「お前にこれを授けよう。」
そう言われて受け取ったのが、何の変哲も無いリモコン。1~12までの数字があるから、テレビのリモコン? というか、何でドラゴンがテレビのリモコン?
「これは天候を自在に操るリモコンだ。10のボタンを押してみるがよい。」
言われるままに押してみると、快晴だった空が突如として曇り始め、雨が降り始めました。
「11や12のボタンで、雨の強弱を調整することが出来る。」
ドラゴンの言うとおり、11、12とボタンを押す毎に雨の強さは強くなり、12のボタンでは窓を激しく打ち付けるくらいの雨足に。その他のボタンを押してみると、風の強弱や方向、雷を鳴らしたりすることができました。
「これは凄いですね! 好きな時に雨を降らせたり出来るんですね!
で、晴れに戻す方法は?」
「………………………」
「………あの?」
「そんなものは無い!」
「はい?」
「私は水を司る神なのだからな。晴れに戻す方法など知らん。ではさらばだ。」
そう言い残して立ち去っていきました。
それからというもの、降り止まない雨のおかげ電車のダイヤが乱れるだの、到着駅に着くなり傘を買わなければならないだの、結果は散々。何だったんだあのドラゴンは。
というところで目が覚めました。
しかしドラゴンから貰ったリモコンが、実家の古いテレビのリモコンにそっくりで、試しに押してみましたが、当然雨や風など呼び起こすことなどできず。普通にテレビがついて、普通にチャンネルが変えられるだけなのでした。
9月4日日22時50分ごろ、横浜市旭区鶴ケ峰2の路上で、神奈川県警大和署の巡査長(33)が県立高2年の男子生徒(16)が持っていた拳銃形のライターを取り上げて捨て、顔を数回平手打ちした。男子生徒は軽傷を負い、通行人の110番で駆けつけた県警旭署員が小磯容疑者を傷害容疑で現行犯逮捕した。
県警監察官室の調べでは、小磯容疑者は事件直前、男子生徒と同じ相模鉄道に乗車。男子生徒が回転式拳銃の形をしたライター(全長36センチ)を乗客に向けていたため、鶴ケ峰駅で下車後に「いたずらしてはだめだ」と注意したところ口論になった。小磯容疑者は大和市内で同僚と酒を飲んで1人で帰る途中だった。「いたずらをしていたので注意するつもりだった」と供述しているという。
暴力を以って応えるというのは良くないことですが、危険な行為をした高校生に対して注意をするのは、治安と安全を守る警官として当然のこと。というか、ニュース記事を見た限りではありますが、大雑把に言えば「悪いことしたから、おしりぺんぺん」的な内容なのに、何故にこんな大ごとにまで発展したのでしょう……
その平手打ちが、相手の高校生を病院送りするくらいのものだった? うーん、そこらへんの事実関係がいまいちなような気がしますが……
そのため、この巡査長に対する処罰を軽くしてほしいという連絡が、各地から殺到している、とのことです。
このニュースを見た知人が、琴線に触れたのか大いに奮い立ちまして。
「ったく何なんスかねこのニュースっ! (注意で逮捕なんて)ふざけちゃいませんかっ!?」
まぁ、はっきり注意出来ない大人達が多いので、勇気ある行動だと思いますが。
って、何でそんなにヒートアップを…?
「電車の中でライターなんて! ふざけているにも程がありますよ、この高校生!」
おおお落ち着いてください! 確かに許せる行為ではない、というのは、
アナタでなくても皆同じですから!
「もしオレが巡査長の立場だったら、電車内を引き摺り回してボッコボコに
殴ってますよ!」
分かります分かります過激ですけどスッゲーよく分かります!
だからクールダウンしてください、マジお願い!
「それでも厳罰するんだったら、所轄に殴り込…
ちょっ それは危険! 危険ですってば!
誰かっ! 誰かこの人止めてー!!!
この人は非常に正義感が強くて尊敬できるのですが、熱くなりやすいのが悩みの種。まぁそれも、いい意味でのパーソナリティなのですけど。ただまぁ、こういうふうなニュースを見ると、マタドールに向かう闘牛のようになってしまうのです。
しかし、こんな危険極まりない物騒なものを振り回す高校生に、生半可な注意では効かないことも確か。相当甘やかされて育ったのではないかと。そこに、ビシッと注意できる大人。ちょっと(?)過激ではありますが、こういう人が今の社会には必要なのかもしれません。
新ビジネス“謝罪屋”が登場、複雑化した社会が背景か―安徽省合肥市
新ビジネスが続々と登場する中国。レコードチャイナでもこれまでに病院の番号札を売る“並び屋”、老人相手におしゃべりをする“公園ホステス”などをお伝えしてきたが、今度は人の代わりに謝る“謝罪屋”がお目見えした。
2007年8月、安徽省合肥市である会社がこんな広告を出した。「都市生活には様々な矛盾が付き物。人間関係でトラブルが起きたが謝りづらい、謝りたいがどう切り出せばよいかわからない…そんなあなたに代わって私たちが謝ります」。
謝罪方法は花を贈る、カードを送る、手紙を出す、旅行をセッティングする、相手の指定場所に謝りに行く…など。気になる代金は80元(約1280円)からで、謝罪にかかった時間、労力、トラブルの複雑程度、謝罪回数などによって割り増しとなる。これまでに恋人、親子の仲直りから、企業同士のトラブル解決まで多くの人が利用しているという。
「こんなビジネスを考えつくなんて、さすが中国!」なんてひやかす輩もいるようですが、日本にも『1文字5円で卒論代行』なんてあるくらいですから、決して他人事ではありません。
