースっ! (注意で逮捕なんて)ふざけちゃいませんかっ!?

  まぁ、はっきり注意出来ない大人達が多いので、勇気ある行動だと思いますが。
  って、何でそんなにヒートアップを…?

電車の中でライターなんて! ふざけているにも程がありますよ、この高校生!

  おおお落ち着いてください! 確かに許せる行為ではない、というのは、
  アナタでなくても皆同じですから!

もしオレが巡査長の立場だったら、電車内を引き摺り回してボッコボコに
 殴ってますよ!


  分かります分かります過激ですけどスッゲーよく分かります!
  だからクールダウンしてください、マジお願い!

それでも厳罰するんだったら、所轄に殴り込…

  ちょっ それは危険! 危険ですってば!
  誰かっ! 誰かこの人止めてー!!!


この人は非常に正義感が強くて尊敬できるのですが、熱くなりやすいのが悩みの種。まぁそれも、いい意味でのパーソナリティなのですけど。ただまぁ、こういうふうなニュースを見ると、マタドールに向かう闘牛のようになってしまうのです。

しかし、こんな危険極まりない物騒なものを振り回す高校生に、生半可な注意では効かないことも確か。相当甘やかされて育ったのではないかと。そこに、ビシッと注意できる大人。ちょっと(?)過激ではありますが、こういう人が今の社会には必要なのかもしれません。

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2007/09/06 22:10 | Comments(0) | TrackBack() | Diary
[鹿児島] 兵たちの還る里 後編
『国』という言葉を聴いて、何を思い浮かべますか?

『当たり前のことをする』とは、一体どういうことでしょうか?


富屋旅館では、朝食後、女将さんがお話をして下さいます。それは、初代の女将さんである鳥濱トメさんから脈々と続く伝承(今の女将さんは、鳥濱トメさんのお孫さんの奥様に当たる方です)。戦時中、ここに訪れた若者達が、どんな想いで戦地に赴いたのか。決して帰ってくることのできない戦地に。彼等がどんなことを語り、どんな想いを寄せ、どんなものを僕達に、未来の為に遺していったか。
そんな語りの中で、女将さんが僕を含めた宿泊者に、こう問い掛けたんです。

』とは何か。『当たり前のことをする』とは何か。

色んな言葉が、僕の頭の中に過ぎりました。でも、答えることができませんでした。きっと、どんな答えも、本当の意味で正しい答えなどないかもしれません。でも、『言葉』に出しただけで、きっとその『言葉』は陳腐に終わる。僕は、『国』や『当たり前のこと』について、堂々と自信を持って答えられるだけの人生を歩んでいない。到底、まだそんな域には達していない。
そんな状態で言葉に表した瞬間、きっと後悔する。「ああ、僕はなんて浅はかな人間なんだろう」と。だから答えられませんでした。多分、それだけでも僕は十分浅はかな人間なのですけれど。

でも、きっと鳥濱トメさんも、一朝一夕で『国』や『当たり前のこと』について、見出したわけではないと思います。激動の時代を超えて、数多くの死を目の当たりにして、それでも、まるで何事も無きかのように移り変わる世の中を垣間見て、トメさんなりの答えを見出したのではないかと思います。
「若くして散っていった彼等の為に、私が出来ること」。それが、晩年の鳥濱トメさんの原動力。その想いは、時を越え、場所を越えて、伝えられるべき精神。

誰かの為に、私が出来ること」。
きっと、『』も、『当たり前のこと』も、そうやって積み重なって形作っている。チェックアウト後、お仏壇の前で焼香しながら、そう思いました。


富屋旅館から約15分ほど歩いたところに、知覧平和公園があります。その名のとおり、公園内は先の大戦において、特攻隊に纏わる遺品や資料を展示している『知覧特攻平和会館』、沖縄の海に散っていった若き特攻兵達を奉るために建てられた、特攻平和観音堂や1000以上の灯篭があります。そして、公園入り口から知覧特攻平和会館に向かうまでの道には、小振りながらも多数の桜の木が植えられていました。
春になったら、きっと、兵士達の帰りを待ち焦がれたいたかのように、綺麗な花を咲かせるのでしょうか。


一式戦闘機『隼』 特攻銅像『とこしえに』 三角兵舎



知覧特攻平和会館は、特攻兵達の遺品や遺書、資料の数々。
  「先立つ不幸をお許しください
  「立派に体当たり致します
  「私は笑って元気に征きます
  そして、「お父さん、お母さん、さようなら

そんな遺書が並ぶ中、ようやく、大叔父の遺影と名前を見つけました。昭和20年5月末、沖縄洋上で戦死。その時の歳は19歳。たったの19歳。
今の世の中なら、大学生活を謳歌している真っ最中。最もその行動力を発揮できる歳。色んなことをしたかったんだと思います。それでも彼は、死ぬことを選んだ。自分の生命を擲つことで、自分の大切な人たちが、これからも平和に、幸せに暮らすことができることを、信じていたから。

