神社仏閣の荘厳な空間を紅く彩る、京都や奈良の紅葉? 人里離れた静謐な空間を彩る、日光や十和田湖などの自然豊かな紅葉?
東京にも数多くの庭園が各所に存在しますが、この時期は京都などの神社仏閣に負けじと多くの観光客で賑わっています。紅葉は勿論、季節の花々、特に庭園の中央の蓬莱島が有名な小石川後楽園でも、観光客でいっぱいでした。
小石川後楽園内に敷かれた道は、ただでさえ狭いのに、写真撮影等で立ち止まっている人が多いから、すぐに渋滞が出来てしまったり。けれど、それも分かるような気もします。庭園内の紅葉は、本当に目を奪われるくらいの、正に『紅』をしているのです。しかも、それが太陽の逆行を浴び、更に池の水面に反射する光と一体化するように輝いているのを目の当たりにすると、目どころか心を奪われるのはもはや当然のように思えてくるのです。
そんな東京を代表する庭園の紅葉ですが、人もそれほど多くなく、広く、だからこそ静かに、自分だけの世界に入り浸れるように紅葉を観賞できるところがありました。
それが、皇居東御苑です。
皇居にも勿論、春夏秋冬色とりどりの植物を愛でることが出来ますが、どちらかというと皇室の宝飾の展示とかかつての江戸城の史跡の部分が表に出ているからか、数々の庭園に比べれば、『桜』や『紅葉』の情報がさして多くないのかもしれません。だからこそ、穴場なのでしょう。しかも、小石川後楽園と違い、無料(小石川後楽園は、大人300円)で出入りすることが出来ますし。
『庭園』というよりかは、どちらかというと『公園』という印象ですので、石や木々の配置にそれこそ細微に至るまで細かい造形が仕込まれている、というわけではありません。それでも、見方次第で、庭園に負けず劣らずの、絶景の紅葉を観賞することが出来ますよ。
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東京散歩は思い立ったが吉日。この時期を逃したら暫くは見られない、という意外な景色があるものです。大都会のビル群が聳え立ち、何処も彼処もあくせく人が歩く東京砂漠の中では見つけようにも見つけられないところ。なのに、別の県に出るわけでもなく、ほんのちょっと足を伸ばすだけで、普段は見られない自然や風景が至るところに散在します。
初秋の落ち着きと活気の空気に触れるため、墨田区の向島百花園~浅草寺へと散策に出かけました。
向島百花園の庭園は、日本三大庭園や足立美術館のように僅かな医師の配置まで細かく整えられた庭園、というわけではなく、割と雑然とした一般家庭の庭園に似た場所です。でも、だからこそなのでしょうか、庭園内には、そこかしこに虫がいっぱい。あまり人間の手を加えていない印象を受けますので、それだけ自然物が住み着きやすい環境になっているのかもしれません。
そして、この初秋の時期の見頃といえば、やはり『秋の七草』。残念ながら、『葛』と『撫子』は開花の時期が早かったため、現在は既に花は散り、実を結ぶ時期となっておりますが、他の『秋の七草』は今がピーク。昼間の風景も勿論美しいですが、夜の月明かりに照らされた闇の中で観賞するのもまたいいかもしれません。秋の花というのは、春の花のような豪華絢爛さはありませんが、密やかところが、また月の輝きと合うと思います。
向島百花園の後は、浅草まで出て浅草寺へ。
向島百花園とは打って変わって、浅草ならではの活気が目の前からグアッと飛び込んできて。というか、外国人の比率が以前に比べ一段とアップしているように見えるのですが!? それも、初めて日本に観光にやってきた友達やカップル、夫婦は勿論のこと、キッズの集団も多いのは吃驚しました。
しかしそれでも浅草の休日のお祭り騒ぎは相変わらず。妙にファッショナブルに設えることなく、昔ながらの江戸っ子気質が飛び交う場所の代表格として、やはり浅草はなくてはならない場所。別に外国の方々だけでなく、日本全国からツアー客として訪れる人々も。
『東京』は、決して一括りで表現することが出来ない、色んな顔と色んな気質が行き交う場所。静かなところも、賑わうところも、どれも全て『東京』。
外国人が日本観光で最も行きたい場所が『東京』というのは、そんな様々な顔と気質を持つ不思議なところに、琴線に触れたのかもしれません。
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という至極ごもっともなご意見は却下します。
