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2025/02/04 08:57 |
[Review] スパイダーウィックの謎
スパイダーウィックの謎決して開かれてはならない封印が開かれた時、この世ならざる摩訶不思議な生き物たちがこぞって世に蔓延る。普段は目に見えぬ者達を目の当たりにした時、かつてない冒険の扉が開かれる     


という予想を遥かに(悪い方向に)裏切られた作品。
要は捻くれた子供が「決して開けてはならない」本を捻くれたままに開けてしまい、人に頼るだけ頼って解決に導く物語。登場するクリーチャーやCGの技法も、特に目を見張るようなものはなく。M・ナイト・シャマラン監督の作品に、アクションを加味してちょっとした御伽噺風にアレンジしたという感じ。何も考えずに無心に帰って作品を鑑賞できますが、鑑賞後の「あれは一体何だったのか…?」という一種の脱力感に襲われる感じは否めません。
スパイダーウィック著の妖精図鑑の封印を解いた後から、次から次へを息をつくまもなく繰り広げられる摩訶不思議な出来事が起こりますので、中弛みはないと思います。展開そのものも複雑になりすぎず理解しやすいですし。ですが、本来の物語が人智を超えた出来事に子供ながらも立ち向かう、というものではないからでしょうか、僕にとっては終始ハラハラ以上にイライラされっぱなしの作品に見受けられました。

多分この作品は、色々な事がものすごい速さで飛び交って、現状を把握しきれず右往左往しっぱなしの、現代の多感なお年頃の子供が対象なんでしょう。ただでさえあらゆる出来事が目まぐるしく動く現代は、大人ですら受け入れがたいことが多い。それを傍らで見ている子供からすれば、不安で不安で仕方がないのでは。自分のことをどれだけ訴えようとしても、耳を貸そうともしない大人も多いですし。だから、たとえ『開けるな』という注意書きが書かれてあったとしても、ついつい開けてしまうのは、好奇心もそうですが、周囲を自分に向いてほしいがための行為。事実、フレディ・ハイモアが扮する双子のジャレッドは、その性格も相俟って、家族の誰にも相手にされていないようでしたから。
それに、普通の冒険奇譚の物語は、自助努力の成果によって対抗相手に立ち向かう力を得、対抗相手に勝負事だけでなく精神面でも打ち勝つことができる、というものが多くありますが、この作品はむしろ逆。様々な人を巻き込み、何とかその場をやり過ごそうとすることが多いのです。これも、やはり子供の「自分に目を向けてほしい」という意思の表れに見えて、成熟した大人からみればイライラしてしまう要因なのではないかと。
ただ、それこそがまだまだ未成熟の子供の、現実として訴えていることでもあるので、映画の作品だからこそイライラすれど、現実はそうはいかないというメッセージも込められていると思います。「子供の訴えに目を背けず、きちんと目と目を向き合って話をしてほしい」と。


しかしこの作品の、僕の中での評価がいまいちである最たる例は、妖精クリーチャー。だってちっとも可愛くない
というか、登場する妖精のほとんどが、好戦的で貪欲なのばっかりなのです。もうちょっとメルヘンな妖精が登場してもよくないですかい?

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2008/05/14 00:46 | Comments(0) | TrackBack() | Review - Movie
[Review] 最高の人生の見つけ方
最高の人生の見つけ方余命半年を宣告された、二人の初老。
一人は、大勢の家族に囲まれてはいるものの、与えられた境遇から、家族を養うのに精一杯。自分のことなど何一つ出来ずに老いてしまった。もう一人は、事業が成功し裕福な人生を送ってきたが、それは物質的なものであり、心はいつも孤独のまま老いてしまった。
そんな二人が病室で出会い、最初はただの他人同士だったのに、次第に惹かれあい、心を通わせ、そしてめくるめく夜のひと時へ……
     ってそんな話ではありません。

