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2025/02/03 04:06 |
[Review] 20世紀少年 最終章 - ぼくらの旗-
20世紀少年 最終章 - ぼくらの旗-子供の頃受けた、ほんのささいないたずら心のいじめ。大人になれば、それは些細なこととして片付けられたとしても、当時の繊細な心であれば、その傷の深さは幾許か知れない。やがてその傷は大きく増長し、歪んだ世界観を形成していく。そしてその世界観は、『自分を傷付けるものは全て拒絶する』、『自分を中心とした、自分に忠誠を誓う者しか相容れない』世界となっていく。
けれどそれは、全てを拒絶する世界となっていることに気付いていないのだろうか。いや、本当は気付いているのだろう。でも、そうだと知っても、止めようとはしない。『自分』という『殻』に閉じこもった世界でしか生きられないから、その『殻』を作ったからには、維持し続けるしか、もう術を知らない。その他の方法など、知ろうともしないのだ。彼の、『ともだち』の強大な影響力を目の当たりにした人たちには、彼の考え方に同意出来ない者も多いだろう。でも、何故それを止めないのか。彼の強大さに恐れ慄いたのか。彼の考え方のあまりにも稚拙さに、あきれ果てたのか。
いや、彼らは知っているのだ。『ともだち』を止めなければならない、と。でも、止めようとしない。誰かに止めて欲しいのだ。一度、『ともだち』から受けた恩恵に酔いしれてしまったから。酔いしれてしまった責任を、自分で負いたくないのだ。

色んな人が、それぞれ考え方は違っていても、目的は一つ。「『ともだち』を止めなければ」。そんな中で、一度は自分の無力さに嘆き、もがき、悲しみにくれながらも、自分のやり方で『ともだち』を止めようとする男がいた。その男も、「『ともだち』を止めなければ」という考えを持つ者だった。
でも、彼が他の人とは違う考え方を持っていた、それは、「始めたものは終わらせなければならない」。それがどんなに些細なことでも、子供じみた遊びでも、いつかは終わる。いつかは終わらせる。『ともだち』は、自分の作った殻に永遠というほどの時間に閉じこもることを望んでいる。それでも、終わらせなければならない。その後に、どんな結末が待ち受けていようとも     


で、感想ですが……

2作目に続いてやっぱりですかというのがどうしても。。。 orz

2作目に続き、展開はあまりにも早すぎて中途半端感は否めず、何か知らない間にラストに行ってしまったような、そんな印象を受けました。印象に残ったところはどこか、というと、やっぱりラストの部分かなー、という感じで。2作目と異なり、主人公級の人物が色々なところを行ったり来たりすることは少なくなりましたけれど。
そんなこともあって、この映画が公開される前に「原作とは異なる展開!」とありつつも、その恩恵があまり受けられず。ここまで書くと踏んだり蹴ったりなのでこのへんまで。

ただ、映画の中と分かっていながらも、演出だと知りながらも、やっぱり『歌の力』というのは人をこんなにも元気づけてくれるんだな、と思いました。「人類を、未来を救う」だなんて御大層なごたくを並べなくても、悪に対抗するだけの絶大な力を身につけなくても、人を感動させる、人を引き付ける力を身につけることができる。そんなことを思う作品だと思います。

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2009/09/05 17:36 | Comments(1) | TrackBack() | Review - Movie
[Review] ハリー・ポッターと謎のプリンス
ハリー・ポッターと謎のプリンス『ハリー・ポッター』全7章を、起承転結に表すのであれば、この6作目は正に『結』の部分の始まり。
様々な人との出会い、そして別れ。たとえ強力な魔力と宿命を宿すとはいえ、彼はまだ成人していない少年。その魔力と宿命を背負うには重すぎる。しかし、それであるが故に、彼の周囲は、彼が逃げたり背いたりすることを許さない。懸命に、彼が背負わなければならない『魔力』と『宿命』から守ろうとしたけれど、次々と襲いかかる魔の手と、大切な存在を次々と失い続けるこの状況であれば、もはや彼自身も、逃げるわけには、背を向けるわけにはいかない。
戦わなければ。
これまで、数多くの人が、彼のために命を賭けて戦い、そして死んでいったのだから。
ヴォルデモートは、遂に、その姿を衆目の面前に曝したのだから。

