日本の特撮系戦隊モノのような、一糸乱れぬ統率されたチームワーク、コンビネーションとは全然違うものの、ダイナミックさを前面的にウリに出しているヒーロー映画。シンクロナイズド・スイミングとかでも、緻密性や芸術性で戦っている日本勢に対し、体格の大きい海外の選手は、その体格を活かして終始ダイナミックな演技を武器にしているのと同じようなものでしょう。
が。
『スーパーマン』しかり『スパイダーマン』しかり、最近のVFX技術や音響の進歩で、たった一人のヒーローでさえも、その活躍振りはリアリティ以上にド派手になっておりますが、それが複数人、しかも二人とか三人とかのレベルではなく、個性豊な能力を持つミュータントが十人やら二十人やら登場したらどうなるでしょう。
案の定、開いた口が塞がりませんでした。
終始(声には出してませんけど)、「うっひょー!」と叫んでましたよ自分。
あまりの爆音の多さに、映画館自体に地響き発生。
この映画は、映画館でなければその魅力を味わえないものになってしまったのでは。家の普通のテレビでDVDを再生して観る様な、そんなスケールに留まれる作品ではありません。強いて言えば、ホームシアターをお持ちの家であればよろしいかと思いますが、この作品の迫力を存分に味わいたいのであれば、防音・耐震は必須と思われます。
まああれだ。
『X-MEN』シリーズは、このド派手さだけでも十分見世物になるんだな。
しかし、この作品は、シンプルながらも意外に物語はしっかりとしたもののように感じました。
ミュータントを元の人間に戻せるよう開発された治療薬『キュア』。迫害され続けたミュータントたちにとって、『普通の人間』として生きることが幸せなのだろうか。それでも、ミュータントとしての個性を活かしたままで、人間社会との融和を図りたいX-MEN側と、ミュータントを普通の人間にするという傲慢な考えを根絶やしにするブラザーフッド側の最後の対決。
そこに現れた、かつて死んだはずのジーン・グレイ。この抗争のためにタガが外され、潜在する全ての力を余すことなく解き放たれた彼女を止める術は?
前作まで、あまり印象の濃くなかった『X-MEN』シリーズですが、荒唐無稽な超ド派手アクションに加え、あまりにも悲しすぎるラストであったため、最後の作品らしく十分観応えのある作品でした。
ちなみに。
クレジットが終了した後でも、僅かですが映像が続きます。
この映像、『X-MEN』を観ていない僕としては「??」な展開ですが、それでも何気に衝撃的でした。多分、アメコミからの『X-MEN』フリークの方であれば、衝撃を上回る感動を覚えるの……かも??
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なぜかって? やっぱり「進化」には、必然性 が不可欠ですよ。
例えば、核戦争とか宇宙植民とかで、過酷な環境に適応せざるおえなかったとか・・・そういう背景がないと、ただの 超能力ショー に終わってしまいませんか?
私 ファイナルは見てませんが、Cyber さんの記事を読んでいて、その思いがさらに強くなりました。
ミュータントに対する脅威はわかりますが、おっしゃるとおり 普通の人間にするというのは傲慢な考えですよね。なぜ、ミュータントが生まれてきたか?そこのところが描かれてないからよけいにそう思います。
ちょっと気むずかしかったですね(笑)。また来ます。 by ポン太
ご来訪・コメント・TB有難うございます。
ポン太様のコメントを頂いて、『X-MEN』が何故あまり印象深くないのかがわかりました。
確かに、バックボーンとか誕生秘話とか、人間に迫害されるまでの過程や辛辣な日々、というのが無いんです(多分あるんでしょうけれど、個人的に希薄に見えました)。
それに、超能力を持つ人間が十人も二十人もいれば、誰に感情移入したらいいか分からなくなるし、個々人のエピソードも入れにくい。入れたところで「何故この場面で??」という感じに。
つまりは、『超能力オンパレードのビックリ人間バーゲンセール』が、この映画の売り、なんですな。
ただ、ファイナルはストーリーとしてもシンプルでありながら、分かりやすいとは思いました。でも、少なくとも前作に比べたら、に過ぎないと思いますが(笑)