もしタイムマシンがあったら、どの時代に行きたいですか?
平安時代の宮中へ行って、豪華絢爛な貴族の生活を満喫する?
戦国時代の城や戦地へ行って、名将の辣腕振りを堪能する?
科学技術の頂点を極めた、未来都市に行ってみる?
それとも、あの時の過ちを直すために、ほんの少し過去に行ってみる?
きっと、色々な考えをお持ちの方がいらっしゃると思います。中には、一つの時代だけでは満足できず、色々な時代に行きたいとお思いの方もいらっしゃるのでは。かく言う僕も、色々な時代に行きたくて、もしいくつかある候補のうち一つしか行けないとしたら、向う数日間は悩んでしまいますが(笑)。
魅惑的な時代もそうですが、こんな時代も頭によぎりました。それは『戦時中』。1940年代前半から半ばにかけて。
この時期、日本各地で戦時中に起きた悲惨な想い、苦しい想いが、次の世代へと語られます。その両眼に今でも焼きついている悲惨な光景。その両耳に今でも劈く悲鳴や怒声。その鼻に今でも残る焼けた死体や硝煙の匂い。
その身体で感じとり、そして克明に刻まれた傷跡。体験した人から、次代へ、後世へ。延々と、そして脈々と続く戦争の記憶。けれど、戦時中の傷跡と記憶を持つ人は、時を経るにつれて一人、また一人とこの世から去っていく。残ったのは、語り継がれた記憶と、残された文献だけ。それも100%ではない。
少しずつ色褪せ、薄れていくだろう。それでも、戦争の脅威を、戦争が奪ったもの・残したものを受け継いでいかなければならない。
戦争の本当の恐怖は、その身に戦争の恐怖を刻んだ者にしか分からない。そう思うと、少し不安になります。果たして僕たちは、後世まで戦争の悲劇を語り継ぐことが出来るのか、と。
あと数年経てば、戦争を体験した人は、全員この世からいなくなってしまう。戦争を知らない僕たちだけでは、きっと説得力に欠けてしまう。彼らが受けた苦しみは、全てを伝えることができない。
「戦争の本当の悲劇を世界中に知ってもらうために、現地の写真を撮影する」
ある紛争カメラマンの言葉です。
自ら戦地へ赴く。戦地の悲劇を世界中に知ってもらうために。
たぶん、生半可な覚悟では務まらないことでしょう。興味本位で戦地に近づけば、瞬く間に命を落とすだけ。それでも現地で、その目で、その耳で、その身体で感じとらなければ、本当の悲劇は伝わってこない。伝えることが出来ない。
この文章を書いている瞬間、タイムマシンに乗って『戦時中』に行くことが、本当に後世に伝えていくだためになるのか、またそれだけの覚悟があるのか、自分で自分に問い質しています。
間違っているのかもしれません。だって先人達の願いは、「子孫には二度と戦争の苦痛を味わわせたくない」ことだから。
一人、また一人と当時の語り部がこの世から去る中で、薄れゆく記憶を、実感のない苦痛を、どう未来へ継承していくか。これからも考えていきたいと思います。
平安時代の宮中へ行って、豪華絢爛な貴族の生活を満喫する?
戦国時代の城や戦地へ行って、名将の辣腕振りを堪能する?
科学技術の頂点を極めた、未来都市に行ってみる?
それとも、あの時の過ちを直すために、ほんの少し過去に行ってみる?
