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2024/04/25 12:45 |
[Review] クィーン
クィーン日本の天皇制が、120代以上も続く連綿とした一族である事もさることながら、イギリス王室、いわゆるグレートブリテン島を支配した君主達もまた、今日に至るまで連綿と続いている。伝統と格式を持ち、国の全てを治め、国に全てを捧げるその御身に、『自分』という『自由』は、どこにも存在しない。
国の君主として王冠を頭にのせたその時から、歴史と伝統を刻み培ってきた国と、そこに住まう国民以外を、愛してはならない。死が二人を別つまで共に暮らす伴侶でさえ、次の王を産むために必要なだけなのだ。


1997年8月31日 フランス パリ。
元ウェールズ大公妃ダイアナ、死去。離婚後に交際していたドディ・アルファルド氏と共にパパラッチに追跡された果ての交通事故。
多くの人が悲しみ、彼女が生前住んでいた宮殿の前に、多くの花束が手向けられたにも関わらず、イギリス王室は、当初半旗すら掲げなかった。全てはイギリス王室の伝統のためであると同時に、『ウェールズ大公妃』の称号を冠しながらも、彼女は既に『民間人』だったからである。

彼女は『自由』を求めていた。『公人』である以上に、自分は『一人の人間』であることを求めていた。
彼女に手を差し伸べられて、救われた人も数多くいたが、彼女によって貶められ、犠牲になった人も数多くいたことも事実。けれどそれは、全てが彼女の所為ではない。彼女もまた、あらゆる苦しみの渦中に立たされた犠牲者でもあった。それは、彼女を伴侶としたウェールズ公チャールズにも、その一端がある。
それでも、幾星霜と積み上げてきたイギリス王室の伝統の『穢れ』が、無かった事にすることは出来ない。でも、窓の向うには、多くの愛すべき国民がいる。そして喚いている。「敬愛するダイアナが不慮の死を遂げたのに、何故イギリス王室は何もしないのか」と。

今まで正しいと守り抜いてきたものが、突如として脆く感じる。
国の為に、国民の為に、これほど傷つけてきた我が身に、もっと傷をつけろというのか。



ソフィア・コッポラ監督の『マリー・アントワネット』、アレクサンドル・ソクーロフ監督の『太陽』と同じように、『公人』と『一人の人間』の狭間で葛藤する、同じ血の通う『人間』の物語。第79回米アカデミー賞主演女優賞を獲得した、ヘレン・ミレン主演の作品。
その輝きも、その微笑みも、その気品も、全て国のため。全て国民のため。
でも、宮殿の中では、まるで鳥籠の中の鳥のよう。「全ては国の、そして国民のため」と自分を押し殺しながら生きてきた。周囲が、それは時として親族、親兄弟でさえ、そうなるように『作って』きた結果。しかし、それが今、刃となって自身の身を切り刻む。それは、時代の変化による様々な『変革』の名の下に襲い掛かる刃。
昨今のバレエや歌舞伎のように、これまでの伝統と格式を守りながら新しい息吹を取り入れる、というわけにはいかない。だって『存在そのもの』が『国の全て』を象徴するのだから。

イギリス国民が、イギリス王室の中で巻き起こっている苦難や苦痛が分からないのと同じように、きっと日本国民も、皇室の中で巻き起こっている苦難や苦痛が分からない。皇室関連の報道では、皆にこやかにとの時を過ごしているけれど、心の中まで、本当ににこやかなのかは分からない。

『公人』として生まれ、そして『公人』としてのみ生き、『公人』としてその生涯を全うする事が、どれだけの覚悟と対価を支払っているのか、それを知り、そしてこれからの『皇室』や『王室』のあり方を問い続ける一端となる作品だと思う。

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2008/01/04 11:57 | Comments(0) | TrackBack() | Review - Movie

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