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2025/08/18 10:19 |
[Review] 不都合な真実
不都合な真実あんたら人間ですか?

『サリドマイド被害』と言うのをご存知ですか? それとも、覚えていらっしゃいますか?
当時の西ドイツの製薬会社が開発した催眠剤で、副作用も少なく安全な薬として謳われ、世に出されてきました。しかし、妊婦の方が服用すると、胎児の四肢に発育不全が生じ、所謂奇形児が多く産まれるとして問題化されておりました。
これは、開発国の西ドイツだけでなく、カナダやイギリス、そして日本でも同じ問題が発生しましたが、当時の日本の法務局に人権侵害として訴えても、当局は問題を放置したも同然。「人権侵害の事実はない」と結論付けました。そういった国と製薬会社の対応に被害者が憤慨、賠償請求問題にまで発展し、当時の子供達が、被告に対して言った言葉がこれです。
『サリドマイド被害』はテレビで見ただけなのに、僕はこの言葉を、今でも耳に残って離れません。それだけ、衝撃的な言葉でした。

提訴してから10年以上、製薬会社及び国との和解が成立しましたが、それでも、手や足が元に戻るわけではない。現代医学では、四肢を移植して正常な状態にする術はありません。たとえ和解が成立しても、失ったものは、もう元には戻らないのです。


あの時、こうしていれば良かった。

有史以来、人間が幾度と無く繰り返してきた後悔。万人に共通する癖。目の前に広がる大問題や大災害を目の当たりにして、ようやく目覚める。「あの時、正しい選択をしていれば」。でも、もう遅い。失ったものは、もう二度と返ってこない。
戦争で失われた命も。人権問題で引き裂かれた愛情も。そして、環境問題で失われた掛け替えの無い自然も。

『不都合な真実』は、言わばアル・ゴア氏の講演内容をそのまま映像化したものですが、その映像は、もはや背筋が凍りつくものばかり。「環境問題は遠い世界で起こっている」なんて、もう考えられなくなっています。もう既に、身近なものになってきています。これまで考えられなかった自然災害が、まるで地球の怒りの如く、人間社会に襲いかかってきたから。
それにも関わらず、何故政府は動こうとしないのか? やはり何といっても、人間のうちに秘めている『傲慢』以外にも何物でもないでしょう。人間は得てして、自分が今まで行ってきたことを正しいと思うもの。正当化しようとするもの。自分の『非』を認めようとしないもの。人間が持つ『プライド』が邪魔をして、目の前の問題を直視しようとしない。更には「大したこと無い」と突っぱねる。
そうやって自分の行為を『正当化』している間にも、諸問題は刻一刻と拡大していっているのに。

環境破壊は、ただ失うだけでなく、新たに生まれるものもある。
それは、汚染物質。新種の病原菌。新たな生態系。上昇する海面。etc...
どれをとっても、人間社会を脅かす。でも全く無意味なものではない。「何とかしなければ」。人間をその気にさせるきっかけになる。


それらの真実を目の当たりにして、あとは私達が、何を考え、どのように行動するか。
つまらない『プライド』に縋り付いて、何もかもが壊れていく様をただ座視しているだけなのか。
これまでの自分を見直し、地球の為に、ひいては誰かの為に少しずつでも行動していくか。

人間社会の『テラフォーミング』は、今始まったばかりです。そして、これからも未来永劫、続けていかなければならないことだと思いました。

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2007/08/30 21:01 | Comments(0) | TrackBack() | Review - Movie
お金で買えない価値がある

新ビジネス“謝罪屋”が登場、複雑化した社会が背景か―安徽省合肥市


新ビジネスが続々と登場する中国。レコードチャイナでもこれまでに病院の番号札を売る“並び屋”、老人相手におしゃべりをする“公園ホステス”などをお伝えしてきたが、今度は人の代わりに謝る“謝罪屋”がお目見えした。

2007年8月、安徽省合肥市である会社がこんな広告を出した。「都市生活には様々な矛盾が付き物。人間関係でトラブルが起きたが謝りづらい、謝りたいがどう切り出せばよいかわからない…そんなあなたに代わって私たちが謝ります」。

謝罪方法は花を贈る、カードを送る、手紙を出す、旅行をセッティングする、相手の指定場所に謝りに行く…など。気になる代金は80元(約1280円)からで、謝罪にかかった時間、労力、トラブルの複雑程度、謝罪回数などによって割り増しとなる。これまでに恋人、親子の仲直りから、企業同士のトラブル解決まで多くの人が利用しているという。