この、凶悪で、滅ぼそうとも蘇ろうとする、完璧ともいえる魔王を倒すための、唯一の手掛かり。
ホークラックス。
これまでにも幾つかのホークラックスを破壊したが、それでも、この魔王の完璧さを揺るがすには程遠い。
禁断の術『ホークラックス』は、一体いくつあり、どこにあるのか? 誰が所持しているのか? 見つけても、破壊する術はあるのか?
けれど、今はそれしかない。こうしている間にも、魔王とそれに追従する者たちの魔の手は、魔法の世界にも、普通の人々の世界にも席巻しているのだから     


なーんて、まじめに書いてみましたが。

半ばギャグ映画になっていました。

それもそのはず。登場人物の大半が、異性を気にするお年頃。これまで気にもしなかった人でさえ、遠かれ近かれ、見るとドキドキする、声を聞くとドキドキする、その人の夢を見ると、朝、パンツに白いたんぱく質のシ(以下自粛)。
ある意味、主要人物(とりわけお騒がせトリオ)の、大人になっていく心の動きが明瞭に出ている作品になっていると思います。しかし、相変わらず濃い内容を約2時間半にまとめたわけですから、スタッフの皆様方の心意気たるや、お察しいたします。


とはいえ、やはりこの作品が、いわゆるクライマックスの幕開け。強力な魔力を持つ者たちによる、それぞれの運命を背負った戦い。
誰もが逃げ出したくなるような宿命であっても、それでも時間は、邪悪なる存在は待ってくれはしない。最終章、それぞれがどのような想いと決意を胸に、宿命に立ち向かっていくのかが見ものです。

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2009/07/25 17:27 | Comments(0) | TrackBack() | Review - Movie
[Review] 劔岳 点の記
劔岳 点の記人間の生活を切り詰めに切り詰めて考えると、この世に存在する仕事のほとんどは、あまり、というより、全くと言っていいほど意味をなさない。今の仕事をしていると、時々そう思う。客観的に見れば、必要のない仕事だからだ。生産性も無く、ただ、経費を削ぐだけ。
それでも僕は、今の仕事を誇りに感じるし、これから先も続けていきたいと思う。それまでは、今の仕事に対する結果に満足していただいているお客さんの存在があった。でも、今は違う。同じ道を選び、共に歩んでくれる仲間がいる。たとえ世界の大多数が無意味と決めつけても、僕たちの仕事に意味を与え、評価してくれる人たちがいる。
そういう人たちの存在が、これまで僕を形作り、そして、今の僕がいる。この人たちの存在は、たとえそこに金銭のやり取りやメリット・デメリットが無くても、ただただ、感謝するばかりだ。

でも、社会はそういった人たちばかりでないから、時には苦痛も感じるし、屈辱も感じる時がある。誰が決めたのか分からない、目に見えるわけでもない、それでも人は、何かを縛りつきたがる。何かに縛られたいと思っている。それに意味があるのか、それさえも分からないまま。
それは権力の象徴。人が人として、動物として、何かの優位に立ちたいと思わんばかりに誇示するもの。本来、誰かを幸せにするためのものでさえ、権力の前には苦痛となる。

縛りつけられれば縛りつけられるほど、人は、今自分が成している、成そうとしていることに疑問を持つ。一体これが、誰に、どんな役に立つのだろう、と。特に、前人未到の仕事をなそうとすると、その色が一層際立って濃くなる。きっと、自分独りだけではつぶれかねない。
そして、迫りくる苦行や困難。単なる人間の営みだけではない、眼前に広がるのは、人間がどんなに努力を重ねても決して追い抜くことができない大いなる大自然。穏やかな時は、ほんの一瞬だけ。自然は常に、それに挑みかかる者に対して容赦無い牙をむく。

