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2025/02/10 09:44 |
[鹿児島] 兵たちの還る里 前編
夏休みを利用した旅行第一弾、『知覧』へ行ってまいりました。そして何気に九州初上陸。映画『俺は、君のためにこそ死ににいく』に触発された、というのもありますが、
 ■知覧の戦時中の史跡や、当時の特攻兵の想いに触れてみたい
 ■大叔父が特攻兵だったので、彼の足跡を追ってみたい
というのが狙いです。きっと今行かないと、向う数年間は実現しないような気がしましたので、半ば強行日程であろうとも、このたび、知覧を訪れることになりました。

が。
それまで存在していた鹿児島空港から知覧までの直通便バスが廃止になり、鹿児島空港から鹿児島中央駅で乗り換えて知覧までバスで行くことおよそ2時間30分! いくら目的地を絞っていたとはいえ、一泊二日の旅行では『半ば強行日程』どころか『ホントに強行日程』になったのはいうまでもなく。割と余裕を持って旅をする僕としては、ちらほら時間を気にしながらの旅路になってしまいました。 orz


知覧に到着したのは9月2日。昼に鹿児島空港に到着したとはいえ、実際に知覧に到着するのは夕方前になってしまいますので、この日は武家屋敷を中心に市内を散策しました。


知覧の風景 武家屋敷庭園 - 其の一 武家屋敷庭園 - 其のニ



『薩摩の小京都』と呼ばれる知覧でさえ、市街地は区画整備されており、普通に必需品も購入できる街になっておりますが、路地に入ると、そこは昔ながらの武家屋敷が軒を並んでおります。しかも、メインの道路はそこそこ人通りも車の通りも多いのに、ほんの僅かに道を隔てた武家屋敷には、音という音がなく、静寂に包まれておりました。
『閑静な住宅街』というと、ちょっと違うかもしれません。東京にも閑静な住宅街はそこかしこに存在しますが、何となく無機質で味気ない。一方の武家屋敷周辺は、耳を済ませると、さらさらと流れる清流の音、僅かながらに響き渡る虫の音、そして、秋の訪れを告げるかのような風の音。静寂の中にも少しだけ伝わる自然の音なんて、正に生活する上での至福の一時を醸し出すのでしょう。

というか、この武家屋敷、日本庭園部分は一般開放しているものの、家屋には普通に人が生活しているんだそうです。

何という贅沢なっっ!!


知覧に着たからには、やはり宿泊場所は『富屋旅館』にしたいな、と決めておりました。


富屋食堂(復元) 鳥濱トメさんの詠われた句



そのお隣は、なんと当時の『富屋食堂』を、鳥濱トメさんのお二人のご息女(既に亡くなられております)の記憶を元にしたものの、完全復元した建物が建てられておりました。勿論、館内は食堂ではなく、当時の遺品や写真が展示されている、一種の展示室になっております。
館内に展示されている遺品や写真、ここを訪れた、年端も行かぬ若者達の言葉の数々だけでも一見の価値がありますが、多分定時ごとに催されると思いますが、鳥濱トメさんのご親族と思われる方の語りがあります。ちょうどその時間に居合わせることが出来たのは幸いでした。
切々と語られる、当時の色んな人たちの想い。心許無い飛行機ながらも、我が半身のように接し、重い爆弾を積んで敵艦めがけて体当たりする作戦。それを目前に控え、特攻兵達は何を想ったのか。ただ見送ることしかできない。引き止めることもできない。自分の無力感に苛まれながらも、それでも出来る限りのことを尽くそうとした人達は、何を想ったのか。

それは、これから知覧にいらっしゃる方々が、ご自身の目で、ご自身の耳で、確かめてみてください。


 

『鹿児島県』の写真集についてはこちら

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2007/09/02 21:00 | Comments(0) | TrackBack() | Outdoors
[埼玉] 丘の上の豪華絢爛

花言葉にもあるように、豪華絢爛に咲き乱れながらも、どこか『威厳』なところをがありますね、百合の花というのは。


百合 - 其の一 百合 - 其の二 百合 - 其の三



西武グッドウィルドームのすぐ近くにあるゆり園には、約50品種、およそ40万株のゆりが植えられているそうです。主に透かし百合の品種とハイブリッド(とりわけジャパニーズ・ハイブリッドやオリエンタル・ハイブリッド)に分けられ、前半は透かし百合を、後半はハイブリッドの品種を楽しむことができる構成だそうです。百合の原種はなんと100種以上存在し、亜熱帯から温帯・亜寒帯に至るまで、地球規模で分布しているとか。
透かし百合やハイブリッドは、その多くが日本やアジア原産のものが多いそうですから、このゆり園では、日本特有の百合の花を多く楽しむことができるんですね。
6月の半ばは、丁度透かし百合が見頃を迎え、ハイブリッドの品種も徐々に咲き始めてきた頃。ですので、園内には、花の香りがほとんどしないところと、微かに漂ってくるところ、強烈なまでに芳醇な香りが充満しているところと様々で、目で見る美しさだけでなく、香りも楽しむことができました。