きっと、色々な考えをお持ちの方がいらっしゃると思います。中には、一つの時代だけでは満足できず、色々な時代に行きたいとお思いの方もいらっしゃるのでは。かく言う僕も、色々な時代に行きたくて、もしいくつかある候補のうち一つしか行けないとしたら、向う数日間は悩んでしまいますが(笑)。
魅惑的な時代もそうですが、こんな時代も頭によぎりました。それは『戦時中』。1940年代前半から半ばにかけて。
この時期、日本各地で戦時中に起きた悲惨な想い、苦しい想いが、次の世代へと語られます。その両眼に今でも焼きついている悲惨な光景。その両耳に今でも劈く悲鳴や怒声。その鼻に今でも残る焼けた死体や硝煙の匂い。
その身体で感じとり、そして克明に刻まれた傷跡。体験した人から、次代へ、後世へ。延々と、そして脈々と続く戦争の記憶。けれど、戦時中の傷跡と記憶を持つ人は、時を経るにつれて一人、また一人とこの世から去っていく。残ったのは、語り継がれた記憶と、残された文献だけ。それも100%ではない。
少しずつ色褪せ、薄れていくだろう。それでも、戦争の脅威を、戦争が奪ったもの・残したものを受け継いでいかなければならない。
戦争の本当の恐怖は、その身に戦争の恐怖を刻んだ者にしか分からない。そう思うと、少し不安になります。果たして僕たちは、後世まで戦争の悲劇を語り継ぐことが出来るのか、と。
あと数年経てば、戦争を体験した人は、全員この世からいなくなってしまう。戦争を知らない僕たちだけでは、きっと説得力に欠けてしまう。彼らが受けた苦しみは、全てを伝えることができない。
「戦争の本当の悲劇を世界中に知ってもらうために、現地の写真を撮影する」
ある紛争カメラマンの言葉です。
自ら戦地へ赴く。戦地の悲劇を世界中に知ってもらうために。
たぶん、生半可な覚悟では務まらないことでしょう。興味本位で戦地に近づけば、瞬く間に命を落とすだけ。それでも現地で、その目で、その耳で、その身体で感じとらなければ、本当の悲劇は伝わってこない。伝えることが出来ない。
この文章を書いている瞬間、タイムマシンに乗って『戦時中』に行くことが、本当に後世に伝えていくだためになるのか、またそれだけの覚悟があるのか、自分で自分に問い質しています。
間違っているのかもしれません。だって先人達の願いは、「子孫には二度と戦争の苦痛を味わわせたくない」ことだから。
一人、また一人と当時の語り部がこの世から去る中で、薄れゆく記憶を、実感のない苦痛を、どう未来へ継承していくか。これからも考えていきたいと思います。
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コメント
こんばんは。 そうですね、ぼくもタイムマシーンがあったらいつの時代に行ってみたいかなぁ~。 でも戦時中には行く気はおきないかもしれませんね。というかその勇気はないw
<一人、また一人と当時の語り部がこの世から去る中で、薄れゆく記憶を、実感のない苦痛を、どう未来へ継承していくか。>
ホンとにその通りだと思います。
ぼく達がきちんと受け継いでいかなければいけない思いや体験ってあるんですよね。ぼくも実際に戦争を体験したことはありませんが、その時代に生きた人達の思いを可能な限り受け継いでいかないといけませんよね。手段や方法はまだよくわかりませんが・・・。
<一人、また一人と当時の語り部がこの世から去る中で、薄れゆく記憶を、実感のない苦痛を、どう未来へ継承していくか。>
ホンとにその通りだと思います。
ぼく達がきちんと受け継いでいかなければいけない思いや体験ってあるんですよね。ぼくも実際に戦争を体験したことはありませんが、その時代に生きた人達の思いを可能な限り受け継いでいかないといけませんよね。手段や方法はまだよくわかりませんが・・・。
薄れる痛みと記憶の継承
コメント有難うございます。
まぁ、確かに今にも死ぬかもしれないという状況下に、自分から進んで行きたい、というのは、すごい勇気と度胸がいりますね。
でも、どんなに史実を紐解いても、経験者の話に耳を傾けても、その身体に戦争の傷が無い以上、どんなに真剣に問いかけようとしても、説得力に欠ける気がします。だからといって、傷をつければいいのかというとそうでもないし、それで解決するとも思えない。
薄れる痛みと記憶の継承方法に、最善策はもしかしたら無いかもしれません。でも、最善策は無くても、できる限りのことはしていかなければ。それこそ、今を生きる僕たちの役目ではないかと考えます。
>こんばんは。 そうですね、ぼくもタイムマシーンがあったらいつの時代に行ってみたいかなぁ~。 でも戦時中には行く気はおきないかもしれませんね。というかその勇気はないw
>
><一人、また一人と当時の語り部がこの世から去る中で、薄れゆく記憶を、実感のない苦痛を、どう未来へ継承していくか。>
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> ホンとにその通りだと思います。
>ぼく達がきちんと受け継いでいかなければいけない思いや体験ってあるんですよね。ぼくも実際に戦争を体験したことはありませんが、その時代に生きた人達の思いを可能な限り受け継いでいかないといけませんよね。手段や方法はまだよくわかりませんが・・・。
