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2024/03/30 00:49 |
[Review] 硫黄島からの手紙

硫黄島からの手紙「御国の為に戦え」と人は言う。「御国の為にこの命を捧げる」と戦友は言う。けれど本心は、もっと奥深い思いは、果たして一体何なのだろうか。
本当に気がかりなのは、我が家族。我が親友。そう。『国』という得体の知れない、想像だにつかないものに比べれば、身近で、きっとちっぽけにしか思えないものかもしれない。でも、だからこそ何よりもいとおしく、だからこそ何ものにもまして守りたい。

俺達は、もう帰れない。二度と故郷を目にすることはない。それを知っていて、何故この島を守るのか。毎日が蒸し暑く、羽虫が飛び交い、決して生活に向いている島とは思えない。この島が日本国領でなくったって、アメリカに引き渡したところで、何か損害など発生するのだろうか。
違う。この島が日本国領で無くなったら、次に狙われるのは、本土だ。俺達が本当に守りたいものまで侵されてしまう。
だから守るのだ。この島を。貴方のためになるのなら。一日でも長く。長く。長く。

俺達にとって本当の『正義』とは、本当に『正しい』と思えることを為すこと。そして、他の何ものにも替えることが出来ない貴方のために生き、そして戦うことだ。



クリント・イーストウッド監督が、日本側の視点で描いた硫黄島の戦い、『硫黄島からの手紙』。
あまりにも辛く、あまりにも過酷な運命の中で戦い、死んでいった兵士達。眼前に繰り広げられる戦闘と、劈くような銃声と爆撃の応酬。そこにあるものは、全て目を背けたいものばかり。それでも、刮目して見届けなければならないと思いました。
圧倒的な物量と人数で襲い掛かる米軍。援軍も無く、勝てる見込みは0に近い。全員死ぬかもしれない状況下の中で、それでも彼らは戦い続けたのですから。彼らの望むもののために。

既に20世紀最大の大戦が終了して60年を越えました。今この時にも、戦争を知る方々は一人、また一人と天寿を全うし、本当の意味での『戦時』を知る人は、徐々に少なくなっていきます。あともう数年、数十年すれば、『戦時』のありのままを知る人は、誰もいなくなります。
それでも、伝えたいことがある。たとえどんな形であろうとも。
硫黄島という、日本の本土から遠く離れた孤島で、自らの信じる道を全うするために、戦い続けた者達がいる、ということを。
それが、彼らが戦場でしたためた、一通一通の『手紙』。

この映画で、渡辺謙が扮する栗林忠道中将や、二宮和也が扮する西郷は勿論の事、一番強く印象に残ったのは、伊原剛志が扮する西竹一中佐の一つ一つの言葉。
それは、この作品を前に観た『父親たちの星条旗』の言葉と重なります。「最善を尽くせ」。そして、「己の信じる道を進むことが、本当の正義だ」。

気がついた時には、ボロボロと涙がこぼれていました。とても人に顔を見せることができないくらいに。


現在、硫黄島には、まだ13000体に及ぶ遺骨が未だに回収されていない、と聞きます。
60年以上も経過し、既に土へ還り、または風となり大気となっていったのでしょう。
それでも尚、彼らの御霊は、硫黄島を守り続けているに違いありません。

『父親たちの星条旗』と『硫黄島からの手紙』を総括して。


この映画では色々なメッセージがこめられています。
反戦の意味や、硫黄島の戦いのありのままの真実は勿論ですが、それ以上に伝えようとしていることは、日本兵にしてもアメリカ兵にしても、英雄など一人もいない、臆病で弱々しい、『ただの人間』だということ、だと思います。
何一つ特別な力を持たない、ただの人間であろうとも、己のやるべきことがあり、己の信じる道がある。漫画や小説に出てくるような、颯爽とした格好のいい姿などどこにもなく、死に物狂いで、時には這い蹲るように、でも、一歩一歩確実に歩んでいく。

弱い人間である、それでも強さと誇りを持って生きていきたい。双方の作品とも、そんな姿を描いているのではないかと思います。

出演している俳優さんたちは、どちらの作品とも有名な方々ばかりですが、どちらの作品とも、「ただの人間であるかのように撮ろう」とはしていない、「ただの人間を撮る」という意気込みが感じられます。


