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2024/03/19 12:59 |
[Review] バベル
バベルこの映画を観ている最中、僕は思った。

今まで、何百何千、数多と報道されてきた世界のニュース。そのうち、一体どれだけのものに関心を持っていたのだろう?

2割? 3割? いや、違う。きっと、1割どころか、1%にも達していないだろう。そして、これは報道された中のニュースに限ったことである。報道されないニュースも含めれば、僕がこれまでに関心を寄せたニュースなんて、ほんの一握りだ。
勿論、関心を寄せたところで、何ができるわけではない。一個人の持てる力など、たかだか知れている。全ての問題を解決しようなんておこがましい事は考えていない。でも、「関心を寄せている」と「寄せていない」とでは、大きく異なる。何をするわけでもない。ただ関心を寄せるだけ。それでも、その問題に対する姿勢や考え方は違ってくる。徐々に行動に移そうと考えてくる。結果として、自分の行動がその一端しか担うに過ぎないとしても。

僕は思った。そして打ちのめされた。
如何に、自分が多くの問題に関心を寄せていなかったか。目をそらしていたか。他人事のように考えていたか。
神が傲慢な人間から奪ったのは、何も共通の言葉だけではなかった。そして共通の言葉を奪うことが、神が人間に与えた罰ではなかった。『無関心』。これが、神が人間に与えた最も重い罰。


モロッコにおいて発生した銃撃事件。撃たれたのは、観光中のアメリカ人夫婦。
観光中、アメリカに子供たちを預けた家政婦は、不法就労のメキシコ人。
銃撃事件で使用されたライフルの登録上の所有権は、日本人の会社員。

全ては、独立の事象。繋がっているのは、銃撃事件だけ。それぞれの国のそれぞれの事象に、接点はおろか、関連性すらどこにもない。
しかし、銃撃事件は、単に無関係の事象を繋げるための材料に過ぎない。この映画で表現したかったのは、それぞれの事象の中に介在する、人間が人間であるが故に犯す『過ち』と、それに対する『関心』であると、僕は考える。ひとつの『きっかけ』が、世界中に存在する様々な問題を浮き彫りにさせ、それぞれに関心を寄せることが、この映画の狙いではないだろうか。
その対照的なシーンとして僕が印象に残っているのは、モロッコでの銃撃事件を、日本のニュースで報道されているシーン。中盤で、菊池凛子が扮するチエコが、自宅のリビングで寝そべりながら、ラストの方で、二階堂智が扮するケンジが、酒を飲みながらニュースを見るシーンがある。でも、両者とも、「自分には関係ない、地球の裏側で起こった事件なんて」という目をしている。
勿論それは、地球の裏側で生活する人々にも同じこと。不法就労問題も、未成年の飲酒や危険な遊びの問題も、「自分には関係ない」と思っている。だって、自分たちの生活圏の中で銃撃事件が発生して、重傷者が出たのに、誰も手を差し伸べようとしないから。ただ見てるだけ。巻き込まれるのが怖いから。


確かに、一つ事件をきっかけに繋がる全ての事象を垣間見るのは難しい。しかし、どこかに必ず『因果』があり、『繋がり』がある。たとえ当事者が意識していなくても、見えない『繋がり』が存在するのだ。
重要なのは、僕たちがその繋がりの奥にある事象に、どれだけの関心を抱くか。更に、それらに対して自分に何が出来るか。全てを何とかしようなんて考えない。一人で何とかしようなんて考えない。身近なところであろうと、気の遠くなる距離と時間の関係であろうと、多くの人が、様々な『問題』や『過ち』に対し、関心を抱こうとすることを願わずにはいられない。
勿論、それは僕自身に対しても言えることなのだ。

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2007/04/28 22:39 | Comments(0) | TrackBack() | Review - Movie

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