余命幾許も無い人が、死ぬまでにしたい、叶えたい願いを描く作品といえば、『死ぬまでにしたい10のこと』があります。話の本筋は同じ。では、この作品ならではの本質はというと、死ぬまでに願いを叶えたいというより、その願いを共に分かち合いたい、そうすることで自分が生きた証を、意味のある人生を送れたということを、誰かに知って欲しい、というところでしょうか。
沢山の家族に恵まれたけれど、全ては家族優先。自分が本当にしたいことはほとんど、というより何も無かった。本当に自分の人生は、このままで終わってしまうのだろうか。
経営が軌道に乗り、世界を一周できるくらいの資産がある。しかし、周囲に群がる人間どもは、自分というより自分の資産に目を向いているような気がする。本当に自分に目を向く人など皆無に等しい孤独の人生、このままで終わってしまうのだろうか。
終わりに近づいているからこそ、自分の人生をこれまで以上に輝かせる。それも勿論そうですが、何より『本当の自分』と向き合ってくれる、よき相棒を持つこと。それが、この作品で伝えたかったことではないかと思います。


こうまでいくと、ホロリと涙を誘うような物語のように思いますが、主演がジャック・ニコルソンとモーガン・フリーマンの両氏なのだから、単なるお涙頂戴映画に留まるはずがありません。
気の利いた洒落や皮肉、ユーモアたっぷりの絶妙な演技。最後だから無理してでもドーンと花火を上げよう、というのもあるけれど、そんなのは自分の性には合っていない。最後まで本当に自分のペースで、自分の好きなままで時間を過ごす。これは、ジャック・ニコルソンが演じるエドワード、モーガン・フリーマンが演じるカーターの物語、というより、ジャック・ニコルソン、モーガン・フリーマン両氏そのものによる、気ままな旅、といっても過言ではないでしょうか。

同じ願いを叶えるんだったら、一人より二人の方がいい。その方が、自分の生きた証が、自分の本当の姿が、どちらかの記憶に刻まれるから。
人間はいつか死ぬ。お互いの記憶にしか残らないとすれば、両方とも死ねば何も残らない。でも、「何も残さない」よりは十分マシ。誰かと分かち合うことが出来たと、満たされた心のままに、点に召されることが出来るから。
そんな気持ちで送ることが出来る人生って、本当に幸せなことではないでしょうか。

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2008/05/10 21:57 | Comments(0) | TrackBack() | Review - Movie
[Review] ブラックサイト
ブラックサイト刑法第62条 幇助

1.正犯を幇助したものは、従犯とする。
2.従犯を教唆したものは、従犯の刑を科する。



あり得なさそうで実はあり得る可能性を秘めているスリラー作品。
とある殺人サイトに掲載されているのは、リアルタイム動画と閲覧者のコメント。動画には、手足を縛られ、猿轡を咥えさせられ、身動きも声を出すこともできない生の人間。閲覧者が増えれば増えるほど、その人間にジワリジワリと死が訪れる。あっさりとは死なない。苦しみながら悶えながら。
そしてその手法はあまりにも残虐。死んだ後に残った死体も、もはや救いようがないくらいに無残な姿になってしまいます。

さて、閲覧者が増えるほどその人を死に追いやっているのなら、その閲覧者には殺人幇助罪が適応されるのでしょうか? だって、閲覧者は、まさか自分の閲覧行為が、本当にその人を死に追いやっているとは思わないでしょう。ただそのサイトを見ているだけ。誰しもがそう思うはず。また、意識的に殺人幇助として閲覧しているならともかく、興味本位で、捕らえられた人の身を案じて閲覧している人もいるかも。
更に、この作品の殺人劇の舞台は、何といってもインターネット。世界のどこからでも、殺人サイトにアクセスできます。だから、管轄云々に縛られている場合じゃありません。そして、閲覧者は何も1人とか2人ではありません。時には数十万、数百万の閲覧者が一気に閲覧する。もしこれが殺人幇助なら、その閲覧者数百万人全てを逮捕するのか? まず不可能でしょう。一度にそんな数の閲覧者を突き止めるのは困難ですし、ましてやその閲覧者を突き止めて逮捕するのは至難の業。そうこうしているうちに、新たな犠牲者が出てしまいますし。


