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2025/02/04 05:55 |
[Review] シューテム・アップ
シューテム・アップクライヴ・オーウェン様ファンには垂涎の、

クライヴ様どアップ連続満載映画。

というのは冗談として。


終始ガン・アクションのみで構成されているわけではなく、一応政治的なサスペンスも盛り込んでいます。政治家の策略と武器の売人との思惑が交錯し、その思惑には主人公のこれまでの生い立ちにも絡んできます。
しかしそんなサスペンスフルな展開もそっちのけと言わんばかりのアクション・シーンの数々! かつての『イーオン・フラックス』を彷彿させますな。やはりアクション映画は、観客があっと驚くようなアクションを繰り広げてなんぼ。『ミッション・インポッシブル』シリーズや、『ダイ・ハード』シリーズのような爆発シーンはほとんどと言っていいほどありません。如何にして巧みで且つ派手なガン・アクションを繰り広げるかが、この作品の見所なのではないかと。だって未だかつてここまでアクロバテックなガン・アクションは観たことがありませんから。
その代わり、R-15の作品に相応しい、死屍累々シーン満載ですので、心臓の悪い方はご注意を。

それにしても、だ。
予算の都合上だからかと思うのですが、あからさまな合成をはじめとする手抜きが多すぎ
はるか上空からダイブして、ただでさえ自由の利かない空中なのにそれでもアクションをしながら正確に敵をしとめる、というのをやりたかったのでしょうけれど。明らかに合成だと分かってしまう描写は少々いただけませんでした。
そういえば、空中でダイブしながらアクションを繰り広げる、というのは、『アドレナリン』でもやっていたと思います。まだそちらの方が違和感無く鑑賞できたと思いますが…… 勿論地上に激突した後の様は、無残というより一種の滑稽さを感じてしまいましたけど(爆)。
まぁ、最近は『インサイド・マン』、『トゥモロー・ワールド』、『エリザベス:ゴールデン・エイジ』と、割と重い空気に包まれた作品に出演していたクライヴ・オーウェンですから、今作ではかなりはじけることができたのではないのでしょうか。


『トゥモロー・ワールド』と言えば、今作でも出産に立ち会っていましたね彼。連続とは行かないまでも、ここまで近い間に『出産』というシーンをこなした俳優は、後にも先にもクライヴ・オーウェンだけではないかと。
次回出演する作品にも、出産シーンがあって、それでもやはり立ち会うことになったりして(笑)。下手な男よりも、よほど出産に対する心構えとか、女性の気持ちがわかるのかも。

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2008/06/01 11:32 | Comments(0) | TrackBack() | Review - Movie
[Review] There Will Be Blood
There Will Be Blood『神をも恐れぬ人間の傲慢』     

子供の頃、何らかの悪さをすると、「お天道様が見ているよ!」とよく祖父母に叱られたことがあります。お天道様とは、所謂神様であり、悪い行いは全て神様はお見通し、その悪さに対する罰が下される、というこを意味します。また同時に地元のコミュニティが見ている、ということを意味します。近所付き合いが密で、お互いが助け合っているコミュニティの中では尚更の事、悪事をしても見張られ、するにも出来ません。
しかし、その悪事の規模や残酷さによっては、近所付き合いなど脆くも崩れ去ってしまうこともあります。恐ろしくて手が出せない。恐怖心を植えつけた張本人は、さぞかし有頂天な気持ちになるでしょう。かつて悪事をすれば、誰かが見ていて、誰かが叱った。しかし、そんな者はどこにもいない。どんなに悪事を働こうとも、罰を与える存在はどこにもいない!