それでもその大自然に立ち向かおうとする意志と熱意は、一体どこから出てくるのだろう。きっと、独りでは決して成しえない。共に行き、共に頂へ登らんとする仲間がいるからこそ、成しえることに違いない。それが、どんなに前人未到の偉業であろうとも。


僕が今携わっている仕事は、独りの時でも別に何とも思わなかった。その仕事そのものが楽しくやれたからということもあるのだろうけれど。でも、ふと脳裏によぎることもある。「このままずっと、独りなのか」と。
それだけに、共に歩む人たちができたというのは、何物にもまして掛け替えのないものだった。失いたくないと思った。無理に気負うつもりはないけれど、これまで一層頑張りたいと思うようになった。自分のためにも、その人たちのためにも。

これまでも、これからも、誇りを持てる仕事と、それを共有できる仲間がいる、ということを、ずっと大切にしていきたい。そう思える、珠玉の一作だと思う。

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2009/06/21 18:26 | Comments(0) | TrackBack() | Review - Movie
[Review] 天使と悪魔

天使と悪魔『ダ・ヴィンチ・コード』の続編となる本作(原作は『天使と悪魔』の方が先で、主人公は同じだが作品としては別個)。

宗教の弾圧によって抹殺された秘密結社『イルミナティ』が、宗教に対し復讐を図るために復活。コンクラーベの最中に次代の教皇に選ばれるはずの枢機卿を次々と攫い、猟奇的なまでの殺人を繰り広げる。この殺人劇を企てた者の影には、教会の科学に対する軟化を忌み嫌い、独善的なまでに宗教を守り、宗教の優位性を謳っているが、その者自身の存在そのものが、科学の恩恵の賜物であるとは……
というのが原作の流れで、科学と宗教がこれまでにどれだけ対立していたか、というより、科学も宗教もどちらも人間の営みを探求するために生み出された存在で、これまでの人間の進化を促すために、両方必要である、ということが描かれています。

それに対し、原作の映画化となった本作は、『科学』と『宗教』の対立ないし両立という要素はほとんど感じられず、サスペンス・スリラーに絞ったと作品に仕上がったと思います。前作『ダ・ヴィンチ・コード』は、冒頭で殺人事件が発生したにもかかわらず、いつの間にか『聖杯』の存在の有無の謎解きに走ってしまった感があるので、サスペンス色はあまり感じられず、急ぎすぎた作品である、ただその一言に尽きてしまったのです。
ですが、『天使と悪魔』は時限爆弾式のサスペンス・スリラー。予告された時間に枢機卿が殺され、更に時間内に解決しなければ、ヴァチカンに仕掛けられた反物質によって大爆発が引き起こされる。そうやって謎を解きながら解決していることすら、黒幕の手の内であることも知らずに……
『天使と悪魔』も、やはり展開の速すぎる作品なのですが、その展開の速さが、むしろサスペンスの色を一層濃く見せています。「ゆっくりと細かく理解しよう理解しよう」としている間に、次の殺人が起こる、反物質による爆弾の期限が迫っている、というところが、鑑賞している側をより一層焦燥させます。本作は、原作を読んでいても面白い作品だと思いました。勿論、原作を読んでいない方が一層面白いのではないかと思います。


個人的に残念だったのは、原作で描かれた、黒幕となる存在のバックグラウンドの説明と、猟奇殺人の計画に及んだ動機が弱すぎる、ということ。そして、それに対するヒロイン、ヴィットリア・ヴェトラが切る啖呵。
他にも、原作には登場していた何人かの人物が、宗教家なのに科学によって救われた、宗教家であるが故に科学を受け入れられず、逆に不幸な人生を歩む結果となった、など、多かれ少なかれ『科学』と『宗教』の間で翻弄された人物が様々登場します。
『科学』と『宗教』は、決して相容れられない存在なのか、それともお互いを補い合える存在なのか。胸を打つ瞬間もあったけれど、映画ではそれが無かったのが残念です。サスペンス・スリラーに絞ったが故の結果かもしれませんけれど。。。

