拝啓、このブログへお越しの皆様。
今日から四月。新しい年度の始まり。皆様いかがお過ごしでしょうか。
この東京は晴れ。暖かな陽気に包まれた一日でした。こんな日を待ち焦がれていたかのように、いたるところで桜の花も一斉に満開に。
……静岡では、この日30度を越える真夏日になったとか。フェーン現象は2月に終息したのではなかったのか。
日本の花として象徴される桜。
その名所は数多く存在しますので、今更ながらに「ここがいい」とか「ここが最高」とか評するのはナンセンスです。やはり、自分の行きたいところに、気ままに桜の美しさを愛でるのが一番でしょう。
というわけで、東京のど真ん中、古き雅の情緒がそこかしこに漂っている『神楽坂』へ、桜見物と散歩に行ってまいりました。
飯田橋駅から外堀通りの桜並木は、溢れんばかりの人人人……
日曜日であること、桜の季節であることに加え、ドラマ『拝啓、父上様』のロケ地となった場所。飯田橋駅を降りて神楽坂下の交差点にある喫茶店『CANAL CAFE』は、大行列ができるほどの混雑模様。加えて、ボート乗り場の入り口にもなっているから、混雑振りは更に輪をかけた状態に。行列整理のため、店員さんがてんてこ舞いの状態になっておりました。。。
そんな賑わいを見せた外堀通りも、神楽坂通りに入り、脇道を通ると、一転して静寂に包まれます。
そう、ここは本来ならば夜の街。和食の老舗が軒を連ねる街。昼に賑やかだったところは、夜になるとその賑わいを潜め、逆に昼は静寂に包まれていたところが、夜になると煌びやかな灯りと音で彩られる。昼は桜の花で彩られ、夜は神楽坂芸者で彩られる。昔ながらの情緒が根付く街。
神楽坂の夜は、まだ行ったことがありませんし、夜の帳の中に彩られた街の雰囲気も是非見てみたいものですが、昼の静寂に包まれた雰囲気というのも、それはそれでいいと思います。
何しろ、まだ東京のど真ん中にもこんなところがあるなんて。
東京の喧騒を離れるには、田舎に行くしかない。
そう思っていらっしゃる方も、一歩脇道を入ってみれば
そこは、昔ながらの雰囲気が漂う、どこか懐かしい空気に出会えるかもしれません。
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日本三大庭園として、今も尚愛されている水戸の偕楽園。毎年2月下旬から3月下旬にかけて『梅まつり』が開催されますが、今年は暖冬の影響からか、これから3月中旬に差し掛かろうという時期なのに、既に梅の花は散り気味に。『花弁の絨毯』とまではいかないものの、既にピークを過ぎたような、どこか物寂しさを感じました。
白梅に属する花は、まだ蕾の状態のものがいくつかあるものの、紅梅に属する花は、やはり多くが散ってしまったように見受けられました。
ただそれでも、一昨年、池上梅園で梅を愛でたときと同じく、厳しい寒さを乗り越えて、春の訪れを告げるかのように、凛と力強く咲く梅の花には、強く惹かれるものがあります。パワフルに咲き誇る、というのではなく、内在するパワーを芯に凝縮したような、『不動』とか『確固たる』という言葉が、この花には良く似合っていると感じます。
ですが、やはりこれも暖冬の影響からか、梅の花に内在する不動のパワーも、どこか不完全燃焼気味のような気が…… 曇天の影響もあるのでしょうけれど。
まぁ、僕が考えている強さを誇る梅とは別の、少しパワーダウンした落ち着いた感じの梅というのも、また別の一面の美しさなのかもしれませんね。
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いろいろとニュースに取り上げられていたこともあり、興味本位で行って参りました。
結論。
広すぎて訳が分かりませんでした。
僕は生まれも育ちも埼玉、中学より学校は東京(大学は神奈川)、父方の祖母の妹が台湾に嫁いだ以外は全員親族が関東圏と、地方に住む方々の『方言』にとんと無縁の生活だったのですが(大学に入って、初めて身近に方言を感じました。友人とか先輩とか)、『ダイヤモンドシティ・ミュー』のあまりの広さに、無駄に方言になってしまいました。
「こげな広いところさ、オラァはずめてだべ~」 (←超適当)
ところどころに案内ボードがあるものの、分かったのは『自分が今どこにいるのか』。食品とか衣服とか、ある程度はゾーニングしているものの、「本当に目的地にたどり着けるのか??」という感じで。
しかし、今にして思えば、そういった構造になっているのも、経営者の狙いだったのかもしれません。
いわゆる、全天候型の大型ショッピングモールですから、色んな商品が、色んなお店が目に入る。別に買いたい目的がそこになくても、何となく琴線に触れるものが目が入ってしまうと、そこに足を運んでしまう。色々なジャンルの商品が、視界いっぱいに広がる。
対して、『ダイヤモンドシティ・ミュー』の両端は、JUSCOと三越。誰もが知るデパート。だから、どういったお店で、どういう商品が陳列されているか、どんな雰囲気かも何となしに分かりやすい。
