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2017/03/30 13:49 |
[Review] ミュンヘン
ミュンヘン2005年8月、太平洋戦争が終わって60年を迎えた企画として、NHKがイスラエル人とパレスチナ人の高校生が合同で広島の原爆平和記念館を見学する番組が放送されていました。人が人の手で作り上げた人類史上最悪の兵器・原子爆弾が投下された惨状を見て、平和というものが如何に大事なものかを知った高校生達。しかし、見学が終わった後、一人のイスラエル人高校生が、記者のインタビューに対しこう答えました。

「でも、もしパレスチナ人が僕達の国に攻め込んできたら、彼らに銃を向けなければならない。」


この映画は、「戦争はいけないことです」とか「平和は大事なことです」なんて言葉は一つも出てきていません。何故ならこの映画は、傷つける方と傷つけられる方、両方の視点で描かれているから。傷つける側は「よくやった」「君を誇りに思う」と褒め称える。傷つけられる方は嘆き悲しみ、侮蔑の視線を刺すように投げ、さらには逆に傷つけた者の命を狙うようになる。
唯一つ、この映画が訴えているのは、報復は報復を生むこと。本当に単純なことに見えます。言葉にすれば非常に容易い。でも、「報復は報復を生む」ということを、本当に身にしみて感じている人は、この地球上でどれくらいいるのでしょうか?
きっと僕も分かっていません。多分己の両の手を血で染めた者でなければ、分からないのかもしれません。

でもそれだと、自分の身を血で汚さなければ、自分の過ちに気づかない?
罪の重さを知るためには、罪を犯さなければならない?
人の命の重さを知るためには、人の命を奪わなければ分からない?

本当の意味で『痛み』を『理解』することは、並大抵の事ではないでしょう。
だって『傷つけた人』は、『傷つけられた人』じゃないから。『傷つけられた人』がどんなに痛み、苦しんでいるのかが分からない。
自分が犯した、また犯そうとしている罪がどれだけ重いものなのか、ちゃんと『理解』しなければ、その『罪』の恐怖と狂気に自分が押し潰されてしまう。単に『理解している』だけでは、きっと、報復と哀しみの螺旋は止まることは無いと思うのです。


この映画に登場する人物は、何かしらの形で『安息する場所』を求めています。『いつか帰るところ』とでもいうべきでしょうか。
それは家だったり故郷だったり、または国だったり。
自分達にとって『安息の場所』を勝ち得るために、誰かを殺す。誰かを傷つける。
殺された、傷つけられた方は、『安息する場所』を奪われる。奪っては奪われ、奪われては奪い返し…… きっとこれから先も、未来永劫繰り返されていくのでしょう。

だからこそ、この言葉があまりにも響いて離れないのです。


「俺たちは高潔な民族のはずだ。その魂を忘れるなんて…」


それは、地球上に住む僕達全員に当てはまる言葉。
僕達は人間です。本能だけで生きる動物ではありません。考える頭と言葉を持つ人間です。
『人間』が『人間』である限り、これからも『人間』であり続ける限り、決して忘れてはならない。そんなメッセージを投げかける映画だと思います。

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2006/02/04 23:40 | Comments(0) | TrackBack(0) | Review - Movie

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