登山時に興奮状態が極限まで達し、恐怖感が麻痺してしまう状態
作家・横山秀夫氏の小説『クライマーズ・ハイ』の映画化作品。
1985年8月12日 18:56、日本航空123便羽田発大阪行きのジャンボ機が、群馬県の高天原山に墜落。死者520人、負傷者4人の、世界最大規模となる未曾有の航空機事故が発生。この作品は、その事故を追う地方新聞社の視点から見た物語です。
ですが、この作品の主眼、最も伝えたいことは、題名にもなっている『クライマーズ・ハイ』でもなく、題材でもある『日航機墜落事故』でもなく、『仕事に対する姿勢』にあると思います。自分に与えられた仕事を、自分に任された仕事を、どれだけ真剣に向き合っているか、どれだけのプライドをもって取り組んでいるか。必要ならば先輩上司は一切関係なくとことんまでぶつかり、また必要ならば土下座をしてでも推し進める。自分が取り組んでいる仕事に、どれだけの価値を見出せているかがポイントとなる作品だと思います。
ある意味『働きマン』と方向性は似ているのかもしれませんね。『働きマン』はコメディタッチですが。自分が打ち込める、プライドと自信をもって取り組める仕事を前にすると、頭に麻薬か何かが流入されたように感じ、それ以外のものが見えなくなる。それでも自制できればいい方。時に暴走し、仕事仲間は勿論、友人や家庭にまでその暴走が波及し、いずれ崩壊へと導く。自分と周囲の関係だけでなく、いずれ自分自身さえも……。
そして時として自分の熱意は誰かからの嫉妬や反感を買う。非効率な前例主義を貫き通す上司陣も然り。自分の熱意の結果が全て押し通せるとは限らない。どんな仕事でも、一つの側面だけで遂行できるわけではないから。同じ新聞社に勤めているのに、同じ新聞を作っているのに、部署によってその見方・捉え方は全く違う。妥協すれば許されるのか? 自分が本当に掲載したい、読者に伝えたいことを捨ててまで? 全てを叶える魔法のような方法はありはしません。プライドとプライドのぶつかり合い・鬩ぎ合い・削り合いが、仕事を面白くもし、また厳しくもしていくのではないのでしょうか。
『短期間のバイトで高額報酬』『同じ労働量なのに正社員と派遣社員には大きすぎる格差』 等々、様々な仕事に対する謳い文句や社会現象が闊歩している現代。確かに報酬や賃金は生活していく上で大切ですが、同じくらい、仕事に対するプライドをどれだけ持てるか、どれだけ保てるかがも大切ではないかと思います。今自分が携わっている仕事が、どれだけ大切か、どれだけの熱意とプライドを持って突き進めて行くべきか、そういったこと考えさせる作品ではないかと思いました。
日航機墜落の事故は、照りつける暑い太陽の下で発生した、もはや悲惨と形容することもおこがましいくらいの大事故。この夏もまた、多くの遺族の方々が慰霊に訪れることでしょう。
ご冥福をお祈り申し上げます。
広い敷地にズラリと並ぶ、蒸気機関車から通勤電車、新幹線までの実物の車輌の数々。普段目にすることはあまり無いけれど、鉄道の運行を支える数々の部品群。日本に鉄道がもたらされてから現在に至るまでの歴史を刻む資料。日本最大の模型鉄道ジオラマ、体験学習やミニ運転列車などなど、子供が決して暇しない仕掛けが目白押し。特にヒストリーゾーンは実物の車輌が軒を連ねているだけに、死角が多くまるで迷路。お子様が迷子になること請け合いです。
また、一部を除いてこの博物館の展示物は撮影可(さらその一部はフラッシュ不可)。なので、お子様連れの家族や鉄道マニアの方々がこぞって撮影に夢中になり、その周囲にはいかにも「早く終わらせてよ! 次は私たちが撮りたいのに!」と無言の圧力を体内から滲み出しながらイライラしている方々も。電車内では譲り合いの精神を持たせても、こと博物館内ではそうはいかなそうです。気持ちは分かりますが……。
車輌の外観の鑑賞はもとより、車輌の内部にも入ることもできます。さらにはそこでお弁当を広げて、鉄道旅の気分を味わうということも。わりと乗り物系の展示物は、蒸気機関車などのレトロを通り越して滅多にお目にかかれないものに目が行きそうですが、その他にも、日本の鉄道にはこんな車輌も活躍していた、ということを魅せる上でいいと思います。
2階に上がり、鉄道史を作り上げた数々の貴重なコレクションを見てから、鉄道模型ジオラマへ。