膨張した人間の傲慢が行く末は、一体何なのか。この作品も、根底の底は同じような感想を持ちました。
しかし結局のところ、人の傲慢による『業』を成した見返りは、決して全て良いものではない。事業も拡大し、順風満帆な生活を送っているかに見えても、本人には一切の笑みは無く、どこか怯えた表情で毎日を過ごす。それまでに失ったものも数多くあるでしょうに、それが掛け替えの無いものとは気づかないのか、それとも気づいている振りをして無視しているのか、自分の『利』となるものの前では、全てが塵芥と化す。たとえそれが息子であろうとも、彼にとっては重要な働き手にすぎない。お金を生み出す道具にすぎない。

灰色に染まった心は、まるで今の物に溢れた世界に住む人々のよう。いや、今に限らず、神をも恐れぬ傲慢を持つ人間は、昔から多くいたのかもしれません。この作品は、その最たる例として取り上げた題材ではないかと思いました。だって、もうすぐ枯渇するかもしれない、代替エネルギーの開発を急がねばならない、地球環境に優しいエネルギー源を確保しなければならない、そんな風潮の世の中であるにもかかわらず、今も尚、『石油』の覇権争いは、世界規模で行われているのですから。


作風は、戦前や戦直後の画風、フィルム・ノワールというような感じでしょうか。割と淡々に進み、緩急もあまり無いので、刺激を求める方にはお勧めできない作品です。まぁ社会派ドラマですし。
それに、作品そのものから、「決して観客は、主人公をはじめとするキャラクター(ほぼ全員)とは相容れない」という感じが滲み出ています。エンターテインメントを追求する作品であれば、主人公(もしくは主人公側のキャラクター)の気持ちになって鑑賞、というのもありますが、この作品は正に真逆。決して相容れてはならない、受け入れてはならないというオーラが出ています。
そもそもが、「決して他人を信用してはならない、他人は自分の『利』の為に利用するもの」という主人公の意気込みそのものからでしょう。

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2008/05/23 23:53 | Comments(0) | TrackBack() | Review - Movie
[Review] ナルニア国物語/第2章:カスピアン王子の角笛

ナルニア国物語/第2章:カスピアン王子の角笛白い魔女によって奪われた春を取り戻したナルニア国。しかしその約1000年後、テルマール人によってナルニア国は征服され、人間以外の喋る獣の姿は消えてしまう。更にその約300年後、テルマールの家督争いの危機に見舞われた正統王位継承者・カスピアン王子の吹く角笛によって、再びナルニアの王達が召喚される。
1300年前、ナルニアに平和をもたらした4人の王達が     

第1章の『ライオンと魔女』では、白い魔女が統治していた時代であれ、春を取り戻した美しい時代であれ、現実の世界から遠く離れた、誤魔化しの無い童話の世界がスクリーンに広がっていました。しかし、今作の第2章『カスピアン王子の角笛』では、そこにある光景からは、『童話の世界』はほとんど感じませんでした。僕達の住む世界の森と同じ。ただそこに佇んでいるだけの様な、眠っているか、死んでいるかの様な。
それは、今の僕達の現実の世界と同じものを彷彿させます。かつて人間は、自然に畏敬の念を抱いていました。時に優しく暖かく包み込む自然、時に牙を剥き容赦なく襲い掛かる自然。生活には欠かせない存在だからこそ、常に自然と向き合い対話してきた。しかし、科学の進歩によって、『道具を使える、言葉を喋れる』という優越感によって、自然のとは対等ではなくなり、人間の価値観で優劣を決めるようになった。
ナルニアに生きるものは、全てが対等である。互いが互いを認め、尊重するからこそ、人ならざる獣とも、対等に話をすることができる。それが無い今、ナルニアにはかつての美しさは存在しない。眠りについた世界となってしまっている。


