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2024/04/27 00:32 |
[Review] 博士の愛した数式

博士の愛した数式

 「僕の記憶は、80分しかもたない」


他者に宣告されるより、自分の取った行動がそうだと自覚させられることの方がどんなに辛い事か。
寝た明くる日の朝訪ねてきた人は、例え過去出会った人でも、昨日であった人でさえも初対面。それどころか、80分前自分がとった行動ですら忘れてしまう。それがどんなに辛く苦しいことなのだろうか。

既に小説を読んだ後なので、大体の話の道筋は分かる。でも、映像と音に合わせて改めて観ると、『自分の記憶が80分しかもたない』ことの苦しさが切々と伝わってくる。
自分の症状を十分に自覚している主人公の博士にとって、数字は他者とのコミュニケーションを取る上でうってつけの道具だ。靴のサイズを聞いたり、誕生日を聞いたり、電話番号を聞いたり。その一つ一つの数字の散りばめ方を見て、大袈裟とも取れるくらいの褒めちぎりをする。小説にもあったが、まるで数字が博士にとって、『他者からの攻撃をガードしてくれるシェルター』であり、『自分の苦しみを紛らわせてくれる道具』だ。
でも、次から次へと変わる家政婦は、皆数字には無関心。結局、博士の口から発する数字は、シェルターにも道具すらにもならず、ただただ自分の苦しみを浮き彫りにするだけだった。

ところが、新しく入った家政婦は、最初は博士の行動を訝しげに思いながらも、次第に興味を持つようになる。彼女だけでなく、彼女の息子も。ようやく、博士の口から発する数字が、深い意味を帯びてくる。
今まで自分だけが抱え込んでいた苦しみを、ほんの僅かでも共有してくれる人に巡り合えたことは、本当に『友愛数』を見つけるに等しいことだったに違いない。
博士が一番愛した数字は『素数』であり、博士が一番愛した数式は『オイラーの公式』だけど、それ以上に、自分と『友愛』の関係を持てる人に出会えたことは、博士にとって何物にも変えがたい衝撃だったと思う。

また、映画では、小説では語られなかった未亡人(=博士の義姉)の、博士に対する気持ちも綴られている。博士が自分の記憶障害で苦しんでいるのと同じように、未亡人も自分がかつて犯した過ちに苦しんでいる。
それを、家政婦という立場でありながらも、一筋の光明として明るく暖かく照らしてくれる女性との出会い。未亡人もまた、家政婦の働きによって救われた人の一人であるに違いない。


昨今、物騒な事件が立て続けに起こる中で、他者が信じられなくなり、他者の行動に無関心になりつつある。近隣の住民はおろか、家族の中ですら亀裂が入る時代である。
そんな世の中だからこそ、是非観て欲しい。何気ないけれど、穏やかで暖かい日々の生活がどれだけ大事か。また、ほんの取るに足らない数字の羅列だけでも、そこから見出す何らかの『発見』が、如何に生活に潤いをもたらすかを。

改めて、『友愛数』の成り立ちには感心する、というか、ゾッとする。
どうしてこんな数字が存在するのか。本当に神が仕組んだことなのか。
理論としてそこに存在しても、何だか「存在する」という事態、恐れ多いような気がして。
まだ僕は、数学のほんの表層しか目に見ていないことが、よく分かる。


220の(自身を除いた)公約数の和 : 1 + 2 + 4 + 5 + 10 + 11 + 20 + 22 + 44 + 55 + 110 = 284

284の(自身を除いた)公約数の和 : 1 + 2 + 4 + 71 + 142 = 220

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2006/01/21 23:45 | Comments(0) | TrackBack() | Review - Movie

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