このジオラマ、僕の個人的な感想ですが、お子様向けです。日本最大規模であること、ナレーション付き運転プログラムでは早朝から深夜までの時間軸に沿った演出を施している等、これまでのジオラマに比べ趣向を凝らした展示となっています。が、やはり大人が見ると、「おー、電車が動いてる動いてる、山間部を通過してるー」と思うくらい。一番興奮していたのは、やはり一番前の席に座っているキッズ達でした。しかもプログラム前には、係りのお兄さんに「騒がない、終わるまで静かに座っている。約束できるかなー?」「はーい!」と元気よく挨拶していたのに、プログラム開始5分くらいで感動の感嘆。そして動く模型を追って場内を駆けずり回り。まぁそれくらいは予想できていたし思ったより静かでしたので気にも止めませんでしたが……。
ラーニングホールやミニ運転列車は、子供向けの体験コーナー。特にラーニングホールは国立科学博物館の実験スペースの鉄道版といったところでしょうか。何故鉄のレールに走らせているのか、何故カーブを走れるのか、ブレーキをかけるポイント、等々。
というわけで、大人だけでも楽しめるところも確かにありますが、大半はやはり子供向けの展示や企画が多く占めていました。
しかし前述の通り、特に1階のヒストリーゾーンは実物の車輌を展示しているので、死角と迷路になっています。それぞれ鑑賞のペースがありますから、あっという間に仲間とはぐれてしまうでしょう。予め、待ち合わせ場所を決めた方がよさそうです。
それでも、全館見て回るのに2時間~2時間30分。体験コーナーに触れると、3時間は余裕で越えるでしょう。それだけ、沢山の車輌や部品、そして技術によって、日本の鉄道が支えられてきた、というわけですな。
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残業の労いのため、肩叩きをする。
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肩叩きの振動により、キーボードを打つ手がブレる。
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タイプミスが大量に発生する。
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結果、怒られる。 orz
折角の慰労が全くの無駄になった瞬間。但し嫌がらせには絶大な効果を発揮。
日光山輪王寺から入り、日光東照宮、日光二荒山神社、家光廟大猷院へ参拝した後、神橋へ。
いやはや、流石と言うべきでしょうか。観光客の散財のさせ方は。
これまでにも色々なところを旅して、ご当地の神社仏閣をお参りしてきましたが、日光の社寺以上にお金を費やさせることに長けている神社仏閣は、見たことがありません。だって凄いんですよ。『ここでしか売られていません!』という謳い文句がそこかしこにビッシリ! 何しろ同じ日光東照宮の中ですら、拝殿で販売されているものが拝殿以外の境内とかでは取り扱っていなかったりとか、なのですから。
しかし敬虔(?)なる参拝客からの貴重な収入源。世界遺産としての名に恥じぬよう、保存や修復に使っていただきたいものです。心から切に。
そしてやはり世界的に有名な社寺。時差ボケなんぞ我には存在しないと言わんばかりに、多国籍のお客さんがわんさか。それも朝早くから。まだまだ日本人観光客の方が多いですが、人口比率は刑務所のそれと肉薄しているのではないかというくらいの、海外からいらっしゃった方々でいっぱいです。
アメリカ、ヨーロッパからいらっしゃった方々は勿論のこと、中国、韓国からいらっしゃった方々も(何を喋っているのかは分かりませんが、言葉の発音で何となく分かります)。これだけ多国籍になったからなのか、路線バスの案内も、普通の日本語に続いて、英語・中国語・韓国語の放送が。世界遺産に登録される、ということは、もう日本人だけのものじゃないのね、と思い知らされる瞬間です。良くも悪くもですが。
あくまで日頃の疲れを癒すための旅だったのですが、思わぬ色々な発見ができた旅でした。特に『日光の社寺』は、世界遺産に登録される前と、された後の両方を見ているため、見た目は変わっていなくても、取り巻く雰囲気がやはり変わっていると思いました。