これらを見て思うことは、僕達は、『生かされている』ということ。彼等は別に英雄になろうとしたり、敵や弱者を蹂躙したり、弾圧しようとしたのではない。大切な人の未来を守ろうとしたために死んだということ。
誰かの為に、私が出来ること」。
何も持たない彼等にとって、生命を投げることが、彼等なりの思いやりなんだ、ということ。

それでも、残された人はもっと辛い。
死んでいった人達が大切にしてきた人達も、同じように、死んでいった人達を大切に思っているから。


知覧には、今の日本が失いかけているものが沢山あります。それは、単にモノとしではなく、未来永劫受け継がれるべき精神。いや、これは日本だけにとらわれるものではなく、世界各国全ての人間が、受け継がれるべき精神だと思います。
色んな宗教や思想がありますが、それは形式やこだわりの上でのこと。本当に、人間の根幹を作るための大切なものが、知覧には眠っています。

富屋旅館の女将さんはおっしゃいました。「戦争についての語り継ぎを、皆さんがどのように聞いていらっしゃるかは分かりませんし、人それぞれなのでしょう。それでも、その中から『何か』を感じ取っていただきたい」。
誰かの為に、私が出来ること」。これから先、僕はどれだけの人に、どれだけのことが出来るのかは分かりません。それでも、今僕が生きているということは、誰かの為に出来ることがある、ということ。力の限り、精一杯。

きっとそれが、『当たり前のこと』なのであり、輪のように広がって、『』が作られていくのでしょう。


 

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2007/09/03 22:48 | Comments(1) | TrackBack() | Outdoors
[鹿児島] 兵たちの還る里 前編
夏休みを利用した旅行第一弾、『知覧』へ行ってまいりました。そして何気に九州初上陸。映画『俺は、君のためにこそ死ににいく』に触発された、というのもありますが、
 ■知覧の戦時中の史跡や、当時の特攻兵の想いに触れてみたい
 ■大叔父が特攻兵だったので、彼の足跡を追ってみたい
というのが狙いです。きっと今行かないと、向う数年間は実現しないような気がしましたので、半ば強行日程であろうとも、このたび、知覧を訪れることになりました。

が。
それまで存在していた鹿児島空港から知覧までの直通便バスが廃止になり、鹿児島空港から鹿児島中央駅で乗り換えて知覧までバスで行くことおよそ2時間30分! いくら目的地を絞っていたとはいえ、一泊二日の旅行では『半ば強行日程』どころか『ホントに強行日程』になったのはいうまでもなく。割と余裕を持って旅をする僕としては、ちらほら時間を気にしながらの旅路になってしまいました。 orz


知覧に到着したのは9月2日。昼に鹿児島空港に到着したとはいえ、実際に知覧に到着するのは夕方前になってしまいますので、この日は武家屋敷を中心に市内を散策しました。


知覧の風景 武家屋敷庭園 - 其の一 武家屋敷庭園 - 其のニ



『薩摩の小京都』と呼ばれる知覧でさえ、市街地は区画整備されており、普通に必需品も購入できる街になっておりますが、路地に入ると、そこは昔ながらの武家屋敷が軒を並んでおります。しかも、メインの道路はそこそこ人通りも車の通りも多いのに、ほんの僅かに道を隔てた武家屋敷には、音という音がなく、静寂に包まれておりました。
『閑静な住宅街』というと、ちょっと違うかもしれません。東京にも閑静な住宅街はそこかしこに存在しますが、何となく無機質で味気ない。一方の武家屋敷周辺は、耳を済ませると、さらさらと流れる清流の音、僅かながらに響き渡る虫の音、そして、秋の訪れを告げるかのような風の音。静寂の中にも少しだけ伝わる自然の音なんて、正に生活する上での至福の一時を醸し出すのでしょう。

というか、この武家屋敷、日本庭園部分は一般開放しているものの、家屋には普通に人が生活しているんだそうです。

何という贅沢なっっ!!


知覧に着たからには、やはり宿泊場所は『富屋旅館』にしたいな、と決めておりました。


富屋食堂(復元) 鳥濱トメさんの詠われた句



そのお隣は、なんと当時の『富屋食堂』を、鳥濱トメさんのお二人のご息女(既に亡くなられております)の記憶を元にしたものの、完全復元した建物が建てられておりました。勿論、館内は食堂ではなく、当時の遺品や写真が展示されている、一種の展示室になっております。
館内に展示されている遺品や写真、ここを訪れた、年端も行かぬ若者達の言葉の数々だけでも一見の価値がありますが、多分定時ごとに催されると思いますが、鳥濱トメさんのご親族と思われる方の語りがあります。ちょうどその時間に居合わせることが出来たのは幸いでした。
切々と語られる、当時の色んな人たちの想い。心許無い飛行機ながらも、我が半身のように接し、重い爆弾を積んで敵艦めがけて体当たりする作戦。それを目前に控え、特攻兵達は何を想ったのか。ただ見送ることしかできない。引き止めることもできない。自分の無力感に苛まれながらも、それでも出来る限りのことを尽くそうとした人達は、何を想ったのか。

それは、これから知覧にいらっしゃる方々が、ご自身の目で、ご自身の耳で、確かめてみてください。


 

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2007/09/02 21:00 | Comments(0) | TrackBack() | Outdoors

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