「『当たり前のことをする』とは、一体どういうことでしょうか?」
富屋旅館では、朝食後、女将さんがお話をして下さいます。それは、初代の女将さんである鳥濱トメさんから脈々と続く伝承(今の女将さんは、鳥濱トメさんのお孫さんの奥様に当たる方です)。戦時中、ここに訪れた若者達が、どんな想いで戦地に赴いたのか。決して帰ってくることのできない戦地に。彼等がどんなことを語り、どんな想いを寄せ、どんなものを僕達に、未来の為に遺していったか。
そんな語りの中で、女将さんが僕を含めた宿泊者に、こう問い掛けたんです。
『国』とは何か。『当たり前のことをする』とは何か。
色んな言葉が、僕の頭の中に過ぎりました。でも、答えることができませんでした。きっと、どんな答えも、本当の意味で正しい答えなどないかもしれません。でも、『言葉』に出しただけで、きっとその『言葉』は陳腐に終わる。僕は、『国』や『当たり前のこと』について、堂々と自信を持って答えられるだけの人生を歩んでいない。到底、まだそんな域には達していない。
そんな状態で言葉に表した瞬間、きっと後悔する。「ああ、僕はなんて浅はかな人間なんだろう」と。だから答えられませんでした。多分、それだけでも僕は十分浅はかな人間なのですけれど。
でも、きっと鳥濱トメさんも、一朝一夕で『国』や『当たり前のこと』について、見出したわけではないと思います。激動の時代を超えて、数多くの死を目の当たりにして、それでも、まるで何事も無きかのように移り変わる世の中を垣間見て、トメさんなりの答えを見出したのではないかと思います。
「若くして散っていった彼等の為に、私が出来ること」。それが、晩年の鳥濱トメさんの原動力。その想いは、時を越え、場所を越えて、伝えられるべき精神。
「誰かの為に、私が出来ること」。
きっと、『国』も、『当たり前のこと』も、そうやって積み重なって形作っている。チェックアウト後、お仏壇の前で焼香しながら、そう思いました。
富屋旅館から約15分ほど歩いたところに、知覧平和公園があります。その名のとおり、公園内は先の大戦において、特攻隊に纏わる遺品や資料を展示している『知覧特攻平和会館』、沖縄の海に散っていった若き特攻兵達を奉るために建てられた、特攻平和観音堂や1000以上の灯篭があります。そして、公園入り口から知覧特攻平和会館に向かうまでの道には、小振りながらも多数の桜の木が植えられていました。
春になったら、きっと、兵士達の帰りを待ち焦がれたいたかのように、綺麗な花を咲かせるのでしょうか。
知覧特攻平和会館は、特攻兵達の遺品や遺書、資料の数々。
「先立つ不幸をお許しください」
「立派に体当たり致します」
「私は笑って元気に征きます」
そして、「お父さん、お母さん、さようなら」
そんな遺書が並ぶ中、ようやく、大叔父の遺影と名前を見つけました。昭和20年5月末、沖縄洋上で戦死。その時の歳は19歳。たったの19歳。
今の世の中なら、大学生活を謳歌している真っ最中。最もその行動力を発揮できる歳。色んなことをしたかったんだと思います。それでも彼は、死ぬことを選んだ。自分の生命を擲つことで、自分の大切な人たちが、これからも平和に、幸せに暮らすことができることを、信じていたから。
これらを見て思うことは、僕達は、『生かされている』ということ。彼等は別に英雄になろうとしたり、敵や弱者を蹂躙したり、弾圧しようとしたのではない。大切な人の未来を守ろうとしたために死んだということ。
「誰かの為に、私が出来ること」。
何も持たない彼等にとって、生命を投げることが、彼等なりの思いやりなんだ、ということ。
それでも、残された人はもっと辛い。
死んでいった人達が大切にしてきた人達も、同じように、死んでいった人達を大切に思っているから。
知覧には、今の日本が失いかけているものが沢山あります。それは、単にモノとしではなく、未来永劫受け継がれるべき精神。いや、これは日本だけにとらわれるものではなく、世界各国全ての人間が、受け継がれるべき精神だと思います。
色んな宗教や思想がありますが、それは形式やこだわりの上でのこと。本当に、人間の根幹を作るための大切なものが、知覧には眠っています。
富屋旅館の女将さんはおっしゃいました。「戦争についての語り継ぎを、皆さんがどのように聞いていらっしゃるかは分かりませんし、人それぞれなのでしょう。それでも、その中から『何か』を感じ取っていただきたい」。
「誰かの為に、私が出来ること」。これから先、僕はどれだけの人に、どれだけのことが出来るのかは分かりません。それでも、今僕が生きているということは、誰かの為に出来ることがある、ということ。力の限り、精一杯。
きっとそれが、『当たり前のこと』なのであり、輪のように広がって、『国』が作られていくのでしょう。
『鹿児島県』の写真集についてはこちら
それが自分なりの感謝の気持ちの表し方かなぁ。なんて思っています。(僕にはとても自分の命を掛けてまで人のために何かができるとは思えませんが・・・。)自分なりに出来ることをやっていこうと思っています。 そしていつか知覧にも一度、ぜひ訪れてみたいと思っています。
確かに、お世辞にも交通の便がいい、という所ではありませんが、多分ここで行くことを躊躇ったら、一生行けないような気がする、ということで行ってみました。
全行程の約3分の2が旅費(特に飛行機のチケット代!)だったんですけど、それを上回るだけのものや教訓を得られたと思っています。
『国』や『当たり前のこと』について、それぞれがそれぞれの考えや価値観を持っていると思います。でも、何気にそれらの考えや価値観の根底にあるものは、どこか共通している部分があるように思うのです。それは、場所も越えて共通している部分。具体的に分かっているわけではないんですけれど(汗)。
東京からですと、現地に行くだけで約半日を費やしてしまいますが、それでも十分楽しめるし、自分の血肉となるものがあると思います。是非、豪さんも、足を運んでみてください。
>こんばんは。 お久しぶりですw 知覧に行って来たのですね。 うらやましいですwww 実は僕も一度は行ってみたいところ。それが知覧なんです。ですが何気に九州南端は遠いです。行ってみたいと思っても簡単にいけるところではありません。cyberさんの行動力には脱帽。と思っていたら実は大叔父様が特攻で亡くなられた方だったんですね。納得。 実際に知覧を訪れ富屋食堂や特攻平和観音堂で見聞きしたこと。とても良い体験ですよね。特にご自分の身内に特攻兵の方が居られるのなら感慨深いものがあったのではないかと思います。実は僕も映画「男たちの大和」を見てどうしても大和の故郷である呉に行ってみたくなり、行ったことがあります。彼等に有難うございましたと言いたくて。だって僕らは彼等が命を掛けて守ってくれた未来に生きているわけですから。先の大戦では特攻や大和のみではなくほんとに多くの方が尊い命を落とされています。彼等の命がけの思いを勇気を絶対に忘れてはいけないと思いますし、継承していくものはしっかりと継承していく。
>それが自分なりの感謝の気持ちの表し方かなぁ。なんて思っています。(僕にはとても自分の命を掛けてまで人のために何かができるとは思えませんが・・・。)自分なりに出来ることをやっていこうと思っています。 そしていつか知覧にも一度、ぜひ訪れてみたいと思っています。