この作品は、目に見えない、目の前にいない犯罪者を、どのように探し、追い詰めていくか、というサスペンス作品でもあります。が、それ以上に、インターネットに潜む『何気ない興味本位』が、人を不幸に陥れることがある、ということ。勿論、『何気ない興味本位』そのものが悪というわけではなく、『何気ない興味本位』を利用した悪事が蔓延している、ということ。フィッシング・サイトは正にその最たる例ですね。
しかし、人間の持つ興味本位は、いや、人間だからこそ、その興味本位を絶つことは出来ない。これから、新しい技術が生まれるにつれて、更にその技術を用いた犯罪が多くなることでしょう。結局はいたちごっこですが、それでも、放置することは出来ません。人に見舞われる不幸を食い止めるために。

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2008/05/08 23:18 | Comments(0) | TrackBack() | Review - Movie
[Review] NEXT
NEXTとにかく気楽に観てください」というに相応しい映画。別に無下にしているわけではありませんよ。繰り返し鑑賞したいか、というとそうでもありませんが、かといって観るに耐えないものでもなく。観る作品がなくて困っている方に、という感じでしょか。まぁ、お勧めという作品ではないことは確かです。好きな方には申し訳ありませんが……。

だってこの作品、とりわけ目を見張るようなシーンはありません。この作品ならではの特殊な技術が使用されているわけでもなく。単に主人公の先見を繰り返し映している、というもの。それもどちらかというと、「これからこんな未来が来る」というものというより、「こんな行動を取るとこうなる」という、本当に自分本位の先見がほとんど。しかもかなり自分本位の願望や欲望が映し出されて、『ジャンパー』といい勝負。
そして、もはやお約束といっていいでしょう、いきなりの能力アップ。本来は2分先の未来が見えるのに、いつの間にか2時間先とかが見えるようになってしまい。説明は勿論、予兆すらも何も無いわけですから、観ているこちらとしては、「??」というのが多いのです。ですので、余計なことは考えず、気楽に観てください、というのはそういうこと。
だって、囚われの身で交通の足も何も持たない(つまりは歩くか走るのみ)のに、数km先の自分が先見した場所へたった2分で到着するのは不可能。にもかかわらず先見の前の時間に到着することができて「実は2時間先の先見」って…!! 僕としては「何じゃそりゃ」って感じでした。いきなりパワーアップしないでください(プリコグの能力って、見た目だけではパワーアップが計りにくいし)。ヒーローアニメのお約束じゃあるまいし。

ただ、もしこれで視覚効果がダメダメだったら、本当にどうしようかと思うくらいの作品になっていたと思いますが、それは僕の見た目では大丈夫に思いました。先ほども申しましたように、この作品ならではの特殊技術が使われたわけではないですけれど。主人公の「先が見える」という能力と現実空間との掛け合いをスムーズに映し出しているのは、良かったと思います。
あとは、自分の今の立場がどうなっているのかをきちんと把握していることでしょうか。『ジャンパー』は本当にやりたい邦題でしたが、この作品は「自分本位の行動を取ると、この先何もメリットはない」と考え、時には協力することも必要と考えていきます。その部分は『ジャンパー』に比べれば評価できるところでしょうか。


それにしても、多かれ少なかれこれほどまでに未来を変えることができていいのでしょうか? 『ジャンパー』は、瞬間移動を繰り返すことによって空間に歪みができる。逆に、先見を繰り返すことによって、時間に歪みができてもおかしくないのでは、と思うのですが…
まぁ、そんな突っ込みを入れ続けると作品として成立しなくなると思いますので、このへんで(汗)。

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2008/05/06 00:44 | Comments(0) | TrackBack() | Review - Movie
[Review] 相棒 -劇場版-
相棒 -劇場版-言わずと知れた人気ドラマ『相棒』の映画化作品。
刑事ドラマというと、法規を逸した行動力を発揮する熱血刑事ものだったり、力は衰えても熟達した知恵と推理力を揮わせたり、更には「本当に刑事?」というようなキャラクターが活躍したり。『24』でも同じようなものですが、洋の東西を問わず刑事ドラマというのは、そういったいそうでいないキャラクターによる活劇が人気を博しているのですね。
刑事ドラマの映画作品といえば、日本でも数多く公開されています。中でも人気の作品といえば、『踊る大捜査線』とか『あぶない刑事』でしょうか。刑事ではないですけれど、検事ものでいえば『HERO』とか。映画が公開されるや否や、僕の周囲でもその話題に持ちっきり。特に『踊る大捜査線』では、登場人物からスピンアウトした作品までありますし。しかしそれですらあまり琴線に触れなかった僕。「微妙に非国民」とか言われたり…… orz