赤福が本日の日程を狂わせたと昨日書きましたが、よくよく考えたら僕の旅行の基本スタイルは『行き当たりバッタリ』。大きな目標(今回であれば「伊勢神宮に行きたい!」)というのが叶えられれば、あとは全て思いつくまま、風任せ雲任せ。極端な話、もう皇大神宮(伊勢神宮・内宮)を見てきたんだから、豊受大神宮(伊勢神宮・外宮)を見ればもういいなじゃいかー、と思ったのですが、やはり僕も人間の端くれ。欲張りなところが出てきてしまうのです。
まあ、豊受大神宮が車で1時間以上のところにあり、参拝に1~2時間くらいかかってしまうのであれば話は別でしょうけれど。幸い、豊受大神宮は伊勢市駅から徒歩5分以内。気軽に歩き回れるくらいの申し分ない広さだったので、別の名所も観光することが出来そうです。
というわけで、やってきましたのは二見。日の出の名所として知られる、『夫婦岩』を見ながら、近くの神社の参拝に行ってきました。
しかし、昨日と同じく生憎の曇り空。時折降るパラパラとした雨。波もそんなに穏やかではなく、若干荒れておりました。皇大神宮は、雨天でも、いや雨天だからこそ静謐で荘厳な空気が漂っておりましたが、夫婦岩は、流石に雨天ではちょっと寂しいし、侘しい。『日の出の名所』というイメージが強いんでしょうかね、やはり青い空、穏やかな海、照りつける太陽の下、というのが、一番映えるような気がするのです。
それでも、朝早くから観光客で賑わっていました。
二見シーパラダイスでは、時間を間違えたのかアシカのショーもアザラシのショーも一つも見れず。まあ実のところ、海獣類のショーというのはそんなに好きな方ではなく。見てて楽しいですけどね。やっぱりアシカはアシカらしく、アザラシはアザラシらしく泳いでいるのが一番じゃないですかね。(←偽善)
伊勢市駅へ戻るバスに乗車。バスは途中、『伊勢・安土桃山文化村』を経由したのですが、遠くに見える城(後で調べたら『安土城体感劇場』だって)が激しくバッタもん臭を感じることから、華麗にスルー。怖いもの見たさで行ってみたい気もしなくはないのですが、まあそれはいずれまたの機会に。
(聞くところによると、安土城は諸説があるもののかなり豪華絢爛な造りになっているとか。でも僕の目には、森の中に全くマッチしていないケバケバシイ建物にしか思えず…)
勿論最後に回ったのは、豊受大神宮(伊勢神宮・外宮)。
ようやく雨も上がり、時々太陽も顔を出すようになってきましたが、やはりまだ厚い雲に覆われておりました。なので、雨が降っていないというだけで、青々とした森の中と残暑特有の湿気交じりの空気は、昨日の皇大神宮と変わりません。
皇大神宮にしても豊受大神宮にしても、個人的に残念だったのが、行ってみたい、中に入ってみたいと思っていたところの多くが、立ち入り禁止になっていたこと。まあ確かに神の領域でありますので仕方ありません。神事でもない限り一般公開なんて無いでしょう(むしろ神事がある方が厳重に警備しているのかも…)。
何だかんだ言っても、予想していたよりは多くの施設や名所を回れたような気がします。帰りの新幹線の中でガイドブックを広げながら、「あ、ここにも足を運べばよかったかなぁ」と思うところも一つか二つくらいありましたが、別に二度と行けないわけではありませんし、それはまた別の機会、ということで。
また、今回の旅では、しっとりとした雨の中の神宮散策でしたので、今度はからっと晴れて、木漏れ日が差す時に行きたいと思っています。その時は6月中旬くらいがベストでしょうか。豊受大神宮の勾玉池の花菖蒲が見頃を迎えている時期でもありますし。
ゆっくりのんびりしながら、ぐるりと日本の名所を発見(もしくは再発見)するのも、いいかもしれません。
エピローグ:『赤福』その後
やはり家族に『今日のうち』に食べてもらうためには、夕食時くらいには家(実家)に到着しなければならない! と決意し、本来夕方前くらいに伊勢市駅出発のところを、昼過ぎくらいに予定変更。今日の観光行程より帰りの電車(新幹線含む)の方が時間がかかったなんて、一体全体どういうことでしょう。
でも、何とか夕食前に実家に到着し、平穏無事に消費期限前の赤福を堪能できました。
