しっとりと流れるようなキャサリン・セダ=ジョーンズ様のまとまった髪にも、働きすぎで疲れが出ているかのごとく沢山の後れ毛が。それでもキャサリン様に魅了されずにいられないのは漢の性なのです!
……ってすみません、少々(?)暴走気味でした。要は僕はキャサリン・セダ=ジョーンズ様の大ファンですってこと。
さて、あらゆることに完璧を期すあまり歯車が噛み合わず、結果として色んな失敗、挫折に繋がるというのは、ものすごく共感できます。それも、「肩の力を抜け」という理屈は分かっていても、それを念頭に置くとかえって自分に甘えが出てくるから、「『全てを完璧にはこなせない』ということに甘えない。限りなく完璧に近い結果を出す」とわざと自分をより厳しい立場に追いやる。自分を突き詰めれば突き詰めるほど、緊張感が出るけれど、その反動もまた大きい。それでも、自分を緩めるわけにはいかない。悪循環スパイラルですね。
僕の一番嫌いな存在といったら、何と言っても自分自身なんです。「全てが思うようにいかない」と分かっているのに、「思うようにいっていない」ことに、常時腹を立てていたり。
それだけならまだしも、僕の場合は他の人と比べかなりダメなところがありまして。自分で立てた目標なのに、「忙しい」という甘えを理由にやる事為す事中途半端。客観的に見れば、忙しく見せているだけのただの怠け者。だからできていないのは自分の業の所為。できていない、やっていない、尚且つやれないことに目標を設けるなと自己嫌悪。最悪です。
そういう自分を最悪に追い詰めると、「ああ、人って独りでは生きていけない、というのは本当なんだなぁ」としみじみ実感します。大抵、自分が自己嫌悪に陥るスパイラルは、自分で自分を追い詰めるための所業がほとんど。でも、もし、一緒に頑張ってくれる、叱咤激励をかけてくれる人がいると、違った道筋になるかもしれない。全部が全部を自分でマネジメントしようとするから、変に肩肘が張ったり、変なところで曲解を生んだり。自分の目標なんだから自分でマネジメントするのは当然だけど、全てが自分の思い通りにいくわけがない。けれど、それを支え合う、理解してくれる、共に歩んでいける人が他にいるのであれば 。
この作品での『共に歩む役割』といえば、仕事のパートナー、アーロン・エッカートであったり、姪役を演じるアビゲイル・ブレスリンですが、彼等のような存在が傍らにあることで、今までにない『自分のマネジメント』をコントロールすることができる。そこがすごく羨ましいと思い、ちょっと涙が出てしまいました。
かつては人の心を封印し、それが表に出ることを恐れて我武者羅に何かに没頭する僕自身。ようやく『人の心の触れ合い』に解放しようとしても、独りだからまだまだうまくいかず。
どんな人生であれ、『自分』と共に歩んでくれる人というのは数えるくらいしかいないだろうし、仮にいたとしても巡り合えるかどうかも分からない。でも、そんな人に出会うことができて、自分と一緒に歩いてくれるのなら、きっと、これ以上の幸せはないんじゃないのでしょうか。
……ってすみません、少々(?)暴走気味でした。要は僕はキャサリン・セダ=ジョーンズ様の大ファンですってこと。
さて、あらゆることに完璧を期すあまり歯車が噛み合わず、結果として色んな失敗、挫折に繋がるというのは、ものすごく共感できます。それも、「肩の力を抜け」という理屈は分かっていても、それを念頭に置くとかえって自分に甘えが出てくるから、「『全てを完璧にはこなせない』ということに甘えない。限りなく完璧に近い結果を出す」とわざと自分をより厳しい立場に追いやる。自分を突き詰めれば突き詰めるほど、緊張感が出るけれど、その反動もまた大きい。それでも、自分を緩めるわけにはいかない。悪循環スパイラルですね。
僕の一番嫌いな存在といったら、何と言っても自分自身なんです。「全てが思うようにいかない」と分かっているのに、「思うようにいっていない」ことに、常時腹を立てていたり。
それだけならまだしも、僕の場合は他の人と比べかなりダメなところがありまして。自分で立てた目標なのに、「忙しい」という甘えを理由にやる事為す事中途半端。客観的に見れば、忙しく見せているだけのただの怠け者。だからできていないのは自分の業の所為。できていない、やっていない、尚且つやれないことに目標を設けるなと自己嫌悪。最悪です。
そういう自分を最悪に追い詰めると、「ああ、人って独りでは生きていけない、というのは本当なんだなぁ」としみじみ実感します。大抵、自分が自己嫌悪に陥るスパイラルは、自分で自分を追い詰めるための所業がほとんど。でも、もし、一緒に頑張ってくれる、叱咤激励をかけてくれる人がいると、違った道筋になるかもしれない。全部が全部を自分でマネジメントしようとするから、変に肩肘が張ったり、変なところで曲解を生んだり。自分の目標なんだから自分でマネジメントするのは当然だけど、全てが自分の思い通りにいくわけがない。けれど、それを支え合う、理解してくれる、共に歩んでいける人が他にいるのであれば
この作品での『共に歩む役割』といえば、仕事のパートナー、アーロン・エッカートであったり、姪役を演じるアビゲイル・ブレスリンですが、彼等のような存在が傍らにあることで、今までにない『自分のマネジメント』をコントロールすることができる。そこがすごく羨ましいと思い、ちょっと涙が出てしまいました。
かつては人の心を封印し、それが表に出ることを恐れて我武者羅に何かに没頭する僕自身。ようやく『人の心の触れ合い』に解放しようとしても、独りだからまだまだうまくいかず。
どんな人生であれ、『自分』と共に歩んでくれる人というのは数えるくらいしかいないだろうし、仮にいたとしても巡り合えるかどうかも分からない。でも、そんな人に出会うことができて、自分と一緒に歩いてくれるのなら、きっと、これ以上の幸せはないんじゃないのでしょうか。
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