それなのに『相棒 -劇場版-』は観てしまいました。ドラマも見ます。仕事の関係もあって毎回ではないですけれど。
何と言ってもまず、バランスのよさでしょうか。単に熱血一筋の刑事が諸所奔走するだけではない。単に頭脳明晰の刑事が沈着に事件を解明するだけでもない。それだけのキャラクターでしたら、既に数多くのドラマで既出ですので、これほどまでの人気は博さなかったでしょう。全く正反対と言っても過言ではない2人の刑事が出演して、しかも手を取り合って互いに協力しようというわけでもなく、お互いがお互いの個性と持ち味のままに行動するのに、妙に息が合う。そんなところがこの作品の魅力なのかもしれません。
まぁ、勿論個性を通り越した性格というのも一つの持ち味なのかもしれませんけれど。ネジがどこか飛んじゃってるような亀山刑事と、ネジが余計に締まりすぎてるような杉下刑事。ただでさえ扱いづらいのに、それでも妙に息があるコンビネーション。期待を裏切らない展開でありつつも、時には大きく期待を裏切る展開。人気の理由は、ここにもあるのかもしれません。


そして映画に関しても、頭脳戦と体力戦を交互に演出した、緩急のリズムがある面白い作品であると思います。これもまた、『相棒』の作品としての魅力の一つでしょうか。緊張感たっぷりのアクションシーンが絶えず続くわけでもなく、ずっとデスクやパソコンに睨めっこで机上で推理を展開するわけでもなく。
また、設定としては大げさながらも、単に刑事ドラマの枠には留まらない、多彩で且つ難問だけれども理解しやすい仕掛けが多く散りばめられており、鑑賞しているこちら側も、思わず推理しながら観てしまいました。「推理する時間と余裕が与えられる」というのもいいですね。大抵の刑事ドラマは、推理する余裕も与えず単に展開ばかりが進みがちですが。まぁ小説や漫画と違って、後戻りできませんから。
難を申し上げれば、ほんの数人が仕掛ける犯行としては、いささかスケールが大きいのでは、ということ。用意周到な上に、一つ一つの仕掛けが割と大きいので、最初は単独犯ではなく数人の犯行グループだと思ってしまいました。次に、もうちょっと警察らしく先読みして欲しかったということ。まぁ作品の展開上それは難しいかもしれません(汗)。あまりに先読みしすぎれば、それだけで興醒めしてしまうこともありますし。


2人の特殊な人物の活躍と同じように、この作品に注目すべきなのは、政財界の魑魅魍魎の多さ。これは、何も作品の中だけでなく、現実の世界でも同じことです。言うまでも無いことですが。そしてその魑魅魍魎は、僕を含めた人間全員の中にも潜んでいる、ということ。
特に日本人はそうでしょう。身近に戦争がないからこそ。テレビ等で報道される戦争を他人事のように見ているからこそ。誰かを助けたいという淀みの無い純粋な心ですら、魑魅魍魎の前では無惨にも穢されていく。
コナン君を非難しているわけではないんですけれど、僕は『真実』は一つとは限らないと思います。勿論『事実』は一つですけれど。その事実を元に、人が考え、その事実をどう捉えるか、というのが、『真実』ではないかと思います。
例えば、純粋に刃物の扱いを取り違えて人を刺し殺してしまった。『殺人を犯した』のは紛れも無く事実。でも、殺意は全く無かったのは真実。そして、たとえ殺意が無くても遺族にしてみれば大切な人を被害者を殺されてしまったのもまた真実。

大切なのは、誰かがそう言ったから私もそう言う、のではなく、『自分自身』としてどう言うのか、どう考え、どう行動に出るのか、ということ。『自分自身』として最善を尽くすこと。2人の刑事の行動は、観る者にそう問いかけているように思えました。

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2008/05/03 23:15 | Comments(0) | TrackBack() | Review - Movie

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