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予てから伊勢神宮に行きたいと思っておりまして、これも第一弾の知覧と同様に、「今行かずしていつ行く!?」という半ば
が。
伊勢市に到着するなり雨模様。でも、本降りというわけでもなく、霧雨のようなパラパラとした雨が降るくらいで、あまり傘は必要としませんでした。
そして、この雨模様と平日であることが功を奏してか、皇大神宮(伊勢神宮・内宮)内の参拝客はまばら。時折、団体の外国人客が大勢来るくらい(大勢といっても、多くて15人程度)。そのため、静謐で荘厳な皇大神宮を堪能することが出来ました。
そしてまだまだ暑さが残る9月の半ば。鬱蒼と多い茂った木々の匂いが、湿気と共にそこかしこから漂ってきまして。割と僕はそういう『自然の匂い』というものが好きです。厚い雲に覆われているため、皇大神宮内は昼間といえども暗い雰囲気。でも、木漏れ日の差す穏やかで清々しい神宮もいいですが、雨の振る静かで仄暗い神宮というのも、神秘的でいいかもしれません。
おはらい町、おかげ横丁を歩いている時になってから、雨も少しですが強くなっていました。
それにしてもここに軒を連ねる様々なお店は、本当に訪ねる旅人を散財に誘うような食べ物や名品が多いですね。見るだけでも決して飽きない品物がズラリ。財布の紐はきちんと管理し、『本当に欲しい物だけ』に鼻を利かせながら歩くのが宜しいのではないかと(笑)。
しかし、おはらい町に来たからには、やはり何と言っても『赤福本店』。「赤福なんて、どこで買っても一緒なのでは?」とお思いのそこのアナタ! 百歩譲ってそうだとしても、やはり『本店』で購入することに意味があるのです!
というわけで迷わず本店に突入し、旅から帰った後、家族と堪能する為に適当な数量の12個入りを購入。しかし、そこから思いも寄らぬ展開が待ち受けていたのでした。
「消費期限は明日(9月14日)までとなっておりますので、お早めにお召し上がりください」
今日はまだ伊勢に到着したばかり。一泊して明日帰る予定。
一方の赤福の『消費』期限は『明日』。
そんなのアリですか!
というわけで、宅配で送っていただけないかと尋ねたところ、
「申し訳ありません。生ものですので、この時期はすぐに傷んでしまいますので、
宅配便は承っておりません。」
あまりの計算違いの展開に慌てふためき、他のお店でお土産を物色がてら、宅配を行っているお店を雨の中血眼になって探しました。そして見つけた清酒のお店。これまた家族へのお土産の為に大吟醸を購入し、宅配を頼んでみました。
が。確かに宅配は受け付けていたものの、
「もう今日の便は終わってしまったんですよー(この時の時刻は16:30)。
東京方面ですと、明日発送の明後日到着になりますねー」
東京の常識は日本の非常識なのかっ!? (←ただの考え無しなだけ)
東京だったら、よほど遅くならない限り(19:00とか20;00とか)、その日に荷物を受け付けて、近畿方面でしたら(一部を除いて)翌日に届けてもらえます。そんな東京の宅配事情にすっかり慣れてしまい、きっとここでも翌朝に届けてもらえるだろうと目論んでいたのに、全てご破算に。
というわけで、行きの時より一層重くなった荷物を引きずりながら今晩の宿へ。チェックイン後、すぐさま赤福を冷蔵庫にしまい、少しでも長持ちさせながら、明日のプランを練り直しておりました。
まさか赤福で明日のプランを大幅に変更せざるを得ないとは、思いもよりませんでしたから。
でも、そんな緊張感に満ち満ちた明日のプランも、夕食の一時だけは忘れることに。だって、100g約4500円の松坂牛サーロインを前にすれば、それを堪能せずに余計なことを考えるのは、バチ当たりというものですから
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「『当たり前のことをする』とは、一体どういうことでしょうか?」
富屋旅館では、朝食後、女将さんがお話をして下さいます。それは、初代の女将さんである鳥濱トメさんから脈々と続く伝承(今の女将さんは、鳥濱トメさんのお孫さんの奥様に当たる方です)。戦時中、ここに訪れた若者達が、どんな想いで戦地に赴いたのか。決して帰ってくることのできない戦地に。彼等がどんなことを語り、どんな想いを寄せ、どんなものを僕達に、未来の為に遺していったか。