まぁ、確かに今にも死ぬかもしれないという状況下に、自分から進んで行きたい、というのは、すごい勇気と度胸がいりますね。
でも、どんなに史実を紐解いても、経験者の話に耳を傾けても、その身体に戦争の傷が無い以上、どんなに真剣に問いかけようとしても、説得力に欠ける気がします。だからといって、傷をつければいいのかというとそうでもないし、それで解決するとも思えない。
薄れる痛みと記憶の継承方法に、最善策はもしかしたら無いかもしれません。でも、最善策は無くても、できる限りのことはしていかなければ。それこそ、今を生きる僕たちの役目ではないかと考えます。
>こんばんは。 そうですね、ぼくもタイムマシーンがあったらいつの時代に行ってみたいかなぁ~。 でも戦時中には行く気はおきないかもしれませんね。というかその勇気はないw
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><一人、また一人と当時の語り部がこの世から去る中で、薄れゆく記憶を、実感のない苦痛を、どう未来へ継承していくか。>
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> ホンとにその通りだと思います。
>ぼく達がきちんと受け継いでいかなければいけない思いや体験ってあるんですよね。ぼくも実際に戦争を体験したことはありませんが、その時代に生きた人達の思いを可能な限り受け継いでいかないといけませんよね。手段や方法はまだよくわかりませんが・・・。
そうだなぁ。僕は歴史上の賢人・偉人に会ってみたいです。
特に、釈迦ですねぇ。日本人だったら、聖徳太子とか。戦争という切り口だったら、イロコイのピースメーカー(Hiawatha)とか。
思想って文献なりを読めば知識としてはおおよそ知ることができちゃう。でも、彼らの居る場の空気とか立ち居振る舞いだとか、声の音色だとか、何か知識を超えて人を轢きつける何かがあったんじゃないかと思うんですねぇ。そういう味わいは、同時代に生きた人だけに許される特権じゃないかと思ったりします。だから別に話さなくってもいいんです。ただ、遠くから眺めているだけでも(笑) ストーカーかっ!
タイムマシンの話をすると思うんですが、たぶん今この瞬間にも世界のどっかに未来の釈迦にあたる人物は居るんじゃないかと思ったりするんです。もしそうならタイムマシンがなくても僕の願いは叶えられるですよね。でも、今この瞬間にそれを見抜くセンスが僕にない。やっぱり未来になって初めてわかる。要は、僕にそれを透視するだけの器量がないことが問題なんじゃないかしら。。。戦争にしても世界のどこかで常に起こっていて、でもその悲惨さを今この瞬間、自分の責任として感じるセンスが僕にはない。僕自身が戦争の当事者だと頭では思ってますけど、そういう実感がないんですよ。なんと自分の行動に無責任に生活しているものかと痛感しますが。これもまた頭で思うだけで、実感がないですから。こうやって、ダラダラと毎日が過ぎ。明日も戦争を起こしてしまうのかしら。なんて、ちょっとしんみりしちゃいました。。。
>戦争にしても世界のどこかで常に起こっていて、でもその悲惨さを今この瞬間、自分の責任として感じるセンスが僕にはない。僕自身が戦争の当事者だと頭では思ってますけど、そういう実感がないんですよ。なんと自分の行動に無責任に生活しているものかと痛感しますが。
いえいえ。D15さんのブログを拝見している者の一人としては、そんなことは全く無いかと。環境問題にも非常に深く配慮していらっしゃいますし。どんな問題であれ、「人事では無い」という意識は大切なことです。
そういえば、数年前、イラクで人質に取られた日本人の方がいらっしゃいましたね。その間、「退避勧告が出ているにもかかわらずイラクに入国して人質に取られたのは自己責任」なんていう風潮が蔓延していました。
僕はその言葉を聞いて、本気で愕然としました。
人質にあわれた方に直接お会いしたわけではありませんが、単なる興味本位でイラクに入ったわけではないでしょう。その目で、その耳で、イラクの情勢を知り、その惨状を世界に伝えたい、イラクのために何かしたい、と思ったのでしょう。実際に行動を起こした人に対する罵倒の数々は、日本の先行きの不安を感じさせるに十分でした。ご家族の方々だって、今正に家族が、知人が死ぬかもしれない、という局面で、正常でいられるはずがない。
結果として彼らの自己責任なのかもしれません。でも、それは彼らが助かってからでも十分な議論であるはずです。死ぬかもしれない極度の場面で、数万km離れた平和な国では、何もせず他人事のように議論を繰り広げる。
果たしてこんな状態で、「二度と戦争はいけない」という本当の意味と気持ちを汲み取り、未来につなげることが出来るのでしょうか?
何もこれは戦争だけでなく、D15さんが取り組んでいらっしゃる環境問題や、そのほかの問題でも当てはまるわけです。ただ単に日ごろ流れるニュースを垂れ流し的に聞くのではない。とっかかりは興味本位でも構わない。でも、そこから「どうにかしたい」という気持ちが現れれば(それが一人一人)、少しずつでも現状を変えることが出来るし、未来につなげることが出来ると思います。