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2024/03/19 13:57 |
[Review] 男たちの大和/YAMATO
男たちの大和我が父ことケンイチロウさんの希望もあって、『男たちの大和/YAMATO』を観に行くことに。


今までの戦争映画は、「『戦争』について考える」ということを着眼した作りが多かったのですが、これは全く別のアプローチ。「『覚悟』について考える」ことを着眼した映画です。
普段何気なく使っている言葉でも、いざ口から意味づけて発音すると、その重みがズシリと伝わってきます。
戦時中なら尚更なのかもしれません。


己の手を血で染める『覚悟』
卑怯者と罵倒されても生き延びる『覚悟』
そして、死ぬ『覚悟』


『ローレライ』にしても『亡国のイージス』にしても、上官は部下に対して必ずといっていいほど「生き延びろ」と、まるで命令のように言い放ちます。でも、この映画に出てくる上官たちは、一言も部下に対して「生き延びろ」とは言いません。
『大和』が特攻である、という性質もあるのかもしれませんが、『大和』に乗艦した17~18歳の乗組員達は、まるで本当に自分の身に起こりそうに無い夢物語に捉えるかのように、「お国の為に命を投げ打つ覚悟です」と言います。そんな彼らに、「生き延びろ」と言っても、きっとその想いは届かないのでしょう……

本当に「死ぬ」というのがどういうことなのか、分からない彼らには。
まるで、他人の絵空事のように。

17~18歳といったら、色んな希望や想いが満ち溢れている青春の年代。そんな彼らを前にして、上官たちは、「死ニ方用意」と教えて、一体どんな気持ちだったのでしょうか。


自分達の仲間が次々に死んでいって、日本を守らんとする要たる大切な船が沈んで、そのとき初めて知る事になる。
あの時、自分の両親や兄弟が好きな人たちが、「死んではいけない」と何故言ったのか。上官たちが苦しそうな表情で何故「死に方」について教えたのか。簡単に「命を捨てる」などと吐いた自分がどれだけ愚かだったのか。

失ったものの重さは、例え戦争が終わって60年経った今でも、決して取れるものではなく、逆に、取り去ってはいけないものでもあると思います。
あの時、彼らが抱いた生と死の『覚悟』はどんなものだったのか、今を生きている僕たちもまた、彼らが生き、そして今の『生』を享受できているからこそ、それを語り継ぐ『覚悟』が必要なんだと考えます。
前にも書いたと思いますが、今は亡き祖父も、戦争に従事した兵卒(近衛兵)です。
祖父は、自分の娘である母やその兄弟は勿論の事、孫である僕たちにも、彼が受けた戦争の苦しみや経験について、一切話すことはありませんでした。
話すのは、戦場での苦楽を共にした戦友達と集ったときのみ。酒を飲み交わしながら、「あの頃は~~だった」などと笑いながら話しながらも、目はどこか寂しげだったと聞きます。

共通の話題で盛り上がれる仲間と、後世では楽しく話せていても、どこか物足りないのでしょう。
だって、きっと祖父にも、戦争で散った戦友が居たに違いないのですから。
その人も傍らに居れば、もっと楽しいひと時を過ごせたのかもしれないけれど、居なくなってしまえば、話す事も出来ない。

失った人の重さを、祖父はどのように想っていたのでしょうか。

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2005/12/17 23:15 | Comments(0) | TrackBack() | Review - Movie

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