こんなビジネスを考えつくなんて、さすが中国!」なんてひやかす輩もいるようですが、日本にも『1文字5円で卒論代行』なんてあるくらいですから、決して他人事ではありません。

僕自身としては、何も知らない赤の他人に謝られても嬉しくないし、ましてや他人に謝らせるなんて言語道断。勿論、うまい謝り方、TPOを効かせた謝り方というものもありますから、他人の意見を参考にすることはあっても、最終的に謝るのは自分です。その方が、自分も、そして謝られる側もすっきりするでしょうし。


お金で買えない価値がある』。正にその通りだと思います。
色んなモノやサービスがお金でまかなえる時代になりつつある。でも、どんなにお金を出しても買えないものだってある。
「あの時、安易にお金で解決なんてしなければよかった」なんて後悔しないように、出来る限りのことを、やっていきたいと思います。

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2007/08/27 12:57 | Comments(1) | TrackBack() | Diary
[Review] 善き人のためのソナタ
善き人のためのソナタ日本国憲法第21条 『結社及び表現の自由と通信秘密の保護』
 1.集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、
   これを保障する。
 2.検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを
   侵してはならない。


今でこそ日本でも『戦争反対』等を声高に主張できますが、これが戦前だったらどうでしょうか。日本史を学んだ方ならご存知のように、『非国民』というレッテルを貼られ、社会的な迫害を受けてきました。
『全ての国民は同じ方向に向く』ことが、むしろ『向かせる』て『統制する』ことが本来の目的。それに逸脱するものは、誰であっても罪を与える。それが、皆が羨む自由な発想であったとしても。

メディアやコミュニケーションツールの一つとして、インターネットが台頭し、今や携帯電話のような小型端末でも、簡単に大量の情報が入手できる時代。同時に、目に見えない、耳に聞こえない関係の確立が、『本音』のコミュニケーションが容易になりました。いい意味でも悪い意味でもですが。
それでも、多かれ少なかれ情報の多くは『統制』されています。国の思惑としてあるべき方向に国民が向かうように。それに反する情報は、たとえ正論を主張したものであっても、時には徹底して排除したり。社会主義国家はもとより、自由主義国家でも見られる現象。

それでも、人の心を動かす自由な発想を止めることは出来ません。
それはやがて、大きな力となり、『自由な発想』の抑制に動いていた者でさえも、心を動かすことになる。


時代背景や場所は全く違いますが、『麦の穂をゆらす風』と同じような印象を受ける作品です。『麦の穂をゆらす風』は、世界大戦後の『自由なアイルランド』を獲得するための人々の奮闘、『善き人のためのソナタ』は、かつて社会主義国家であった1980年代の東ドイツ内の、自由な発想を持つ芸術家達の奮闘を描いています。
そして、どちらの作品も、真の『自由』を得るために、真の『自由』と引き換えに、掛け替えの無い大切なものを失っていく。誰もが喜びに満ちるはずなのに、その代償はあまりにも大きく、身も心も大きな穴を残す。
そう考えると、きっと、僕達が今享受している『自由』も、誰かの大切なものが引き換えになって得られたものかもしれません。そう思うと、連日報道される、その『自由』を『利己主義』に穿き違える人たちを見ると、あまりにも悲しく思えてきます。『自由の礎』のなって朽ちていった彼らがもし今の時代を見ていたら、こう思うでしょう。「私達があまりにも大きい対価を支払って得た『自由』は、こんな社会を作るためじゃない」と。


これらの映画が真に訴えたいことは、ありのままの史実だったり、フィクションであれば当時の抑圧された社会情勢下に置かれた人がどんな気持ちだったか、ということもあると思いますが、それと同じくらい、いやそれ以上に、「今享受できる『自由』が、如何に犠牲を伴ってきたか」ではないかと思います。
身も心も大きく羽ばたかせる『自由』。でも、その言葉の裏に潜むものは、あまりにも重く圧し掛かる。それを、今一度かみ締めていこうと考える作品です。

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2007/08/26 16:31 | Comments(0) | TrackBack() | Review - Movie
天国からのメッセージ

僕のマイミクの方の日記に、面白いものが掲載されておりました。
その名も、『
天国からのメッセージ』。

かの有名(?)な『
脳内メーカー』と一緒で、名前と性別、生年を入力すれば、未来の天国にいる自分からの手紙が来て、死ぬまでの簡単な回顧録が読める、というものです。
一種の簡易的な占いみたいなものですので、肩肘張らず、気楽に楽しみましょう。