原作者C.S.ルイス氏が『カスピアン王子の角笛』を刊行したのが1951年。第二次世界大戦が終結してまだ数年。勿論、昨今の環境問題なんてこの時代には一般的な問題として挙がってはいないと思います。そんな中でも、自然の畏敬を忘れた人間の傲慢を描くことができるというのは、氏の先見の明に他なりません。
現に、召喚された4人の王     ペベンシー兄弟とカスピアン王子ができることは、ほんの一握りでしかなかった。ナルニア国を自分達の力だけで取り返そうと画策するも、結局のところそれはテルマール族と同じ、傲慢な人間の考えにすぎず、大自然の中で自分の存在は如何に矮小なものだったかを思い知らされることになる。かつてナルニアの栄華を誇った4人の王も、ナルニアの大自然と創造神アスランの前では、非力な人間なのだ、と。しかしそれが理解できることこそ、大人への一歩、自分の世界を作り上げることの一歩ともなります。

単に夢見心地を見せるだけの、御伽噺の世界ではないナルニア国。第1章の『ライオンと魔女』にもある不思議な御伽の世界とは裏腹に、第1章の『ライオンと魔女』にはなかった、現実的な部分が垣間見える危険性を孕んでいると感じました。


劇中、「同じことは二度とは起こらない」という、アスランの言葉が重く圧し掛かります。
ラストは勿論ハッピーエンドですが、『ライオンと魔女』とは違い、どこか遣る瀬無さを感じます。失った過去も、失った栄華も、失った命も、もう戻らないのだから。けれど、過ちに気づき、それを直そうとする意思のある者だけが、未来に進むことができる。これまでのナルニアを取り戻すことはもう無理だけど、新しい『美しい国・ナルニア』を作ることができる。そこに生きる者達全ての、知恵と力次第で。それは、今を生きる僕たちに向けられたメッセージでもあるのかもしれません。

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2008/05/21 23:00 | Comments(0) | TrackBack() | Review - Movie
[Review] つぐない
つぐない映像技術の為せる業なのか、それとも彼女自身の持つ性分なのか。『プライドと偏見』、『シルク』、そして『つぐない』の中で演じられるキーラ・ナイトレイの、まるで静かに佇むような女性像には、本当に息を飲んでしまうくらいに引き込まれます。
小説の登場人物を忠実にそのままに、でも、まるで小説から飛び出たような、でもない。ましてや小説の登場人物を超えた人物像の表現でもない。僕自身のボキャブラリーのため、適切な表現が出ないのがもどかしいのですが、兎にも角にも、単に『演じる』には留まらない魅力が表れていると感じました。映画サイト内のインタビューページとかでも、彼女は原作小説『贖罪』の大ファンなんだとか。それだけ、この作品に対する思い入れがあるのでしょう。


人間誰しもが持つ感情『嫉妬』。人間は人間である限り、誰しもが持ち得る感情。所有欲を満たしたり、優越感に浸ったり、自分に目を向けてもらいたかったり。そんな些細な嫉妬心が、一組の男女の運命を大きく狂わせ、一生消えない罪悪感として心に刻まれた物語。一つ一つの過ちは些細なことのように見えても、時として人の一生の全てを変えてしまうほどの効力を持つ。
そしてその過ちは、どんなことがあっても消えることが無い。無かったことにもできない。人の一生を変えてしまった者は、それと同じくらいの業が錘となって圧し掛かる。小説というフィクションの世界とはいえ、避けることのできない因果の渦が緻密に描かれていると思いました。

そして、やはり犯した罪と報いである罰が描かれた本作の最後は、幸せになることはなく、本来なら幸せになれるはずだった心は永遠に引き裂かれたままに、男と女は朽ち果てる。そうしてしまったのは、一人の少女の嫉妬心からなる証言。その後、彼女が贖罪の道を歩むも、もはやそれを赦す相手は、この世には居ない。結局その少女も、決して晴れることの傷ついた心を抱いたまま朽ち果てようとする。
そんな少女の心を、僕たち鑑賞者にはどう映り、そしてどう判断するのでしょうか。賛否両論はあるでしょう。既に亡くなっているのだから、決して赦されるはずはない。方や、僕たちだって日常的に誰かに嫉妬心を抱いて、誰かを傷つけている。だから彼女も赦されると思う、等々。でも、引き裂かれた男女と少女の本当の苦しみは、決して分からない。それは現実の世界の出来事であろうとも。