「目的のものを、時には一目散(バーゲンとか)に買う時」には、JUSCOや三越を、「散歩がてらに各フロアを歩き、目に入った商品を手に取ったりしてみる時」には、中央の『ダイヤモンドシティ・ミュー』のショッピングモールを、といったところでしょうか。
しかし。
建てた跡地の場所だけに、地元密着型が非常に濃厚そう。公共の交通網を使う上ではあまり便利なところじゃないので、遠方からの買い物客はあまり多くないかも。
地域のコミュニケーションの場としてうまく活用することは出来ると思いますが、逆に排他的にならないことを祈ります。
菊というのは、実は個人的にあまり好きではない花でして(嫌いではないんだけど…)。天辺のコンモリとした形が、どうにも不恰好に思えてしまうのです。そんな花が天皇家の家紋なのですから、やっぱり不思議に思ってしまうわけで。
要は美的センスが人並み以下ということなんですな。 orz
川越市にある川越大師喜多院でも、11月中旬にかけてまで『菊まつり』が行われています。
日本の秋を象徴する花・『菊』。個人や団体、学区内の生徒に至るまで、丹精込めて育て上げた大小様々な菊がズラリ。花弁一つ一つとってみても、汚れの無い無垢な色が鮮やかに映えているのが分かりますが、やはり如何せん純粋培養に肥え太らせたかのような花の形がビミョーにしか映らず……
と。
そんな中でも、ハッとさせられる光景がちらほら。
コンモリとした何とも形容し難い半球体に垣間見える、その姿だからこそ不思議な感覚を覚える瞬間。
それは、光と影の狭間での光景。
立体的な花というのは、光と影のコントラストが非常にはっきりと表れます。純粋無垢な色を誇る美しさの裏に潜む、闇の世界に通じるような影。まるで、異界への扉がそこにあるような雰囲気。
葬儀等の献花として利用されている花ですので、『彼岸花』と同じように、『死』を連想させる花なのではないかと思います。が、それ以上に似ているこの感覚は、まるで月夜の『桜』。
明るく華やかな昼の『桜』とは違い、月明かりに照らされた夜の『桜』は、本当に妖艶の一言。見る者の魂を奪い去ってしまいそうな魅力。光と影の狭間に咲く『菊』にも、そんな雰囲気が漂っています。
かつて一斉を風靡(?)した『神の国』ではありませんが、昔の日本人は、普通に目に見えている『この世』とは別の、見えざる『異界』の存在を強く意識していたのではないのでしょうか。哲学者プラトンが提唱した、本質が存在する世界『イデア界』のような。
異界に通じる道標や門として、その神秘性を、『桜』や『菊』に見出していたのかもしれません。
※ちなみに、Cyberは哲学は良く分かってません。何となく使ってみただけです……
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彼岸花ほど、未だかつて奇特な異名を持つ花はないでしょう。
方や、『曼珠沙華』と呼ばれ、法華経中の梵語より『天上の花』と意味されるほど尊い花とされたり。方や、『死人花』や『地獄花』と呼ばれ、家に入れると火事を招くと言う不吉な花とされたり。
どちらにしても、『黄泉の国』を連想させる花なんですね。
天候は快晴。
風はやや強め。
真夏が完全に過ぎ行く前の、若干の暑さは残るものの、湿度もあまり無く、心地よさだけが肌を通り過ぎる絶好の秋晴れの日。陽の光をその身に浴びる花、林の中でひっそりと咲く花。見渡す限りの真紅の絨毯は、秋の彩を感じさせます。
巾着田は、遠方に秩父の山々を見渡す事の出来る田園風景。雨上がりの後のように、空気も澄んでいたため、赤い彼岸花が、より一層赤みを強め、紅に染まっていました。周囲の緑色とは正反対の色でありながらも、いや、正反対の色だからこそ、真紅の色が深みを増していました。
澄んだ空気と水。深い緑色。より深さを増す赤。
かつて、人々がこの花から、黄泉の国に連想させるのは何となく分かる気がします。『引き込まれる色を持つ花』。彼岸花に見惚れるうちに、魂を抜かれてしまうような。
『天上の花』と『死人花』。彼岸に咲く『死』を思わせる花は、そんな魅力を醸し出しているのでしょう。
巾着田の中程には、彼岸花と同じ時期に咲くコスモスの群生が。
こちらも満開で、白からピンク、深い赤の花が、風任せに揺られながらも見事に咲き誇っておりました。
そして、コスモスの群生は正に虫たちの楽園。先日の浜離宮恩賜公園と同じく、蜂や蝶が方々に飛んでいましたが、全体的にやや小振り。その代わり、赤とんぼがこれまた群生と言えるかのように沢山飛んでいました。
花の移ろいと共に、虫たちの移ろいもまた、秋の訪れを感じさせます。
きっと、この一体は夕暮れも素晴らしく美しいのでしょう。真っ赤に燃えた太陽に照らされる真紅の彼岸花。まるで、一帯が本当に燃えているかのような、『赤』の楽園を作り上げるかもしれません。
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