広く世界規模で分布しているだけに、古代より百合の花に対する人間の畏敬は、様々なところで見られます。
球根が食用や薬用に使われるのは、それは今でも勿論の事。神話や聖書にも登場し、国旗や州旗の象徴として使用されているところも多数あります。薔薇やチューリップといった、数多くの形、数多くの鮮やかな色を咲かせていることからも、多くの人に愛され、そして多くの品種が世に出されているんですね。


それにしても。
百合の花って本当に背が高いですねー。今にも人間の背を超えてしまいそうな勢いで。燦々と太陽の光が降り注いでいますから、まるで森林の樹木のように、その光をよりいっそう浴びようと互いに競い合うように背を伸ばしているようで。
もう少ししたら、今度はハイブリッドの品種が台頭してきます。そうなると、園内の至るところで百合の香りが充満しますね。ハイブリッドの品種は、白が基調みたいですが、その代わり、白とピンクが合わさった鮮やかな花を咲かせるかもしれません。


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2007/06/23 13:56 | Comments(0) | TrackBack() | Outdoors
[東京] 夏バテ気味の紫陽花
おやおや、まだ6月の半ばだというのに、もう夏バテですか?

かんかん照りの豊島園。梅雨の季節の主役である紫陽花も、容赦なく照りつける太陽を前には、もはや形無しのご様子。赤紫、青紫、青、白と、色とりどりの花を咲かせていても、どこかお疲れな感じを漂わせているところを見ると、やっぱり紫陽花というのは、『雨』を想起させる花なんだなぁ、と思いました。やっぱり、雨露に濡れている方が、紫陽花らしいといえばらしい。


紫陽花 - 其の一 紫陽花 - 其の二 紫陽花 - 其の三



紫陽花といえば、土壌のph濃度によって花弁の色が変化することで知られる花。そんな色の変化は勿論ですが、花の形状の特異性でも十分楽しめるのではないかな、と思います。まるで中央のおしべとめしべを囲い守っているかのように、周囲の花だけ咲く品種や、菊のようにこんもりとした形状で、小さな花が群を成して咲く品種など。
豊島園に植えられている品種だけでも、150もの品種があるとは驚きです。バラやチューリップのように、それはそれは色とりどり、形から大きさから数え切れないほど、というわけでもなく、微妙に形が、色が違う、というくらいなんですけど(所詮素人目ですので……)、万葉集の時代から愛されてきたという花、それだけに多様な品種を咲かせる情熱が、現在の数多くの品種を作り上げたのでしょう。

まぁ、それでも。
やっぱり水の眷属を彷彿させる紫陽花は、雨にしっとりと濡れて、密やかに咲いている方がピッタリ合いますねぇ。「いやはや、かんかん照りの下では、暑くて敵わん」という声が、今にも聞こえてきそうな、豊島園のあじさい祭りでした。


 

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2007/06/17 15:12 | Comments(2) | TrackBack() | Outdoors
[Event] レオナルド・ダ・ヴィンチ - 天才の実像

開催期間終了間際、やっとこさ見る時間が取れました。レオナルド・ダ・ヴィンチの最初の単独作品『受胎告知』。東京国立博物館の閉館1時間前にどうにか入場。やはり開催期間終了間際、閉館間際だからか、平日にもかかわらず、かの歴史的名作の前には、大勢の人が屯しておりました。


受胎告知



ルネッサンスの巨匠の一人である彼の作品を、絵心の無い素人人間である僕がが云々述べるのは愚の骨頂なのは言うまでも無く。
ただ、少し離れた場所で、デジタル技術を駆使して細部まで再現した『受胎告知』の複写が、解説用として展示されておりましたが、如何に最先端の技術で細部まで複写したとはいえ、本物の『受胎告知』から受ける感じが、明らかに違う。まぁ、それは当然といえば当然なんですけれども。
デジタル技術で複写されたり、コピー物の『受胎告知』は、そこにあるただの絵。けれども、本物の『受胎告知』は、ただの絵に留まらない感じを受けます。今回、この作品は本邦初公開なので、この絵だけのための展示会場が設けられ、厳重な管理体制とこの絵の厳格さを更に醸し出すような装飾が敷かれておりました。それを差し引いても、『受胎告知』から受ける感じがただの複写物と違うのは、やはりレオナルド・ダ・ヴィンチの創作に対する意識や意欲に他ならないと思います。


