「この間、ハワイに行ってきちゃったー。デヘヘー。」
「え? 福島の?」
「………………」
なーんてお軽い応酬してたもんですが、当の常磐ハワイアンセンター(現:スパリゾートハワイアンズ)の誕生秘話は、決してお軽いものではなく、殆ど誰にも支持されない状態の、非常に難産なものでした。ただ、難産で生まれたからこそ、どこよりも、何よりも素晴らしいところにしていきたい。そんな願いが、この常夏の楽園に秘められたのでしょう。
寒さが厳しく色の無い北国の炭鉱生活から、カラフルで暖かい南国の常夏の国へ。
先祖代々、炭鉱で仕事をすることが宿命だった、他の夢を持つことは許されなかった彼らが、街の再興のために賭けた夢。しかもそれは、端から見れば荒唐無稽な夢。最悪の道。
でも。
最初はほんの出来心でも、次第に常夏の美しさ、華やかさ、凛とした格好よさに惹かれていく。「ここだったら、私の夢が叶うのかもしれない」
それから先、どんな苦難が待ち受けていようとも、諦めてしまえばそこで終わる。
願い続ける。強く、強く。
他の何者が、己をどのように強いようとも。
その願いの強さは、やがて人を変える。
人を変える程の願いは、その強さを大きくし、やがて一つの街を、国を、そして歴史をも飲み込む。40年を経た今でも、多くの人に愛される秘訣が、そこにあるのではないかと思います。
しかし、この舞台にはあまり大きく描かれていなかったものの、閉鎖される炭鉱を目の前に、他の仕事に移らざるを得ない、先祖代々続けてきた仕事を、捨てざるを得ない。苦しくても泥臭い仕事でも、その選択は身を切るような想いだったのでしょう。
今でこそ、会社に合わなければスパッと簡単に辞めてしまうような、正直『職業の多様化』というにははっきり言って程遠い現象が身近に発生しています。が、苦しくても、泥臭くても、彼等は彼等なりの、仕事に対する情熱と誇りがあったのでしょう。
だからと言って、他者の情熱を否定できるわけではありませんが、今まで信じてきな道から大きく変わらなければならない、という選択は、彼等にとって残酷な選択だったのかもしれません。
常磐ハワイアンセンターは、何も無いところからポッと出来上がったものではない。
炭鉱地という豊富な温泉源があったからこそ、成し得た事業である事も、忘れてはならない。
色々な人の血と汗と涙で、作り上げた『常夏の国』なんでしょうね。