この映画を観て一番に魅了されたのは『美しさ』。
それは、日本の自然の美しさや愛くるしい仲間由紀恵はもちろんですが、『無駄な音が無い』ことによる『美しさ』に引き込まれました。
『HERO』のアクションシーンも、アクションそのものや背景となる自然の美しさ(もちろん愛くるしいチャン・ツィイー様も)に強く惹かれましたが、それはあくまで視覚に対してのものです。
「耳を澄まして美しさを味わう」映画というのも、そうそう無いと思います。
『亡国のイージス』でもそうでしたが、やはり短い間に物語をまとめるというのは本当に難しいですね。
この映画は思ったよりもシンプルにまとめられていたので、すごく観やすかったのですが、
甲賀弦之介のアクションシーンが少なかったのがいまいち。
(朧の『破幻の瞳』のシーンが1回だけ、というのもちょい残念(原作見てないのでもしかしたら本当に1回こっきりなのかもしれませんが…)。でもあんなの何回も使われたら、それこそ両勢力が一気に覆るのが目に見えているので、アレはアレでよかったのかも)。
これはあくまで持論であり、他の人がどう思うか分かりませんが、『運命』って本当はあると思うんですよ。
その人その人、固有のものが。決して誰かと同じではなく。
ただ、それに従うか逆らうか、選択するのはその人にしかできない。例え客観的に『逃げ』に見える選択でも、その人なりに考えた選択なのなら、誰も批判する事は出来ません。
『逃げ』に見える選択でも、確かにリスクは伴いますし。
時代背景がどうあれ、自分の身の上がどうあれ、自分の望んだ未来を進むための『選択』をする。
それに対し、覚悟と責任を背負う。そんなことを考えさせてくれます。
P.S. kanhou様 (私信)
虎牙さん、めちゃくちゃかっこよかったです。一番人間っぽい忍なので親しみやすい
ですし。
演出の仕方が、ハリウッドを意識しすぎ。『SHINOBI』の中に登場する、あらゆるアクションやパフォーマンスをどう演出するか、に意識するあまり、この物語が『日本独特』であるということに、欠けているような気がするのです。
観客を引き寄せるのは、『SHINOBI』としてのアクションか。それとも、『SHINOBI』としての物語か。難しい選択を迫られたかもしれませんが、それでもこの映画が「『SHINOBI』としてのアクション」を選んだ理由は、どこにあるのでしょうか。