『観光』と『遺産』というのは、本来は相反するもの。両立は出来なくは無いが、それにむけての努力は非常に難を極める。観光資源として活用しつつも、遺産として遺す方法を探っていくのは、容易なことではありません。
それは、奥日光の自然も同様。戦場ヶ原をはじめとする湿原は、ラムサール条約に登録された極めて貴重な自然遺産。そこにも、環境破壊の魔の手が押し寄せているのだとか。
どちらにしても、登録がゴールではない。登録されたことで満足してはいけない。未来に遺す為の必要な努力は、始まったばかりである。自然と文化が生み出す神秘は、見る者にそう思い起こさせます。。
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日光は今回で三度目。一回目は小学校の修学旅行で、二回目は大学のサークルのイベントで。どちらも(僕の苦手とする)集団旅行であり、あらかじめ組み込まれたプログラムでの旅行でしたので、自分だけの自由気ままな旅というのは、今回が初めてです。
そして電車で日光も初。これまでの交通手段は両方ともバスであるため、東京から僅か2時間で日光に到着できるというのは、ちょっと意外な気分になったりもしました。それでも首都圏範囲内なんだよな、日光。
日光の観光の季節というと、真っ先に思い浮かぶのは紅葉の季節。
いろは坂や中禅寺湖が、真っ赤に染まる景色は、もうこの世のものとは思えないほどの絶景。誰しもが息を呑むに違いありません。まぁ別の意味で息を呑んでしまうかもしれませんけれど。野生の猿の強襲とか(全ては無為に餌をやり過ぎた人間の業なんですが…)。
しかし、新緑の日光も劣らず格別です。何と言っても空気がおいしいし、戦場ヶ原をはじめとする湿原には、この時期特有の高山植物がいっぱい。しかも、同じ『戦場ヶ原』を歩いているはずなのに、少し足を進めると、眼前に広がる光景が違って見えるのです。柔らかな木漏れ日が差し掛かる林を歩いたら、開けた湿原に遥かに見える男体山、植物も徐々に移り変わり、深く暗い森の中へ。まるで天然の植物園。
そして、やはりこの時期は紅葉の時期に比べて人が少ないのが幸いしてか、戦場ヶ原のハイキングは、ほとんど独り占め状態。竜頭ノ滝から湯滝までの、約2時間30分を歩きましたが、すれ違ったハイキング客は、ほんの20~30人程度。聞こえるのは自分の足音くらい。自分以外の人工物は無きに等しい状態。別世界に来たような気分を味わうことが出来ます。
しかしやはり高山地帯では、急激な天気の移り変わりは常に付きもの。到着したときは雲が僅かしかない晴天でしたが、徐々に霧がかかり、空は雲に覆われ、大粒の雨が降り始めました。森を歩いていると、途中途中で幹からパッキリ折れた大木を見かけます。それも何本という単位ではなく何十本と。恐らく、落雷が激しい地区だと思います。
とはいうものの、梅雨の時期の旅行ですし(落雷はともかく)雨は既に予想済み。それに、雨に濡れた、暗く静かな日光の幻想的な景色というのも、日光の観光ガイドブックとかには無い一つの側面を見ているような気がするのです。
が。
高山地方の霧、少々甘く考えていたところがありました。だって霧に隠れて華厳の滝が見えないのです! ただでさえ水飛沫が激しい華厳の滝なのに、3mより先は全く見えない濃霧が手伝って、もはや「どこに華厳の滝が?」という状態に。大瀑布ならではの音は聞こえるんですが……
日光自然博物館でしばしの雨宿り。雨と霧が晴れてきた頃、華厳の滝へ再チャレンジ。しかしやはり上からの景色は未だ濃い霧で全く見えず。一方、エレベーターを降りて正面からの眺めは、どうやらモニターで確認できるらしい! 小学生の修学旅行にも華厳の滝は行きましたが、モニターなんてなかったのに! 時代の移り変わりをしみじみとかみ締めつつ、いざ滝の正面へ。まだ霧が濃く残ってはいましたが、それでも、雄大な滝の姿を真正面から見ることが出来ました。
華厳の滝にしても中禅寺湖にしても、霧のかかった姿は幻想的な雰囲気を醸し出していましたが、霧が濃すぎると何が何だか全く分からなくなって、魅力激減……。
それでも終日霧がかかっているわけではありませんし、しばらくしたら晴れてきましたので、幻想的な景色を愛でるならば、絶好のタイミングが必要そうです。
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