僕自身としては、何も知らない赤の他人に謝られても嬉しくないし、ましてや他人に謝らせるなんて言語道断。勿論、うまい謝り方、TPOを効かせた謝り方というものもありますから、他人の意見を参考にすることはあっても、最終的に謝るのは自分です。その方が、自分も、そして謝られる側もすっきりするでしょうし。
『お金で買えない価値がある』。正にその通りだと思います。
色んなモノやサービスがお金でまかなえる時代になりつつある。でも、どんなにお金を出しても買えないものだってある。
「あの時、安易にお金で解決なんてしなければよかった」なんて後悔しないように、出来る限りのことを、やっていきたいと思います。
僕のマイミクの方の日記に、面白いものが掲載されておりました。
その名も、『天国からのメッセージ』。
かの有名(?)な『脳内メーカー』と一緒で、名前と性別、生年を入力すれば、未来の天国にいる自分からの手紙が来て、死ぬまでの簡単な回顧録が読める、というものです。
一種の簡易的な占いみたいなものですので、肩肘張らず、気楽に楽しみましょう。
で、僕(本名)の結果はコチラ↓
2007年の僕へ。
元気ですか?2007年ごろの自分のことを懐かしく思い出します。
僕は75歳で、つまり西暦2054年に、寿命を全うして生涯を終えます。振り返ってみると、良くも悪くも、自分らしい人生だったと満足しています。
だたひとつだけ過去の自分に、つまり今のあなたに伝えておきたい事があります。それは 2009年のある寒い日の出来事です、僕は頼みを断れなかったことが理由で、ロシアのモスクア郊外にある小さな街にでかけることになります。そこで人生のクライマックスといえる出来事が起こります。時がくればわかると思います。
最後にひと言、75年間生きてみて思ったのは「ダイエットなんてするもんじゃない」ってこと。といっても、今のあなたには判らないかな。
では、また。
残された人生を思う存分味わってください。
Cyber(本名) - 2054年の天国にて
えーっと。
どうやら2年後に、何とモスクワ郊外の小さな街で人生のクライマックスが起こる、とのことですが。
今の生活と仕事と照らし合わせても、どこでどう転んだら2年後にモスクワなのか分からないよママン!
しかし、75歳というのもそこそこいい歳まで生きられるのですね。健康に暮らしていれば、まだまだ足腰が頑丈そうな年齢です。
ちなみに、ハンドルネーム(Cyber)で試してみたら、やはり『2009年が人生の分岐点』的なことが書かれておりました。
2009年…… 自分にとってどんな年になるのでしょう。何気に楽しみです。
平安時代の宮中へ行って、豪華絢爛な貴族の生活を満喫する?
戦国時代の城や戦地へ行って、名将の辣腕振りを堪能する?
科学技術の頂点を極めた、未来都市に行ってみる?
それとも、あの時の過ちを直すために、ほんの少し過去に行ってみる?
きっと、色々な考えをお持ちの方がいらっしゃると思います。中には、一つの時代だけでは満足できず、色々な時代に行きたいとお思いの方もいらっしゃるのでは。かく言う僕も、色々な時代に行きたくて、もしいくつかある候補のうち一つしか行けないとしたら、向う数日間は悩んでしまいますが(笑)。
魅惑的な時代もそうですが、こんな時代も頭によぎりました。それは『戦時中』。1940年代前半から半ばにかけて。
この時期、日本各地で戦時中に起きた悲惨な想い、苦しい想いが、次の世代へと語られます。その両眼に今でも焼きついている悲惨な光景。その両耳に今でも劈く悲鳴や怒声。その鼻に今でも残る焼けた死体や硝煙の匂い。
その身体で感じとり、そして克明に刻まれた傷跡。体験した人から、次代へ、後世へ。延々と、そして脈々と続く戦争の記憶。けれど、戦時中の傷跡と記憶を持つ人は、時を経るにつれて一人、また一人とこの世から去っていく。残ったのは、語り継がれた記憶と、残された文献だけ。それも100%ではない。
少しずつ色褪せ、薄れていくだろう。それでも、戦争の脅威を、戦争が奪ったもの・残したものを受け継いでいかなければならない。
戦争の本当の恐怖は、その身に戦争の恐怖を刻んだ者にしか分からない。そう思うと、少し不安になります。果たして僕たちは、後世まで戦争の悲劇を語り継ぐことが出来るのか、と。
あと数年経てば、戦争を体験した人は、全員この世からいなくなってしまう。戦争を知らない僕たちだけでは、きっと説得力に欠けてしまう。彼らが受けた苦しみは、全てを伝えることができない。
「戦争の本当の悲劇を世界中に知ってもらうために、現地の写真を撮影する」
ある紛争カメラマンの言葉です。
自ら戦地へ赴く。戦地の悲劇を世界中に知ってもらうために。
たぶん、生半可な覚悟では務まらないことでしょう。興味本位で戦地に近づけば、瞬く間に命を落とすだけ。それでも現地で、その目で、その耳で、その身体で感じとらなければ、本当の悲劇は伝わってこない。伝えることが出来ない。
この文章を書いている瞬間、タイムマシンに乗って『戦時中』に行くことが、本当に後世に伝えていくだためになるのか、またそれだけの覚悟があるのか、自分で自分に問い質しています。
間違っているのかもしれません。だって先人達の願いは、「子孫には二度と戦争の苦痛を味わわせたくない」ことだから。
一人、また一人と当時の語り部がこの世から去る中で、薄れゆく記憶を、実感のない苦痛を、どう未来へ継承していくか。これからも考えていきたいと思います。