しかし、原作を読んでいる際もそうでしたが、映画作品を観て、ますますヴァチカンに行ってみたくなりました。勿論、謎解きの理屈抜きで、純粋に芸術作品や教会の鑑賞・観光ですが。

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2009/05/16 23:15 | Comments(0) | TrackBack() | Review - Movie
[Review] バーン・アフター・リーディング
バーン・アフター・リーディングたった1枚の(CIAに関する)CDを巡って、離婚調停中の夫婦(しかも2組)、出会い系サイトに没頭する整形願望の女、常にハイテンションの考え無し男が巻き起こす、あまりにもショーモナイ犯罪コメディ映画。

この作品でコメディアンではなく、今をときめく(爆)大スターを起用し、しかも従来の作品からは考えも及ばないくらいのショーモナイ役を演じさせるあたり(ほとんどがサスペンスとかヒューマン・ドラマで名を馳せていますよ!)、これまでのコメディ映画とは一線を画していると思わせているのでしょう。最初、ノリノリなのはブラッド・ピットだけじゃん! と思っていたのですが、後からよく考えて見ると、ジョージ・クルーニーもジョン・マルコビッチも、フランシス・マクドーマンドもティルダ・スウィントンも、結構ノリノリでした。
前に、奥田英朗著の『ララピポ』を読みましたが、何となくその英語版って感じ。自分の夢と幸せを掴むためのアメリカン・ドリームを直走るのではなく、自分の幸せ目掛けてトンデモナイかもしくはショーモナイことを繰り広げる、でも終着点がいまいち(というより全くに近い)見えておらず、かえって坂を転げ落ちるかのような展開に陥ったりとか。

まぁ、そんなショーモナイ人達によって繰り広げられる、良く分からない事件を担当することになったCIAの捜査担当の人達が、一番気の毒だったかもしれません。そして彼らにとっては、このショーモナイ人達が引き起こしたロクデモナイ一連の事件(でも人一人殺っちまったけど)は取るに足らず、あっさり解決されてしまうのは言うまでもなく。
ちなみにCIAに関するCDですが、CIAに関わったと入っても内部のかなり込み入った機密性の高いものではなく、やはりこれもショーモナイ内容だったというのはお約束。


総括すれば、『大スター達揃いも揃っての息抜きのための一作』とでも言うべきでしょうか。別に手抜き、というわけではないのでご安心を。
例えば、ブラッド・ピットにしてみれば、モデル出身ならではの都会的でセクシーな容貌なので、自然とスタイリッシュなアクションやサスペンスのイメージが強くなるわけです。『トロイ』で出演した際など、筋肉質でアクションに最適な肉体をしていながら、その都会的な容貌に違和感を感じたほど。でも、そんなイメージを固着されたくないのが俳優さんのジレンマ。なので、時々こういった、普段のイメージとは似ても似つかないキャラクターを演じたいと思うのではないかと。ジョージ・クルーニーやティルダ・スウィントンもそうかもしれません。
もしかしたら『トロピック・サンダー』のトム・クルーズも同じかもしれませんが。シリアスやアクション・コメディに至るまで、違和感なく多彩にこなせる俳優さんって、パッと思いつくとウィル・スミスくらいかなぁ。。。

コメディとはいえ、腹がよじれるほどの笑いがあるわけではありませんが、フフッとシニカルな笑いを取る箇所はいくつかあります。これまでとは違う、名を連ねる俳優さんの面白い演技を堪能するのも、いいかもしれません。

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2009/05/04 23:09 | Comments(0) | TrackBack() | Review - Movie

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