で、僕(本名)の結果はコチラ↓



2007年の僕へ。
元気ですか?2007年ごろの自分のことを懐かしく思い出します。
僕は75歳で、つまり西暦2054年に、寿命を全うして生涯を終えます。振り返ってみると、良くも悪くも、自分らしい人生だったと満足しています。
だたひとつだけ過去の自分に、つまり今のあなたに伝えておきたい事があります。それは 2009年のある寒い日の出来事です、僕は頼みを断れなかったことが理由で、ロシアのモスクア郊外にある小さな街にでかけることになります。そこで人生のクライマックスといえる出来事が起こります。時がくればわかると思います。
最後にひと言、75年間生きてみて思ったのは「ダイエットなんてするもんじゃない」ってこと。といっても、今のあなたには判らないかな。
では、また。
残された人生を思う存分味わってください。


Cyber(本名) - 2054年の天国にて



えーっと。
どうやら2年後に、何とモスクワ郊外の小さな街で人生のクライマックスが起こる、とのことですが。

今の生活と仕事と照らし合わせても、どこでどう転んだら2年後にモスクワなのか分からないよママン!


しかし、75歳というのもそこそこいい歳まで生きられるのですね。健康に暮らしていれば、まだまだ足腰が頑丈そうな年齢です。

ちなみに、ハンドルネーム(Cyber)で試してみたら、やはり『2009年が人生の分岐点』的なことが書かれておりました。
2009年…… 自分にとってどんな年になるのでしょう。何気に楽しみです。

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2007/08/20 01:39 | Comments(0) | TrackBack() | Diary
もしタイムマシンがあったら
もしタイムマシンがあったら、どの時代に行きたいですか?

  平安時代の宮中へ行って、豪華絢爛な貴族の生活を満喫する?
  戦国時代の城や戦地へ行って、名将の辣腕振りを堪能する?
  科学技術の頂点を極めた、未来都市に行ってみる?
  それとも、あの時の過ちを直すために、ほんの少し過去に行ってみる?

きっと、色々な考えをお持ちの方がいらっしゃると思います。中には、一つの時代だけでは満足できず、色々な時代に行きたいとお思いの方もいらっしゃるのでは。かく言う僕も、色々な時代に行きたくて、もしいくつかある候補のうち一つしか行けないとしたら、向う数日間は悩んでしまいますが(笑)。

魅惑的な時代もそうですが、こんな時代も頭によぎりました。それは『戦時中』。1940年代前半から半ばにかけて。


この時期、日本各地で戦時中に起きた悲惨な想い、苦しい想いが、次の世代へと語られます。その両眼に今でも焼きついている悲惨な光景。その両耳に今でも劈く悲鳴や怒声。その鼻に今でも残る焼けた死体や硝煙の匂い。
その身体で感じとり、そして克明に刻まれた傷跡。体験した人から、次代へ、後世へ。延々と、そして脈々と続く戦争の記憶。けれど、戦時中の傷跡と記憶を持つ人は、時を経るにつれて一人、また一人とこの世から去っていく。残ったのは、語り継がれた記憶と、残された文献だけ。それも100%ではない。
少しずつ色褪せ、薄れていくだろう。それでも、戦争の脅威を、戦争が奪ったもの・残したものを受け継いでいかなければならない。

戦争の本当の恐怖は、その身に戦争の恐怖を刻んだ者にしか分からない。そう思うと、少し不安になります。果たして僕たちは、後世まで戦争の悲劇を語り継ぐことが出来るのか、と。
あと数年経てば、戦争を体験した人は、全員この世からいなくなってしまう。戦争を知らない僕たちだけでは、きっと説得力に欠けてしまう。彼らが受けた苦しみは、全てを伝えることができない。


戦争の本当の悲劇を世界中に知ってもらうために、現地の写真を撮影する

ある紛争カメラマンの言葉です。
自ら戦地へ赴く。戦地の悲劇を世界中に知ってもらうために。
たぶん、生半可な覚悟では務まらないことでしょう。興味本位で戦地に近づけば、瞬く間に命を落とすだけ。それでも現地で、その目で、その耳で、その身体で感じとらなければ、本当の悲劇は伝わってこない。伝えることが出来ない。


この文章を書いている瞬間、タイムマシンに乗って『戦時中』に行くことが、本当に後世に伝えていくだためになるのか、またそれだけの覚悟があるのか、自分で自分に問い質しています。
間違っているのかもしれません。だって先人達の願いは、「子孫には二度と戦争の苦痛を味わわせたくない」ことだから。

一人、また一人と当時の語り部がこの世から去る中で、薄れゆく記憶を、実感のない苦痛を、どう未来へ継承していくか。これからも考えていきたいと思います。

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2007/08/15 21:30 | Comments(2) | TrackBack() | Diary

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