とりあえず鑑賞し終えた後の感想としては、「既出感の激しい作品だったな」ということ。最新のテクノロジーを駆使した作品というのは、もう大概出尽くした、という感じでしょうか?
スティーヴン・スピルバーグ監督が、監督もしくは製作に携わった作品で、まず思い立ったものは、ロボットが感情を持ってしまう『A.I.』。それと現時点もさることながらプリコグの能力を駆使することによって未来までも監視してしまう『マイノリティ・リポート』。また、スティーヴン・スピルバーグ監督が直接関与していない作品として、ロボットが自律的な意思を持ち始め、人間社会を実質的に支配しようとする、ウィル・スミス氏主演の『アイ・ロボット』、果ては、今やライフラインまでコンピュータ制御となった盲点を見事に突き、人間社会を混乱に陥れるサイバー・テロを取り上げた『ダイ・ハード4.0』。
お世辞にも映画暦が浅い僕ですら、『イーグル・アイ』のモチーフに使用され、これまでにも登場した作品が出てくるわけですから、詳しい方であればもっと出てくるに違いないのでは、と思ったりもします。
そんな中でも、『イーグル・アイ』ならではのオリジナリティといえば、全く何も知らず、ほとんどと言っても差し支え無いくらい抵抗手段が無い登場人物が主人公、というところでしょうか。監視社会の前では、携帯電話の会話記録は勿論、監視カメラに映る自分の唇の動きですら全てお見通しにされてしまう。なのに、刑事でも捜査官でも科学者でも何でもない、ましてや心の準備すらも整っていない『ただの人間』が、一体どこまで渡り合えるのか。相手は、一切のスキをも見せない冷静で狡猾な、人間が生み出した悪魔の頭脳。予定調和のようにことが進む中で、『ただの人間』がどうやってその牙を剥くのか。正に、最後の最後、僅かなギリギリのラインまで翻弄されつくされています。
しかしロボットであれ監視システムであれ、本来ならば人間社会を、人間の生活を円滑且つ幸福にするためのシステムであるはずなのに、それが人間社会を脅かす存在になろうとは。更には、ロボットも監視システムも、両方とも「人間が作った存在」であるのですが。
両のシステムを作ったのは、操作しているのは、所詮はこれまでも不完全であり、これからも、果ては未来永劫不完全である人間であるのですから、両のシステムも、やっぱりずっと『不完全』なままなのでしょうね。もしどちらかが『完全』となってしまったら、その時こそ、人間の社会は本当に脅かされるのでしょう。
一応、日本社会は映画のように個人の全ての情報を国が強制的に管理し、国家安全保障のために強制的に駆使するような法律はありません。が、それもあくまで今のところであり、これから先はどうなるか分かりません。自分を守り、自分を信じられるのは自分だけ。そうなのかもしれませんが、それもそれでどこか寂しい気がします。
いずれにせよ、このような社会になることを望むか、もしくは否定し違う未来を作っていくか、僕達の心がけ次第、というところでしょうか。
とまぁ、色々と思いを馳せてみましたが、今作ばかりは、あんなカーチェイスを繰り広げたら、いくらなんでも死ぬでしょう普通、と思ってしまいます。これまでの作品の中で、最も多くの車が犠牲になったのでは、と思ってしまうくらい。
あと、日本の観光バスがちょっとではあるにせよ登場するのですが、日本人はあんな発音しません(バスガイドを除く)。見ず知らずの男がいきなりバスに乗ってきて、唖然とはしても挨拶まではしないと思いますが……。
スティーヴン・スピルバーグ監督が、監督もしくは製作に携わった作品で、まず思い立ったものは、ロボットが感情を持ってしまう『A.I.』。それと現時点もさることながらプリコグの能力を駆使することによって未来までも監視してしまう『マイノリティ・リポート』。また、スティーヴン・スピルバーグ監督が直接関与していない作品として、ロボットが自律的な意思を持ち始め、人間社会を実質的に支配しようとする、ウィル・スミス氏主演の『アイ・ロボット』、果ては、今やライフラインまでコンピュータ制御となった盲点を見事に突き、人間社会を混乱に陥れるサイバー・テロを取り上げた『ダイ・ハード4.0』。
お世辞にも映画暦が浅い僕ですら、『イーグル・アイ』のモチーフに使用され、これまでにも登場した作品が出てくるわけですから、詳しい方であればもっと出てくるに違いないのでは、と思ったりもします。
そんな中でも、『イーグル・アイ』ならではのオリジナリティといえば、全く何も知らず、ほとんどと言っても差し支え無いくらい抵抗手段が無い登場人物が主人公、というところでしょうか。監視社会の前では、携帯電話の会話記録は勿論、監視カメラに映る自分の唇の動きですら全てお見通しにされてしまう。なのに、刑事でも捜査官でも科学者でも何でもない、ましてや心の準備すらも整っていない『ただの人間』が、一体どこまで渡り合えるのか。相手は、一切のスキをも見せない冷静で狡猾な、人間が生み出した悪魔の頭脳。予定調和のようにことが進む中で、『ただの人間』がどうやってその牙を剥くのか。正に、最後の最後、僅かなギリギリのラインまで翻弄されつくされています。
しかしロボットであれ監視システムであれ、本来ならば人間社会を、人間の生活を円滑且つ幸福にするためのシステムであるはずなのに、それが人間社会を脅かす存在になろうとは。更には、ロボットも監視システムも、両方とも「人間が作った存在」であるのですが。
両のシステムを作ったのは、操作しているのは、所詮はこれまでも不完全であり、これからも、果ては未来永劫不完全である人間であるのですから、両のシステムも、やっぱりずっと『不完全』なままなのでしょうね。もしどちらかが『完全』となってしまったら、その時こそ、人間の社会は本当に脅かされるのでしょう。
一応、日本社会は映画のように個人の全ての情報を国が強制的に管理し、国家安全保障のために強制的に駆使するような法律はありません。が、それもあくまで今のところであり、これから先はどうなるか分かりません。自分を守り、自分を信じられるのは自分だけ。そうなのかもしれませんが、それもそれでどこか寂しい気がします。
いずれにせよ、このような社会になることを望むか、もしくは否定し違う未来を作っていくか、僕達の心がけ次第、というところでしょうか。
とまぁ、色々と思いを馳せてみましたが、今作ばかりは、あんなカーチェイスを繰り広げたら、いくらなんでも死ぬでしょう普通、と思ってしまいます。これまでの作品の中で、最も多くの車が犠牲になったのでは、と思ってしまうくらい。
あと、日本の観光バスがちょっとではあるにせよ登場するのですが、日本人はあんな発音しません(バスガイドを除く)。見ず知らずの男がいきなりバスに乗ってきて、唖然とはしても挨拶まではしないと思いますが……。
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