小説の世界とはいえ、現実の世界にまるで鏡のように映し出す、重いテーマを投げかけているようにも感じます。

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2008/05/20 00:38 | Comments(1) | TrackBack() | Review - Movie
[Review] チャーリー・ウィルソンズ・ウォー
チャーリー・ウィルソンズ・ウォーテキサス出身の下院議員。熱心な信徒の大富豪。盗聴技術に才長けるCIAエージェント。
共通点は、頭の回転が速く行動力に優れ、問題に対し真っ直ぐに取り組んでいること。そして何より、性格に問題があること。「完璧な人間なんてこの世にはいない」の正に代表格とも言えそうな面々ですが、得てして、世界を変えてしまうような影響力を持つ人達って、こういった人達なのかもしれません。それに何と言っても、議員ならではの影響力やコネクション、富豪ならではの財力、CIAならではの知識や専門技術が揃っているのです。その上で性格に問題があるのですから、逆らいでもしたら最大火力で反撃されそうな気が……(汗)

この物語は、1980年前後、当時の社会主義国家の代表ともいえるソビエト連邦が、アフガニスタンに侵攻するというご時勢の物語。数回の当選くらいで取り立て実績もない下院議員チャーリー・ウィルソンが、大富豪ジョアン・ヘリングの後押しもあり、CIAエージェントのガスト・アブラコトスの助力を得て、アフガニスタンからソ連軍を撤退させようとするもの。当時のアメリカとソ連は、冷戦の真っ只中。お互いが核兵器をちらつかせるような体制で、説得に応じるなんてことはまずあり得ない。それに、ソ連に対抗するために昼夜戦っている兵士達が何よりも欲しがっているのは、食糧よりも資金よりも、ソ連軍を駆逐するための武器。アフガニスタンが自由を勝ち取るためにアメリカが採った作戦は、結局のところ、今も変わっていない血で血を洗う作戦。誰かを救うために、誰かを殺す。当時は正しいと思えても、これから先もずっと正しい選択とは限らない作戦。
結果として、アフガニスタンが自由を手に入れたのは、ほんの束の間。今の光景は、当時と劇的には変わってるとは思えません。テロリストがそこかしこに潜んでいて、昼夜問わずの自爆テロの横行。そのテロリストの犠牲になるのは、いつの時代も、どこの国でも、やっぱり子供や弱者がほとんど。一時凌ぎの、血で血を洗う歪んだ作戦は、本当の意味の幸せはもたらしてくれないという格好の形となってしまったのです。
一見すると『力が正義』という、いかにもアメリカらしい映画のように見えますが、その後の世界情勢の中で生きている僕たちからすれば、その考えがどれだけ世界を更に混沌とさせているかを知っています。そして単にアメリカだけの問題ではない、ということも。いつの時代も、「先々を見据えて作戦を練る、政策を打ち出す」ということがどれほど難しいか、身に染みるくらいに突きつける作品です。

それにしても。富める者とそうでない者の歴然とした差を並べるようにして映し出されると、しみじみ思いますね。「この世に公平なんてありはしない」って。
今正に砲弾で誰かが傷つき、誰かが死んでいる、というときに、優雅に美酒を美女を侍らせて美しい夜景に酔いしれているのですから。いくら紛争解決に問題意識を掲げているとはいえ、「これは富める者の特権だ!」と言わんばかり。実在の人物を基にした物語ですので、一政治家としての説得力は皆無に見えるのですが、今のアメリカを初めとする打算的で刹那的な政策を見る上では、とても説得力があるように見えてしまいます。全てにおいて、皮肉たっぷりの作品ですね。保守派には受け付けなさそう。

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2008/05/17 23:42 | Comments(0) | TrackBack() | Review - Movie

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