多かれ少なかれ、戦争は誰かを傷つけ、誰かを不幸に陥れる。
己の手を血に染め、二度と元の生活に戻る事のできない修羅の奈落に落とされる。
それでも、それを知っていても。
『ただの人間』である彼らが、何を守りたいと考え、何のために戦い、何のために散っていったか。それを知ってほしい。同じ、『ただの人間』であるからこそ。

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2006/12/10 00:04 | Comments(3) | TrackBack() | Review - Movie

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コメント

TBありがとうございました。
戦争を知らない世代ばかりになって、こうして、映像で見てあらためて、そう言う時代に生きてきた親や祖父母の時代を思う。ほんとうに大切だと思いました。
posted by kayamariyonURLat 2006/12/28 23:07 [ コメントを修正する ]
Re:戦後世代
ご来訪・コメント有難うございます。

たとえリアルな戦争映画を何度も何度も観たとしても、彼らが負った本当の傷、本当の苦しみは、戦争を知らない僕たちには決して分からないと思います。
でも、ここで全てではなくても何か少しも知ろうしなければ、きっと人間はこれからも同じ過ちを繰り返し続ける。だからこそ、こういった映画を少しでも観て、考えてほしい。そう思いました。

>TBありがとうございました。
>戦争を知らない世代ばかりになって、こうして、映像で見てあらためて、そう言う時代に生きてきた親や祖父母の時代を思う。ほんとうに大切だと思いました。
2006/12/30 11:04
そうですよね。すべては家族も愛する人もいる「ただの人」。

で、あの当時、「鬼畜米英」は人にあらず、とされていた時代だからこそ、渡米経験のある二人の将校の存在が重要なのですね。自分は現在も進行するイラク戦争(未解決な)や対テロ戦争を、遂行しているアメリカ人の多くは、彼らを「人」ではなく単純な「敵」としてしか捕らえていないのでは、と思います。
直接の知人が一人でもいれば・・また優れたイラン映画など、中東の文化を知る人が多ければ・・短絡的な「敵視政策」はできないはずなのですが・・

自分はだからこそ、世界中の映画を観ていきたいな、と思っています。
posted by おかぽんURLat 2006/12/29 12:38 [ コメントを修正する ]
Re:「ただの人」
ご来訪・コメント有難うございます。

『父親たちの星条旗』で、見えざる敵とどうやって戦う、といった類の台詞がありますが、この部分、『同じ人間』だからこそ見えざるところがあったのかもしれません(考えすぎかもしれませんが…)。

向かってくるのは、自分と同じ血の通っている人間。善も悪も、そこには無い。だから、明確な『敵』が見えない。分からない。
でも、ここで何もしなければ、自分が死ぬ。親友が死ぬ。ひいては家族が死ぬ。だから、必死で『敵』を追い求めて、戦い、死に追いやる。
戦争が如何に兵士の精神を削ぎ落とし、狂わせるか、よく分かります。

>そうですよね。すべては家族も愛する人もいる「ただの人」。
>
>で、あの当時、「鬼畜米英」は人にあらず、とされていた時代だからこそ、渡米経験のある二人の将校の存在が重要なのですね。自分は現在も進行するイラク戦争(未解決な)や対テロ戦争を、遂行しているアメリカ人の多くは、彼らを「人」ではなく単純な「敵」としてしか捕らえていないのでは、と思います。
>直接の知人が一人でもいれば・・また優れたイラン映画など、中東の文化を知る人が多ければ・・短絡的な「敵視政策」はできないはずなのですが・・
>
>自分はだからこそ、世界中の映画を観ていきたいな、と思っています。
2006/12/30 11:02
TBありがとうございました。
ひとくくりにするのはできませんが、日本ではなかなかできない映画ですね。
最近、「マイドッグスキップ」を、もう一度見直したんですが、同じ時代の同じ戦争をしていた国とはおもえませんでした。この時代のアメリカを知っている、栗原中将は本当に苦しかったのでしょうね。
posted by kayamariyonURLat 2006/12/29 23:53 [ コメントを修正する ]

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