  「何よりも上手く、誰よりも絶賛されるような絵を描こう

    ではなく、

  「本当に存在するかのような絵を描こう


どんなに緻密で、リアリティに溢れ、絶賛される絵を描こうとも、結局その絵は『そこに存在する絵』でしかない。彼が求めていたものは、絵の内容そのものが、本当に実在すると思えるものを描くこと。『受胎告知』の中に描かれている場所や道具が、本当に過去に存在していた、大天使ガブリエルが、絵の通りの姿で地上に舞い降りた、等等。まさに、『過去に本当にあった事象』を具現化するかのような描写方法。
その探究心が、後々の彼の絵に数多く活かされている。その解説が、『受胎告知』以降の展示室で展示されておりました。人間の感情とその動き、肉体の表現、果ては動植物の細かな動きに至るまで。
鋭いを通り越して恐ろしいまでの観察力で、『リアリティ溢れる』ではなく『実物そのもの』を極限までに追求した、レオナルド・ダ・ヴィンチの貪欲なまでの探究心。飽きっぽい僕にとっては見習いたいものですが、さすがに人間の肉体を観察するために、墓から死体を暴き出すというのまではちょっと……(笑) でもそれは、本当に自分が追い求めたいものを得るためならば、あらゆる犠牲も厭わない、という意思の表れでもあるんでしょうか。
『探究心』と『異端の眼』。今でこそ通常ならば、「異端視されたくない」と思う力が強まり、たとえ底知れない探究心を持っていようとも「これ以上は異端視される」と思ってしまえば、断念せざるを得なくなることが多々あります。が、彼は違った。たとえ人が『異端』と見ようと、彼の『探究心』が満たされていなければお構いなし。でも、だからこそあれだけ『そこにある絵』には決して留まらない『感じ』を発する作品が描けるんだと思います。


作品の美しさの中に潜む、恐ろしいまでの『探究心』。今も尚、レオナルド・ダ・ヴィンチの作品が愛され、そして作品の意味に挑戦し続ける人が多いのは、そのためかもしれません。

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2007/06/13 19:20 | Comments(0) | TrackBack() | Outdoors
[東京] 色彩の絨毯

『春の花』と一括りに言っても、その種類や咲く時期は色々あります。
まだ厳しい寒さが残る時期に咲き始める梅。春の爛漫とした空気の中で、燦然と輝くように咲き乱れる桜。暖かな陽気に包まれながら咲き始めるチューリップ。新緑が芽吹き、夏の気配がすぐそこまで来ている時が見頃の菖蒲。
大いなる自然の力に身を任せながら花を咲かせる上では、それらを一度の時期にいっぺんに見るのは非常に難しい。でも、やはり少しでも多くの色と種類の花を愛でたいもの。それには、この春に咲く種類の花を、一度に沢山見ることが出来る境界線となる時期である、4月中旬の時期が一番適しているのではないかと思います。
遅咲き・早咲きのタイミングもありますので、運がよければ、思っていた以上の花を愛でることが出来るかもしれません。4月の中旬であれば、もう桜は散ってしまい、新緑で覆われている頃ですが、ちょっと目覚めが遅い桜の花をポツポツと見ることが出来ますし、逆に、気の早い5月に咲く花を見ることが出来るかもしれません。


菜の花 - 其の一 菜の花 - 其の二 アイスランドポピー - 其の一

アイスランドポピー - 其のニ チューリップ - 其の一 チューリップ - 其の二



国営昭和記念公園では、正にそれを実現するほどの種類の色とりどりの花が咲き乱れています。ちょっと遅めですが、でも菜の花はまだ一面の黄色い絨毯を作り上げているし、個性豊かなチューリップの花も、まるで自身を誇示しているかのように、競い合っているかのように咲いておりました。

こういうところを、花を愛でながら歩いていると、福山正治の『東京にもあったんだ』を自然と口ずさんでしまいます。都心から電車で1時間足らずのところでも、こんな綺麗な場所があったなんて。
東京に住み始めてから2年半。でも中学・高校が東京だったし、大学は神奈川だけど決して東京は無縁の場所ではない。
でも、まだまだ知らない。これから知るところは増えるけれど、知らないところもまた増えるでしょう。だからこそ、面白い。


「東京にもあったんだ、こんなキレイな場所が」。



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2007/04/21 15:07 | Comments(0) | TrackBack() | Outdoors

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