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2024/04/26 19:24 |
[Review] 太陽

太陽「神が人間であることは許さない」
「神が人間になることを認めない」

人は、弱くなればなるほど、神を必要とするから。
しかし、有史以来、神として崇め奉ってきた人物も、同様に人間だった。
同じように言葉を操り、同じように夢を見、同じように血を流す人間。

生まれた時から、自分は神。
放棄することも、弱さを見せることも許されない、神。
神として生まれてきたが故の『呪い』。周囲は、恐れ多く静謐に彼を敬う環境は、彼にとってみれば、それは狂気の坩堝。どれだけ自分が『人間』だと言っても、誰も彼を『人間』だとは認めない。

だから、彼は呟く。
「誰も私を愛していない。皇后と皇太子以外は」 と。


時代劇や大河ドラマ、ハリウッド映画では『ラストサムライ』など、天皇という存在は、幾度と映像に登場してきました。時に人々を導く皇帝として。時に人々を脅かす恐帝として。
しかし、どれを観てもその姿は公に登場する姿のみ。限りなく『触れえぬ存在』として描かれた天皇の姿。それは人間宣言をする前の昭和天皇であっても同じことでした。

けれども、彼は『人間』でいたいと思った。勿論、それはこれまでの皇室の歴史を根底から覆すための思いじゃない。彼はそこまで強くなかった。何千・何万という、自分の国の民の死を目の前にして、悠然と『神』としていられるほど、彼は強くない。いや、むしろその方が、彼にとってみれば弱いのかもしれない。
『神』としてい続けることの方が弱いのか。『神』あることを辞め、『人間』であることを選択することの方が、ある意味逃げなのではないのだろうか。
日本史上最多の日本人が没した時代に生きた天皇。朝眼が覚めても、夜床に就いても、目の前に現れるのは、『狂気』。天皇という舞台に上がってしまった者の運命。自分で選んだわけでもないのに。皇族に生まれた自分。選ばれたんじゃない。『選ぶ余地が他に無かった』。


この映画には、皇后やマッカーサー元帥をはじめ、色々な人物が登場します。終戦直前から人間宣言までの間、いわば、疲弊のどん底に落とされた日本社会を描いています。
住むところも、着るものも、食べるものすらも無い世界。そんな中でも、昭和天皇はあまり自分のペースを変えず、極端な話、飄々と生きています。表向きは、ですが。
それでも、彼の苦悩は絶頂に達していたでしょう。周囲の人物も、まるで過剰というくらい昭和天皇を崇めているのは、拠り所が必要だから。一見、苦しそうに見えても、何かがあれば、縋れる存在がある。それが『神』。この映画の大半が昭和天皇を映しているから、かもしれませんが、周囲の人物に、心の底からの『苦悩』があまり見られません。『神』が何とかしてくれる。『神』がいれば大丈夫だ。

だから。
「神が人間であることは許さない」
「神が人間になることを認めない」


ほとんど音も無く、セピアに満ちた静寂さの中で進行する、でも、ひと時も眼を離すことが出来ない、常に固唾を呑み続けるような映画です。戦争映画でよくある、戦時の状況説明は一切というほど存在しない。だからこそ、昭和天皇という一人の『人間』そのものを、観ることが出来ると思います。

貴方は、この映画の昭和天皇を、どのように感じ取るのでしょうか?

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2006/08/21 23:14 | Comments(0) | TrackBack() | Review - Movie

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