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2024/11/24 03:41 |
[熊本] たとえその出会いが小さくとも
普通に考えれば、東京在住の人間が、観光目的で、日帰り熊本に行く、なんてことは、決して無理ではないにせよあまりにも突拍子なことでして。方々から、「無謀」だとか「余裕がない」とか、散々なことを言われてしまいました。ええ、勿論分かっております。それが如何に変態じみたことであるかは。
それでも、今このタイミングで熊本に行きたい、と思ったのです。本当に衝動的ではあるのですが。

きっかけは、この本を読んだことによること。


よし、かかってこい! はい、わかりました。


著者は、大野勝彦さん。
もともとは、画家でも無く詩人でもなく、農家の方でした。ある時、トラクター操作の事故で、両手(肘より先)を切断を余儀なくされてしまいます。そこから先は、後悔の連続だったり、図らずも家族にその不安や不満をぶつけてしまったそうですが、その中でも、家族の方々は懸命に心配してくれた、看護してくれた。初めて、周囲の、特に家族の愛を心から感じた、ということです。
それからというものの、両手を無くしたら無くしたなりに、自分に出来ること、したいこと、そして何より、笑顔と感謝の気持ちを忘れずに持ち続けながら、今日に至っています。

忙しい毎日の中で、何気なく手にし、その言葉の端々に感動したことを覚えています。が、当時、それも心から湧き上がる感動ではなく、頭の中で完結してしまったもの。本当の意味での感動とは、よほど遠かったように思います。
そして、今回の統合失調症と休職騒動。全てにおいて自分の身の振り方が犯した間違いであるにも関わらず、悶々と嫌悪にふけていました。自分だけでなく、自分以外の何かに対しても。他者は勿論、目に見えやしない運命とやらにも。誰かに、何かに、その過ちをぶつけてしまいたかったのです。
そんな時に、再度この本を読みました。内容は購入した時と全く変わらないのに、飛び込んでくる想いが、重さが、全く違う。感動とか、感銘とか、そんな生易しい言葉では言い切れない思いでいっぱいになりました。もっと言えば、その言葉に、(勿論いい意味で)心を、気持ちをぶん殴られた、ような。

その時の衝動が、「大野勝彦さんに会いたい!」という気持ちを駆り立て、今回の熊本旅行に至るわけです。
そのため、熊本空港に到着した瞬間から、真っ先に、『風の丘 阿蘇 大野勝彦美術館』へ参りました。


エントランス(風の丘 阿蘇 大野勝彦美術館) 美術館からの風景(風の丘 阿蘇 大野勝彦美術館)


九州であるにもかかわらず、阿蘇という土地は、高地の土地柄のため、5月上旬に雪が降ることがあるそうです。実際に行ってみっても、晴れて空気が澄んでいる、初夏の季節にもかかわらず、時折半そででは少し寒いと感じる風が吹いていました。しかし、環境は爽やかそのもの。コンクリート・ジャングルの中では味わえない空の下に、大野勝彦さんの美術館があります。

大野勝彦さんの作品は、全てが水彩。阿蘇を中心とした、風景や動物、植物の絵、とりわけ、見過ごされがちな植物の絵が多くありました。そこに、黒い墨で言葉を書く。飾らない、気取らない、心の中のありのままの言葉を、たとえそれが幼稚に見えてもお構いなく、キャンパスにしたためる。両手を失ってから現在に至るまで、彼が積み重ねてきた想いを、一枚一枚に丹念に込めて描き、綴っています。それは、彼を育んだ土地と環境に、彼が共に歩んできた奥さんやお子さんたちに、そして何よりも彼が愛する、ご両親に対して。

ただでさえ、以前に手にした彼の著書の言葉の端々にこみ上げるものがあるのに、この美術館に来て、その気持ちを一層深く再確認することが出来ました。そして、これまでの自分自身が、如何に小さかったか、ということも。


今回の旅の目的は、大野さんの美術館に行き、出来ればご本人にお会いすること。勿論、ノンアポ。
なので、基本的に会えないことを前提としていたのですが、展示スペースを回り、ショップのコーナーに立ち寄ろうとした瞬間、ご本人がいらっしゃったことに驚愕! 義手を付けて、これからその日描く絵の準備をし、テラスに出たところでした。
大野さんご自身としてやりたいと感じた「絵を描く」ということ。それでも、ご高齢であることに加え、身に着けているのが義手である以上、その一枚一枚を描くには、相当の集中力と根気が必要ではないかと思います。しかも、一つ一つが真剣勝負と言わんばかりの気迫が背中から発揮され、声をかけようかかけまいか、うろうろと迷っておりました(←小心者)。まぁ、こんな堂々巡りに余計なことを考えてしまうことろが、人からよく、「良くも悪くも図太さ、図々しさが無い」と言われる所以ですが……
そんな中、一組の老夫婦が、スタッフの方に「サインしていただいてもよろしいでしょうか?」と声をかけたため、便乗して僕もサインしてもらうことに!(←超小心者) 老夫婦のサインのあと、僕も購入した本に、サインをいただきました!


大野勝彦さんのサイン


年甲斐もなく緊張してしまい、後々になって、「あー、一緒に写真撮っとけば良かったー!」なんて思ったりしたものですが、それはそれで置いときまして。
『勝彦』という名前と、これまで農業に従事していたこと、親分肌のような人格ということから、もっと厳つい方かと思っていましたが、常に笑顔を絶やさない(というより、もはや笑顔がデフォルトになっているかのような)好々爺、という感じの方でした。絵を描いている最中にもかかわらず、気さくに請け負っていただいて。お年を召しているから、確かに往年の時の写真と比べると一回り小さくなったような印象を受けますが、それでも、堂々とした大きさなハートを持つ男を彷彿させました。

そして、握手。大野さんは義手を取り外し、肘から下がない腕を差し出しました。普通なら、直視したくない現実。でも、僕はその手(手ではないけど)を握りました。指の感触の先には、肘から先が無い骨の感触。笑顔でいたいのに、どこか顔が歪んでしまう。でも、この腕は生きている! もう、それまでと同じようなことは出来ないけれど、それでも何かを成す為に生きようとしている! 皺が増えた初老の男の腕であっても、そんな想いが伝わり、笑いたいのに、泣くのを堪えようとしている自分がいました。
最後に、ポストカードを記念にいただきました。本当に、何から何まで感動しっぱなしでした。


おそらく、彼にとっては、僕はただ一人のお客さんに過ぎないかもしれません。彼にとっては、ほんの数分の出会い。でも、僕にとっては、その数分の出会いは、たとえ小さくとも、何物にも代えがたい出会いになりました。
今回の僕が引き起こした騒動は、もはや変えることは出来ないし、無かったことにも出来ない。その事実は一生付きまとい、きっと何かにつけて僕を苛む。そして、その騒動以上の苦しい現実が、これからも引っ切り無しに迫りくることでしょう。
それでも、それを乗り越えなければならない時が来る。今回の大野勝彦さんとの出会いは、小さいながらも、今後の自分の人生に対し、しっかり前を向いて、時には歯を食いしばって、一歩一歩進むための勇気と気概を貰ったと思いました。てんで未熟だし、人の足を引っ張る毎日が続きそうな気がしますが、それでも、自分と自分の取り巻く人生に目をそむけず、たとえ小さくても、少しずつ前に進んでいこうと思います。


今回の旅では、他にも阿蘇と熊本市内を少し回りましたが、それはまたいずれ……



『風の丘 阿蘇 大野勝彦美術館』についてはこちら
『熊本県』の写真集については
こちら

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2011/06/04 23:41 | Comments(0) | TrackBack() | Outdoors

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