そんな語りの中で、女将さんが僕を含めた宿泊者に、こう問い掛けたんです。
『国』とは何か。『当たり前のことをする』とは何か。
色んな言葉が、僕の頭の中に過ぎりました。でも、答えることができませんでした。きっと、どんな答えも、本当の意味で正しい答えなどないかもしれません。でも、『言葉』に出しただけで、きっとその『言葉』は陳腐に終わる。僕は、『国』や『当たり前のこと』について、堂々と自信を持って答えられるだけの人生を歩んでいない。到底、まだそんな域には達していない。
そんな状態で言葉に表した瞬間、きっと後悔する。「ああ、僕はなんて浅はかな人間なんだろう」と。だから答えられませんでした。多分、それだけでも僕は十分浅はかな人間なのですけれど。
でも、きっと鳥濱トメさんも、一朝一夕で『国』や『当たり前のこと』について、見出したわけではないと思います。激動の時代を超えて、数多くの死を目の当たりにして、それでも、まるで何事も無きかのように移り変わる世の中を垣間見て、トメさんなりの答えを見出したのではないかと思います。
「若くして散っていった彼等の為に、私が出来ること」。それが、晩年の鳥濱トメさんの原動力。その想いは、時を越え、場所を越えて、伝えられるべき精神。
「誰かの為に、私が出来ること」。
きっと、『国』も、『当たり前のこと』も、そうやって積み重なって形作っている。チェックアウト後、お仏壇の前で焼香しながら、そう思いました。
富屋旅館から約15分ほど歩いたところに、知覧平和公園があります。その名のとおり、公園内は先の大戦において、特攻隊に纏わる遺品や資料を展示している『知覧特攻平和会館』、沖縄の海に散っていった若き特攻兵達を奉るために建てられた、特攻平和観音堂や1000以上の灯篭があります。そして、公園入り口から知覧特攻平和会館に向かうまでの道には、小振りながらも多数の桜の木が植えられていました。
春になったら、きっと、兵士達の帰りを待ち焦がれたいたかのように、綺麗な花を咲かせるのでしょうか。
知覧特攻平和会館は、特攻兵達の遺品や遺書、資料の数々。
「先立つ不幸をお許しください」
「立派に体当たり致します」
「私は笑って元気に征きます」
そして、「お父さん、お母さん、さようなら」
そんな遺書が並ぶ中、ようやく、大叔父の遺影と名前を見つけました。昭和20年5月末、沖縄洋上で戦死。その時の歳は19歳。たったの19歳。
今の世の中なら、大学生活を謳歌している真っ最中。最もその行動力を発揮できる歳。色んなことをしたかったんだと思います。それでも彼は、死ぬことを選んだ。自分の生命を擲つことで、自分の大切な人たちが、これからも平和に、幸せに暮らすことができることを、信じていたから。
これらを見て思うことは、僕達は、『生かされている』ということ。彼等は別に英雄になろうとしたり、敵や弱者を蹂躙したり、弾圧しようとしたのではない。大切な人の未来を守ろうとしたために死んだということ。
「誰かの為に、私が出来ること」。
何も持たない彼等にとって、生命を投げることが、彼等なりの思いやりなんだ、ということ。
それでも、残された人はもっと辛い。
死んでいった人達が大切にしてきた人達も、同じように、死んでいった人達を大切に思っているから。
知覧には、今の日本が失いかけているものが沢山あります。それは、単にモノとしではなく、未来永劫受け継がれるべき精神。いや、これは日本だけにとらわれるものではなく、世界各国全ての人間が、受け継がれるべき精神だと思います。
色んな宗教や思想がありますが、それは形式やこだわりの上でのこと。本当に、人間の根幹を作るための大切なものが、知覧には眠っています。
富屋旅館の女将さんはおっしゃいました。「戦争についての語り継ぎを、皆さんがどのように聞いていらっしゃるかは分かりませんし、人それぞれなのでしょう。それでも、その中から『何か』を感じ取っていただきたい」。
「誰かの為に、私が出来ること」。これから先、僕はどれだけの人に、どれだけのことが出来るのかは分かりません。それでも、今僕が生きているということは、誰かの為に出来ることがある、ということ。力の限り、精一杯。
きっとそれが、『当たり前のこと』なのであり、輪のように広がって、『国』が作られていくのでしょう。
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