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2024/04/20 10:27 |
3秒に1人の現実
3秒に1人3秒に1人。


食べ物がない。水が汚い。
貧困で子供が死んでいく割合。
1分間に20人。1時間に1200人。今こうして何気ない日常を送っている最中にも、貧困で苦しむ子供達が、命を落としている。
「今日」生きることが出来ても、「明日」無事に朝を迎えられるとは限らない。
「今日」遊んだ友達が、「明日」息を引き取っているかもしれない。

「生きたい」という願いも、与えられた環境を前に叶うことなく、理不尽に踏みにじられていく。
いずれ襲い掛かる「死」の恐怖に、毎日怯えながら暮らしていく。
今日も積もりゆく子供達の遺体の山。何も与えることができず、虚しく炎に包まれ、天に召される我が子を看取る親達は、どんな気持ちなのだろうか。


人間は差別をする生物だ。卓越した「知力」を持った生物は、「何か」と比べて優越感に浸らずにはいられない。
地球に同じように命を与えられた生物に、自分達「人間」との差異をつけるのが正にそれだ。
そして、同じ「人間」の中でも、個々の差異をつけようとする。
その結果が「これ」だ。
「これ」が「現実」。


こういうイベントに参加する人に対し、「自己満足」「偽善」と罵る人間がいる。
だが、そもそも不平不満を言うだけで、「何もしない人間」に「偽善」と言われる筋合いは無い。
何もしなければ何も変わらない。
「変えられる力」はごく弱いものかもしれないけれど、「何か」をすれば、何かが変わるかもしれない。

「差別」をするのも人間だけど、「救いの手を伸べる」のも、人間なのだから。





「差別」が生んだのは何も「貧困」だけではない。
「テロ」もそうだ。しかもこれは貧困に比べてかなり歪んでいる。

自分達だけが正義。それ以外は全て悪。
自分達に従わないものは、破壊と殺戮を繰り返す。

人間は完璧ではなく、全て思い通りには行かない。だから人間は「救い」を求める。
それが「神」であり、「宗教」という形になる。
崇拝する神が違っても、法典の言語や価値観が違っても、「救いを求める心」は全ての人間が同じように持っている。
その「心」ですら「差別」を生み、様々なところで軋轢が生じる。
そしてそれは今に始まった事ではなく、「宗教」ができた時から生じている。それはこれからも続くのだろう。

自分の大切なものを守るために戦うのは重要だ。
だけど、誰かを傷つけずにいられるのであれば、それにこしたことは無い。


こんな理不尽なことのために、いつまで人間は血を流し続けるのだろうか。

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2005/07/09 09:36 | Comments(0) | TrackBack() | Diary

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